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25.大人になっちまった悲しみに

先日こんなことを話しました。

あー…。

今年買って良かったものって何かなー?とルンルン考えてて、まず出てきたのもが炊飯器と掃除機なんですが、なんか、先日これらの家電の半分以下の値段の服を買うのに、泣くほどビビったりしてたので、ォーン…となりました。

「そりゃ、家族で使う家電と、自分一人の服では予算が違うの当たり前でしょうよ」とも思うんですが、服とか食器とかでも、自分で自分に買う場合は底値のものを探し、人に買ってあげる時は高価格帯でも臆せず買ったりできるので、なーんか、なーんか歪んでる感じあるなーと。

あえて自分を蔑ろにして、他者に奉仕することで、自分の駄目さをカバーしようとするというか、「私は家族に奉仕している」という一点でだけで、許してもらおうとしている感じ。
「私は家族に奉仕している」から、自分の選択や、外部評価など、自分自身が負う責任を放棄して、拗ねたり恨んだりしつつも、被害者の立場から動こうとしない感じ。
そんな感じがあるなあと、あー…ってしてました。
あー…、としつつ、「今後は自分にもバシッとお金を使って、自分で自分の責任を取っていくぞ!」と意気込んでます。

意気込みつつ、ホリデーシーズン辺りから「私はクリスマスをどんな感じで過ごしてたんだろう」と気になって、保育所時代の手帳を掘り返してみました。
(※ツトムくんは幼い頃オモロい奇行があまりに多かったため、保育所の先生と母のやりとりの手帳が大事に保管されています)

クリスマスあたりの日付のを探して読んで判明した、保育所の年中さん(何歳だ?)の私がサンタさんにお願いしたプレゼントがこちらです。

「(大人のところにはサンタさんが来ないと知って)ママの好きなものを、ツトムくんがサンタさんにお願いしてあげる」

お前……。

大人になった自分の家への奉仕具合は、ちょっと歪んだものがあるなあと思っていますが(拗ねたり恨んだりしてるから)なんか、子供の頃からこういう感じなんだなあと。

幼い頃、本当に素直な気持ちだっただろう優しさや献身が、今、こうも嫌な感じに歪んでるのは、私が大人になったからなんだろうなと思います。
大人になっても、子供のままの献身をしようとしているから歪むのであって、大人には大人の形の献身があるのだろうと。

子供の頃の優しさを優しさまま大切にするためにも、私は私なりの形で大人にならないといけないんだと、なんかちょっと、寂しいというか、なんとも言えない気持ちで少し泣きました。

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