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日々遺言

子育ての合間に、公文式の丸つけの仕事をしていた時期がある。
ある時、その公文式教室の先生が師事する大先生という方をお呼びして、話を伺う機会をいただいた。
大先生はかつて数十年、ご自身の教室を運営され多くの優秀な生徒さんを輩出、今では引退して各教室で相談役のような立場におられていた。
かなりのご年齢ながら、声にも張りがあり矍鑠(かくしゃく)としていらっしゃる女性。
その大先生のお話が今でも心に残っている。

「どうしても、言うことを聞かない子っているものよ。落書きしたりプリントをくしゃくしゃにしたりね。でも、それはその子のメッセージなのだから、ちゃんと受け止めてあげないとね。
頑張って考えたけど、難しい、わかんないって。だから、きちんとプリントのシワを伸ばして丁寧に丸つけをしてあげる。
 (中略)
老い先短くなると、毎日自分が発する言葉を選ぶようになるわね。こんな言い方でちゃんと相手に伝わるだろうかって。
そう。日々遺言という気持ちで毎日子供たちに話をするのよ」

日々遺言。
なんだか背筋が伸びた。

それは若いお母さんでも同じ。明日どうなるかは誰にもわからない。だから、日々の生活で「遺言を残す」つもりで子供を教育しなさい、ということだ。

日々遺言。
何も、子供たちへ遺言状を書きなさいという話ではない。
日ごろから、子供たちにこうあって欲しい、これだけは心がけて欲しいという気持ちを親が自分の言葉にして、いつもメッセージとして発信しておく事が大切なのだという。

「子供達を集めて、改まった形で特別に語る必要はないの。常日頃、親である私たちが口ぐせのように繰り返すことでいいの。子供たちは、面倒くさがって聞き流すだろうけど、それでいい。無意識に脳に刷り込まれるくらいに言い続ける。それが、いつしか親が子供に残せる唯一の教え、遺言になるんです」

「そういえば」
1年前に亡くなった父が、常に言っていた言葉を思い出す。
「履き物を揃えなさい」
とてもシンプルだけど、これは私の体に自然にしみついている。洗濯物が溜まっていても、玄関の靴だけは揃えるようにしている。

いつか、息子たちと本当の別れが来た時、
「母さんの口癖は〇〇だったなあ」
と思い起こしてくれれば、と切に願う。

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