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プーチンインタビューに見る 政治と宗教

チャンネル桜で 及川さんと水島社長と社長が タッカーカールソンのプーチンインタビューを解説しています。


タッカーのインタビューは
プーチンという政治家が 

歴史、宗教、哲学、文学、から どのような思想的影響を受けているかを  浮き上がらせてくれるものでした。

この動画は、及川さんが 信仰と政治について詳しく取り上げています。


イエスの 
右の頬を打たれれば、左の頬を差し出せ
という 非暴力の教えに対して、キリスト教徒としてのプーチンはどのように答えるのかを タッカー カールソンは質問しています。

上記動画 よりお借りしています

プーチンは「 人を殺すこと」を 国のトップとして命じているはずです。 その事は、イエスの教えを信仰している者として矛盾するし、信仰者としての苦しみがないのかという問いにも聞こえます。

日本人である 私は もし、自分が この問いかけを投げかけられたら、上手く答えることができないだろうと思います。

しかし、プーチンの答えは明解でした。


自分と家族、祖国を守る これらが攻撃されない限り こちらからは攻撃することはない

というのがその答えです。

もちろん、この言葉を プーチンが自らの悪を覆い隠す ただのプロパガンダとして言っていると考える人たちもいるでしょう。

しかし、プロパガンダがロシアだけにあり、アメリカを中心とした西側諸国には無いというのも とてもナイーブ過ぎる感想でしょう。

及川さんはライホルトニーバーという神学者の 宗教と政治のバランスをテーマにした人の話をあげられて プーチンが同じ視点で 政治と信仰を考えていると解説しています。

クリスチャンリアリズムという立場だそうです。
クリスチャンという理想主義と
現実のリアリズム
これを マッチングしたのが
アメリカのキリスト教神学で
これをタッカーが プーチンにぶつけてきたのだと及川さんは言います。



プーチンのこの言葉は
信仰が 心のなかの問題だということを語っています。
形だけを信仰者として振る舞うのではなく もっと人間的な生活の中で 神と共にあるのかどうかという 本質的なものを、ロシア文学の巨匠ドフトエスキーを例にして 考えているのです。

及川さんの説明では

宗教は どうしても外見的なものに捕らわれ、宗教の作法に捕らわれがちだけど プーチンは
心の中にある信仰を問題にしている。

さらに宗教が起こす戦争の原因として、宗教の持つ排他性ー
プロテスタントとカトリックという 
キリスト教同士で殺しあいまで起きる
排他性のあるキリスト教の各宗派に対して
ロシア正教は他のキリスト教とは違うところがあるのだと 解説が入ります。
ロシア正教には 他のものに対する寛容な面があるらしいのです。


さておき、

宗教的な対話が可能なプーチンに 対して
タッカーカールソンは さらに 神秘的な質問を投げ掛けています。

神が現実世界に介入されているかどうかの問いには 極めて論理的に答えています。神秘思想はここでは見られません。

ここでは、プーチンは 冷静な政治家としての顔を見せています。

世界は 法則に従って 動いているという答え方をしています。
国家の興亡も、固有の法則通りに動いているのだということですね。


この部分には 及川さんの解説が入っているので 理解しやすかったのですが、

神は人間に任せている


この意味は とても重いです。

神が 我々にこの世界の運営を任されているということは 私たちは この世界に責任を負っているというとです。

世界を善きものにするのも 悪しきするのも
私たち一人ひとりの責任であるということ。

その自覚が 無しに 世界が悪くなければ 神などいないと叫ぶのは 人間の愚かさと傲慢さでしょう。



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