趣味が枯れた老人はどう生きるの?
日記の類を書くから精神が安定するのか、精神が安定していたから書けていたのか、毎度毎度わからなくなりますね。
久々に精神崩壊寸前まで追い詰められていたんですけど、ということはそれ以前は小康状態だったということなんでしょうか。発狂しそうということは自覚しても、自覚したところで何も打つ手がないのでして。
精神を管理下に置くためにも自己分析が必要だと重々承知して、そのためにnoteを開設したわけですが、長年自己肯定感がマイナスの壁を突き破っており自分の知能の低さを直視しようとすると吐きそうになるため、なかなか前に進まない現状です。
カウンセリングで心理テストを一通りやったので、結果が分かればまたお伝えしようかなという感じです。
オタク活動をしなくなったらますます老化してきたよ
今でも創作やファン活動やるならTwitterが一番だと思っている。創作物の拡散力(今のTwitterにはあまりないけど)はもちろん、なにより仲間がすぐ見つかる。気持ちいいTL作って、情報収集する、共感する、刺激を受ける。それがエンジンとなってファンでいることがさらに楽しくなる。
しかしながら境界知能ASD×うつ病で特に神絵師でも神文字書きでもない私には全く向いてない場所でもあった。
まあ自分自分自分で書き出していて笑っちゃうね。
その原因が発達障害由来の認知の歪みや家庭環境や長年のうつ病からくる自己肯定感の低さゆえと分かっても、分かったところで今すぐどうにかできるようなものでもない。
だいぶ前からうつ病の悪化か加齢か、或いは相乗効果で、ラフで止まったままの未完成絵が増え、私がいた某ジャンルも推しキャラ(と打つだけでも反吐が出るが、こう書くしかない)の扱いやコンテンツそのものに疲れたのもあり離れることにしたのだった。
その選択自体は正解だった。情報を入れなくなったので、知らない間にイベントが発生し終わっていることがあるくらいで平和なものだ。
だが積極的に活動していたジャンルが某ジャンルのみだったため、もともと老化していた脳がすごい勢いで死んでいくのだ。
腰が重くてなにをする気にもなれない。本を読んでも途中で飽き、映画を見ても見ただけで終わる。そういえばコロナで喉痛めてからカラオケにも行ってないな。新しいものへの不快感、興味の幅の狭さ、気に入ったものだけを繰り返し見るといったアスペルガー脳が悪い方へ悪い方へと向かい、煮詰まったスープをさらに煮詰める作業を繰り返す。
私は何か映画とか観て琴線に触れるとまず"描きたい!"と今でも思ってしまうのだが、描き始めても普通に下手になってるし時間をかけられるほど絵そのものに興味はないし一瞬の興味のピークで描き上げられるほど筆が早くもないしで、もう全然描けない。"感想"にすると吐いてしまうので書けない。そして琴線に触れただけで終わる。触れただけで終わったものは忘れていく。で老化の一途をたどっています。
趣味がない人間は何して生きてるんでしょうね。子供がいれば忙しいだろうし、仕事が生きがいかもしれないし、人間関係が充実してるんでしょうね。要するに趣味だけが私の世界じゃないんだ。いろんな世界を持ってるんだね。
趣味が楽しめなくなった老人は残りの人生をどう過ごせばいいんでしょうか。配偶者も子供もなく、会話する知人もおらず、仕事も満足にできず朽ちていく体力をただ見るだけしかできない人間は。何を。どうして。生きるのだろう。
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