もっち

HSP/30代/転勤族/夫婦ふたり暮らし/無精子症/チャイルドフリー/自己肯定感の高め…

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HSP/30代/転勤族/夫婦ふたり暮らし/無精子症/チャイルドフリー/自己肯定感の高め方・生きやすさ探求中/パン作り好き

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noteはじめまして*自己肯定感激低女の這い上がり記録*

覗いてくださってありがとうございます。 私のこと、今後お話したいテーマについて書いていきます。 改めまして、もっちと申します。31歳、「普通」の女子です。 いえ、「普通」を目指して生きてきた女子です。 中学生の頃から日々が窮屈だなと感じはじめ、高校生の頃から 「生きづらさ」を自覚し過ごしていました。 しかし、自分や狭い環境の中で築いた価値観に沿って、 「普通の人生」を歩もうと頑張っていました。 私にとっての「普通の人生」、そして描いていた人生とは、 大学を卒業し、数年

    • 派遣先に水筒を忘れて帰ってしまった

      その派遣先はきっとこの先行くことはない職場で 家から電車で30分程かかり 運賃は片道190円 “最悪だ。時間もお金もかかるし手間過ぎる。破棄してもらうか…?いや、潔く戻ろう” 派遣先に取りに行く旨を連絡し、担当者が退勤後になるかもしれないため、ドアの外に置いておいて欲しいことを依頼した 憂鬱な気持ちを感じながら電車に揺られ派遣先へ向かった 到着時には18時を過ぎ、室内の電気は消えていた ドアの外に手提げ袋に入れて下さった水筒があり、受け取った 中を確認すると、

      • 子どものために生きたかった

        ↑半年前に書いた思い。最近全く違う思いに戸惑っています。 どれが自分の本心なのかわかりませんが、 最近考えることがあります。恥を承知で吐露させてください。 DINKsとなってからこれまで、子供がいないメリットを考えたり、マジョリティを目指してきた自分を否定したり、現状を正当化することに必死だったように思います。 けれど、やっぱり私は二人の遺伝子を持つ子供が欲しかった。 無条件に愛せて無条件に尽くせて見返りなんていらない。 そんな存在が欲しかった。 そんな存在のために頑張

        • 機嫌よく過ごした後は。

          前回の記事に加えて、機嫌よく過ごすためには「思考を緩くする」ことも必要。 ゆとりある時間が欲しくて手に入れたけれど、それはそれで悶々と考える時間も増えて一長一短。 思考を緩めて楽観的に過ごせた日は、機嫌よく夫と過ごせて心地が良い。 けれど、その後には決まって先への不安に襲われる。 今のままでいいのだろうか。きっとダメだ。 勝手に決めつけて自分を苦しめる悪い癖。 自覚はあるんだけどなぁ。

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        noteはじめまして*自己肯定感激低女の這い上がり記録*

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        • 不妊を経て
          3本
        • HSP、生きづらさ
          3本

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          機嫌よく過ごせる条件

          現在の私のプロフィールを簡単に。 ・31歳女、既婚、子なし、転勤族、HSP ・正社員を辞めて単発派遣看護師として週に1~2回緩く働き中 今年の目標は「機嫌よく過ごす」こと。 退職してから人生迷子中の私は、元々の気質を発揮しネガティブで卑屈になることが多い。 私の生き方を非難する人もいなければ、考えを押し付けてくる人もいない。 それでも自分の思い描いていたように生きれず悶々とする日々。 そのような中でも、気分が明るく過ごせる日もある。 今回はその条件の覚書。 ①晴れて

          機嫌よく過ごせる条件

          31歳、専業主婦、子供なし

          31歳、専業主婦、子供なし。です。 世間からみたら下級なんだろうなぁ。私もそう思う。 昨年7月末で退職し、夫の春の人事異動(転勤)に備えて春まで フリーター?専業主婦?として過ごすことに決めている現状です。 転勤がなければパートか派遣で仕事を探そうかなと。 今の生活になり半年が過ぎようとしている。 初めは焦燥感と罪悪感、不安感に駆られて、ストレスフルな仕事を辞めたにも関わらずストレスを感じる日々だった。 単発日雇い派遣をしたりしていたが、失業保険が振り込まれるように

          31歳、専業主婦、子供なし

          今は村人Bとして生きる。

          私は今無職のフリーターだ。 一応、多くて週一程度で単発派遣の仕事に出ている。 前職の人間関係と仕事のプレッシャーから逃げるように退職した私は、罪悪感で自分を責める日々だった。 安定した収入も得ず、DINKSのため子育てや母親業もしておらず、ダメ人間だと落ち込みながら憂鬱な日々を送っている。 働く意思はあるが、夫の転勤が近い可能性があるため、すぐ対応出来るように備えておこう。 という楽をするための良い言い訳をしている自分に嫌気がさす。 しかし、この状況を選んだのは自

          今は村人Bとして生きる。

          上手に看護師が出来ない

          看護師を選んだ理由「安定」の一言に尽きます。 進路を決める時期がちょうど不景気で就職氷河期だったということ、 そして元々、夢ややりたい事がなかったため、とにかく安定という ことしか考えていませんでした。 常に限界ギリギリ最初は大きめの急性期総合病院に就職し5年間勤めました。 常にキャパオーバーで、私には荷が重い、逃げたい、という思いで いっぱいでした。 そのため、いつも逃げ腰で消極的で向上心もなく、ミスに怯える日々 でした。 今思えば、不安を払拭するためにもっと勉強した

          上手に看護師が出来ない

          ないものねだり*不妊を経て気が付いたこと*

          これまでの私の人生を思い返すと、「ないものねだり」によって気が沈み悩むことが多かったように思う。 それは「生きづらさ」を感じる一因なのではないか、と最近ようやく気が付く事が出来た。 私はいつも周りと比べて、自分を卑下する癖がある。 「お金があっていいなぁ、私なんて…」 「センスがあっていいなぁ、私なんて…」 「可愛くて、綺麗でいいなぁ、私なんて…」 「素敵なプロポーズされていいなぁ、私なんて…」 「妊娠・出産・子育てが出来ていいなぁ、私なんて…」 「仕事が出来ていいなぁ

          ないものねだり*不妊を経て気が付いたこと*

          私にとっての「頑張る」ってこと

          私にとって「頑張る」ことの意味を考えた。 今まで、キャパオーバーなやりたくない仕事をしてきた。 常にストレスがあった。 それと戦いながら、我慢しながら生きる毎日があって その時は私よく頑張ってるって思えてた。 「自分に鞭打つ頑張り」ですね。 だからご褒美や贅沢を純粋に嬉しく幸せに感じてた。 けど今はストレスな職場を辞めて、フリーター状態。好きな時に入れる単発派遣をたまーーーに入れて、あとは家で自由に過ごしてる。外的ストレスはない。 これまでの私の価値観だと、今

          私にとっての「頑張る」ってこと

          苦悩、葛藤、嫉妬と戦う中で出会えた本音*不妊を経てDINKsになるまで*

          隣の芝生は青く見える前回の記事で変化した価値観や概念についてお話しました。 けれど、そんな前向きな考えを出来るようになるには決して 簡単ではありませんでした。 ちょうど年代的にも、周りの友人たちの妊娠・出産ラッシュでしたし。 当時感じていたことは 「女に生まれたのに出産を経験しないままでいいんだろうか」 「周りが羨ましい、幸せそう」←特にこれ 「親も楽しみにしていたのに、申し訳ない」 「漠然と将来が不安」 「夫が可哀そう」 といったネガティブな思いでいっぱい

          苦悩、葛藤、嫉妬と戦う中で出会えた本音*不妊を経てDINKsになるまで*

          無精子症を経て気付いた変化

          夫が無精子症でした前回にも書いた通り、前向きに妊活に励んでいる最中、夫の無精子症が発覚しました。約1年半前のことです。 あの日は、希望が絶望に変わった忘れられない日です。 無精子症とは100人に1人の割合とのことですが、 それまで他人事でしかなく、まさか私たちが。という思いでした。 ふたりの子どもが欲しかった私たち夫婦は、マッチングアプリで出会い4年間の交際を経て 結婚しました。 大きな喧嘩もなく、価値観や温度感も限りなく似ており、 本当に仲の良い夫婦です。お互い大好き

          無精子症を経て気付いた変化