信仰とエル・カンターレ信仰と宇宙の法則

4つの放送がまとめらています。

動物と人間を分けるものは
信仰の有無だと言われています。

信仰

日本では 信仰や 宗教を持っていることを
表明すると
ちょっと引かれてしまうことがあります。

それだけ 表に出さないものになって
しまいました。

宗教にも 地域や民族にによって
様々なものがありますが
唯物論や無神論では
死後の生命を救うことができません。

信仰は 人間が神仏の子である
信仰は すべての存在の源に神があるということを信じることです。

ある人は サムシンググレートという
言い方ををされることもあります。

エル・カンターレ信仰は
創造神としてのエル・カンターレを
信じることです。
日本の地で
説かれたエル・カンターレ信仰ですが
やがて これから数世紀にわたって
人類を照らし続ける光の灯台に
なる教えだと思います。

紹介されていた法話
愛を広げる力には

私たちは、「宗教の違い」や「文化の違い」を強調しすぎることのないようにしなくてはなりません。
 また、今のインドのように「生まれ変わり」の思想を、まだまだ残っているカースト精度のようなものの根拠に使うこともいけません。
「過去世の業がよかったから、今は偉いカーストに生まれている」
「過去世が悪かったから、今は貧しいところに生まれている」などという固定的な生まれ変わりを、私は認めていないのです。
「その人が立派であるか否か」ということは その、「行い」のみによって判断されます。

青銅の法  愛を広げる力

この宇宙の法則というのは
愛であり

本当に神の悟りを知りたくば、本書(青銅の法)に書かれた愛の実践をせよ。奇跡が‼️単純な宇宙のルールにしか過ぎないことがわかるだろう。

青銅の法  あとがき 

私たちが 何度も地上に生まれるのは その愛を自分のものとしてつかむためなのですね。
恵まれた環境だけも 貧しい環境だけでも 学べないことがあります。

多くの経験は
辛いことであっても
悲しいことであっても
それは 魂の経験と
学び ・向上のために
用意された環境であるようです。

振り返って思うのは思うのは

現状の日本の政治などを見て批判を
している私であるけれども
仮に 同じ環境に生まれ

政治家や官僚の立場にあるとして

彼らと同じ立場にあったとして

本当に 正しいと信じることを
押し通せるのだろうか?

自己の保身に走ってしまわないだろうか

そう考えると
立場を変えて魂修行をしなければ
わからないことがあります。

健康な時は
健康の有り難さが分からなかったように

自分の環境からだけでは
見えてないものもあるに違いない。

 限られたたった1回の
今回の人生だけでは
理解が及ばず

心や魂も
今回だけの人生では
成長できないことも
腑に落ちてきます。

どのような環境や立場に立たされても
より 神様の心の近い方向で 
生きることができるのか。

また 自分個人だけの問題ではなく 多くの同胞の運命がかかっているような立場に立たされたら自分はどういう選択ができるのか。

魂の修行は 環境を変えて 立場を変えて
生まれ変わることによって
永遠に続きます。


最後は信仰をとることです。
とりわけ、年齢があがっていき、人生の最後を迎えようとしている人は、特に信仰を大事にしてください。

青銅の法  第3章  青銅の扉

若いうちは、まだまだ、この世的に必要なものも多いでしょうし、手放せないものもあるでしょう。葛藤や試練は数多くあると思います。しかし、だんだん年を取って、あの世が近づいてきます。

青銅の法  第3章  青銅の扉

やはり年を取れば取るほど、だんだん上に上がっていけばいくほど「最後は信仰が残ればよい」という気持ちでいてください。

青銅の法  第3章  青銅の扉

奇跡はたくさんあります。信仰の証明としての奇跡は数多く起きます。ただ、最終的には、誰一人この世にとどまることはできないのです。

青銅の法  第3章  青銅の扉


人生の最後をを迎えようとしている人という言葉も

やはり これは日々感じるところではありますし、
最終的には誰一人この世にとどまることはできないということも  
健康な時は 実感できず、今日があったように明日もあり、明後日もありと まるで 人生の時間が永遠に続くかのように錯覚しがちです。

霊的な意味では 人生は永遠かもしれません。
けれども 肉体を持ち この世に生きる時間は永遠ではありません。

肉体が自分だと思っていると
病院のベッドで苦しんでいる状況に
捕らわれたままで
あの世への旅立ちができないのです。

肉体を失ってもなお 自分の意識があるゆえに

 自らの

「肉体の死」

 が認識できないからです。

 地上の生命だけがすべてだと思い
唯物論、無神論が世界に拡がるなかで
魂の修行の場所としての地球が
役割を果たせなくなってくるときに
地上が神の心から離れた想念で満たされたときに
その人が文明が終わってしまうということは
過去何度もあったようです。

エル・カンターレが降りて
法を説かれるというのは

人類にとっては稀有なチャンスであり
逃してはならない機会だと思います。

仏法真理を拡げるということは
地球や人類の未来を開く為であることも
心に深く刻んでゆきたいのです。

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