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ピンチはチャンス

きょうも泣きたくなるような暑さだった…

秋のお彼岸がちかい。
親が残していた過去帳をながめてみると
もうほとんどの親戚はこの世にはいない。
同世代のいとこぐらいだろう。
親は自由な人だったから、その過去帳には
他人の記述もあって、たくさんお世話になった人のことだと思われる。長い人生のなかでは、血の繋がりとは別に大きな存在となる
人と出会うことがある。結婚相手などは
とくにそういうことだろう。それも親世代で
ストップしてしまって、家を守るという行いは希薄になってしまている。もう帰るとこでは無くなった故郷なので墓じまいをしたが、
子どもたちには、どう映っているのだろうか…幼い頃の記憶だけしかないのも何かしら寂しい。それ以上のことは子どもに託すだけだけなので、親の権限なんてあっても無いようなものなのだ。
そうして、家という柵のない世代の選択は
真にシンプルになってしまった。
墓じまいとなったので自分が納まる墓を
生前墓としてさいきん購入することにした。
戒名はなく、俗名で刻まれる合同墓。柵がないということは自由すぎるくらい自由。
こういう話題はしたがらないのも普通だけれども、あの世とこの世の境目は襖1枚とも言われる。簡単すぎることに納得しながら
ほっとしたことは事実である。
80歳をむかえる人が、10人にひとりらしいが
9人の内のひとりもあるだろう。そして、
そんな遠くない出来事を思うのが普通に感じられるこの頃となってしまっている。

Z世代の蛙化とは?




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