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服を縫う

編み物を良くしていましたが、スタイリストになってからは特に縫う仕事も入るようになり、
ミシンを買う事になりました。
当時(1985年ごろ)は、刺繍もできる多機能のコンピュータミシンが流行っていましたが
値段が高いので、最低限できるミシンでいいやと直進、ジグザグ、ボタンホール、端ほつれ止めが付いているだけの物でしたが、18万円程もしました。高かったですね。

CMで使う、「エンジェル」の服とか、丸いテーブルクロスとか、薄ピンクのチュールのカーテンとか、
売ってある物は無さそうな物ばかりで、どう作れば良いのかと試行錯誤で仕事をしていました。

母が洋裁の学校に出ているにも関わらず、私は一切教えてもらった事がなかったのですが、
母が持っていた「装苑」という雑誌は、よく見ていました。
「装苑」という雑誌は、洋裁をする人にはかなり有名な雑誌で、“装苑賞”という賞に選ばれるとデザイナーへの登竜門と言われていて、「コシノジュンコ」「高田賢三」「山本寛斎」「山本耀司」などそうそうたる有名デザイナーが賞をもらっています。

古い「装苑」


私も愛読者になり、当時の「SO-EN」を購読して服の作り方やデザインを勉強しました。
自分に合わせた型紙を作って、ボディコンの服を作った事もあります。
コートなども作っていました。

私の時代の「SO-EN」
鷲尾いさ子ちゃん、仲村トオル夫人です。

そうして、仕事に、私生活に活躍していたミシンですが、うちの猫(デブ凛)が、ひっくり返してコンピュータを壊してしまったのです。
修理に5万円は掛かると言われ、どうしても、ミシンが必要だったので、買い替える事に。
コンピュータまでいらないや、と思ったら、3万円で買えてしまい、落差の凄さを感じました。

そのミシンは、結婚して、仕事も辞めて、子供が産まれて、子供達にも服を作りだして、たくさん作って、充分、活躍してくれました。
子供達が幼稚園に上がる時は、やはり、手作りの上靴入れとバッグは作ってあげたいとその他にも色々作りました。
一時期、バッグを作る事にハマっていました。

マリメッコの布で
リバーシブルになってます
息子の柔道着のリフォーム

最近は、リフォームがメインです。
というのも、時代でしょうか、歳でしょうか、
服をあまり買わなくなってきました。
市販の服に興味が無くなってきたとでもいうのでしょうか。
サイズが合わなかったり、色が好みで無かったり、素材が好きでなかったり。
歳をとるとワガママになるものですね。
と、いう事でポチポチ作っています。

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