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Typhoon

迎え火も
住まいの都合上なさぬままの初盆。
あまりにも簡素すぎて旅立った人も
口があんぐりしてることだろう。
弔いからもコロナ扱いと質素な家族葬だったので、その流れのように過ぎていく。
人を送るということは、なかなか心が付いていけないもの…現実だけが目の前にあって物理的なこと儀式が優先になるからだ。
こういう場面になるまで特に考えてはいなかったが、親から受継いできた宗教だって
信心していた訳ではないから宙ぶらりんな感じになっている。それでも自分の親の位牌を守っている?ので朝だけはチーンをするわけで。
もう自分がチーンされる年になってるので
こうしたものを何とかしなければと常に思うようになった。方法はあるのだから後は決断するだけなのだが、、それがどの時期なのかを決めかねている…そして勝手に思えば親だって充分だよ。って言ってる気もする。
あとはなんなんだろう?子ども達への引き継ぎなのか。。父が作っていた過去帳は残した方がいいのかもしれないが、ほとんど知らない親戚ばかり…そういうものなのだろう。
でも折々に口伝えをしておくことを意識しようとおもう。若いころにはどうでも良かったことでも、自分のルーツが気になるときが来るからだ。
これからのお盆は
終活としてのお盆として迎えることに
なるだろう。あの世の方々との折り合いの
時間として思えばまだ猶予はあるかな。。。

きょうは
あすの台風が気になる1日。
まだ甲子園が終わっていない、、

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