見出し画像

ep40 村境ルート探索#6 (上葛川〜笠捨山〜蛇崩山〜瀞峡 その①)

2024年2月18日(日曜日)
 当日は暖かくなり、すっかり天気で笠捨山から大パノラマの景色が堪能出来るぞ!2日前の天気予報に心踊る思いでしたが、前日より雲行きが悪くなり、前夜はとうとう雨が降り出しました。気温はこの時期にしては高く、春の様な天候で紀伊半島の南東部が集中的に雲がかかってしまいました。幸い小雨予報であった為、出発を決定し、十津川村へ前入り。控え目に飲んで当日を迎えました。

 今回のアプローチは表題の通り、十津川村上葛川から逓信道(郵便古道)を辿り、先ずは大峯奥駈道に合流し、笠捨山を目指します。その後進路を東に取り、蛇崩山から長い下り尾根を経て瀞峡をゴールとしましました。今回は笠捨山までの記録を残したいと思います。

逓信道については以前のnoteでもご紹介しました。↓
ep16 千年斧入らずの笠捨山

逓信道(郵便古道)

 現在は勿論郵便の道としては活躍しておりませんが、笠捨山周辺には送電線を渡す鉄塔が幾つか並んでいます。鉄塔周辺は定期的に木が大きくならない様整備されています。その作業道として時々使われる程度です。あとは我々の様な山好きが、笠捨山へのアプローチとして使う位でしょう。

 前日メンバーと一緒に飲んでいた時、仕事で鉄塔周囲の整備作業をしている人がいたので、道の状態を聞く事が出来ました。やはり中々整備されないので、崩壊箇所や危険な場所もあるとの事ですが、気を付けて行けば通る事が出来るとの事でした。

笠捨山へ

 今回アタックするのは私と焚き火兄貴(兄貴)。彼は数々のロングレースに参加し、日々真面目に鍛錬されているエキスパートです。海外の山もへも遠征する程アクティブです。また、山以外の事にも精通しており、他のメンバーから教授と評されるウィットネスな方です。今回時間が空いたとの事で参加して頂けました。私1人では初めてのルートへ立ち入るのは行けなくもありませんが、最近ビビりになってしまって単独での探索はなるべく控える様にしています。

 さて、今回は各々車で出発し、一台は瀞峡の駐車場へ。そこから私の車で上葛川登山口へ向かいました。登山口まで舗装され、数台の車が置ける程広くなっています。ここからいよいよスタートです。

この奥が入り口
右下は葛川本流。徐々に渓谷は深くなります。

 逓信道は上葛川から笠捨越えを経て下北山村の浦向まで続く生活道路でした。先人が切り開き、なるべく歩き易く、最短で辿れるルートである事が地図からも窺い知る事が出来ます。

 まず歩き始めて思うのが、道幅が案外広く、右下に葛川の渓谷が轟音を響かせ、時折危険な崖である事です。大峯山脈から湧き出る谷で水場に困る事はありません。人工的に削られた岩場や堀割りが幾つも有り、丁寧に積み上げられた石垣が目に入ります。

途中までは水源地となっており住民がよく歩いている様です
谷は一気に荒々しくなる様です
朽ちた丸木橋に注意して足元を確認しながら進みます
手作業で岩を削り道を作ったのでしょう。
石垣は綺麗に積まれていて今尚現役で道を支えています

 標高は一気に上がるのでは無く、緩い登り基調で景色を堪能しながら歩く事が出来ました。昨夜の話通り、崩落で巻き道をする場所もあり、時々足を止められますが、かつてはずっと良い道が続いていたのでしょう。

地蔵岳の下辺りで少々ルートが不明瞭になりますが、新宮山彦グループさんの管理もあり、時々現れる小さな道標が安心感を与えてくれます。

道標が心強い

笠捨山に近付くと千年斧入らずと言われる深い杉林になります。手前の地蔵岳に直登出来るルートもある様ですが、葛川辻に辿り着きました。登り初めて2時間15分程で到着し、笠捨山への登りに備え栄養を補給しました。

突如現れた山小屋
今から65年程前に作られた森林開発公団
現在は国立研究開発法人森林研究・整備機構 森林整備センター らしいです
葛川辻に到着。大峯奥駈道が高速道路の様に見えました
少し古い道標石塔
巻き道が元々の逓信道だった様です。現在は荒れているのか上級者向との事

 急な登りもそこまで長くは無く、滑ったブナ倒木の斜面や、少々ガレた尾根を素直に登れば笠捨山山頂です。終始小雨が降り、ガスに覆われて来ましたが、山頂もしっかりガスで眺望はありませんでした。

初めて来た笠捨山
三角点で村境と出会う。ここから北の奥駈道は仏生ヶ岳まで村境の稜線が続きます

 初めて行くルートで初めて訪れた笠捨山です。多くの情報が入り、兄貴との会話も弾んであっという間に到着した様に思えました。
村境はこの笠捨山で合流します。ここから東に茶臼山まで村境は伸びて行きます。ここは難路になり、今回の目的ではありません。蛇崩山への尾根道が村境とのお別れとなりますので、今回はたった2〜3百メートルのお付き合いでした。

次回は蛇崩山への道と、瀞峡までの探索記録を書き残したいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?