みゃおん

還暦過ぎの大人女子です。 娘と二人暮らしです。 若い時の話などしたいなと、思います。

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自己紹介

はじめまして、noteやってみます。 本業は、自称手芸作家。 糸まりを20年程やっています。 日本っぽい物が好きで、編み物や小物なども作っています。 最近は娘が、ピアス開けたのでピアス作りを良くやってます。 食べる事も好きなので、簡単、安いを主に料理も頑張ってます。 昔話がメインになるかと思いますが宜しくお願いします。

    • 熊本県天草 南蛮の島

      若かりし頃、車を走らせ、「たこ焼き」を食べに天草まで行ってました。 天草は、「タコ」が有名で、なんと日本一有名な「明石」のタコが、過去絶滅したことがあり、その際、天草から「タコ」を譲ってもらい、今に至るという事で、「明石」のタコと「天草」のタコは、親戚だというんです。 そんな天草の「たこ焼き」のタコが小さい訳がありません! めちゃくちゃ大きな「タコ」入り「たこ焼き」を食べに天草まで車を走らせていました。 ただ、それだけに熊本の西端の島に何時間もかけて行っていたのです。 若か

      • PTAの仕事

        息子が小学2年の時、PTAの学年役員になりました。 1クラス3人で、2クラスで、6人選出です。 一回は、役員をしなければいけないと言われ、低学年の方が良いのよと聞いてなったのですが、イマイチ、システムが解りませんでした。 子供の学校は、役員でなくても一年の間に、「ベルマーク」「持久走の見守り」「運動会での手伝い」など何かしらの手伝いを一回はしなければ、いけませんでしたから、何をするのかさっぱりわからず、残り物で決めました。 学年長や、広報など働いている方達は土日の出番を望んで

        • くらもちふさこさんのマンガ

          最近、街の古本市で、くらもちふさこさんの「天然コケッコー」が全部揃って売っていたのを見つけて、思わず買ってしまいました❗️ 子供の頃から少女マンガが好きで、愛読書は『りぼん』に、『マーガレット』『コーラス』と“集英社”ばかり。 友達も、“集英社”の漫画家で、浮気する事なく、読んでいました。 と、言っても結婚、出産で、マンガとは少し離れてしまっていて、くらもちさんのマンガも平成あたりから読んでいませんでした。 くらもちさんのマンガは、単行本を初期の頃から昭和時代のものは全部

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        自己紹介

          大皿料理が苦手な我が家

          私は小さい頃から一人っ子だった事もありますが、家では、フォークとナイフも使うちょっと洒落たご飯を出す祖母が居て、一人一人個別の皿に料理が乗っていました。 食が細い私にはそれが良かったのかもしれません。 ノルマではありませんが、これが一人前ですよと言われているようで、食べる量も測れたからです。 母の実家に行くと、料理は大皿、大鉢に盛られ“ドン”とテーブルに並べられます。 それが私には苦痛でした。 だって、目の前の料理しか取れないからです。 ひたすらご飯と、汁物ばかり食べていま

          大皿料理が苦手な我が家

          兵庫県の文通友達

          高校の頃、周りでは『文通』が流行っていました。 私は字が下手で、漫画文字。 文章も自信無く、やっていませんでした。 ある時、友達から自分の文通相手と文通してくれないかと依頼がきました。 というのも、その友達はその頃彼氏ができて、 その彼が嫌がるので男の子との文通が、出来なくなったと言うのです。 で、freeの私の所に話が来たのでした。 それに、「きっと合うと思うのよね。」との事でした。 相手の人には連絡してあるから、OKよ。と少しばかりプロフィールを聞きました。 相手の男

          兵庫県の文通友達

          ベルマーク運動のある小学校

          小学校の父兄のお仕事に「ベルマーク」がありました。 子供が通っていた学校は「ベルマーク運動」が盛んで、ベルマークで、ボールや、一輪車などと交換していました。 子供達の頃(20年ほど前)でも、学校によってはやっていなかった所も多くありました。 今も、そんなもんみたいですね! 商品にベルマークが付いているのでまだ、「ベルマーク運動」あるんだなぁと小さい子供がいなくなった我が家でも感じています。 学校によって、集め方も違ったらしいのですが、子供の通っていた学校は、子供達にも手伝っ

          ベルマーク運動のある小学校

          夏に向けての編み物

          麻・・・linen(リネン)亜麻から出来た繊維です。苧麻から出来た繊維もいいます。 光沢があり、通気性に優れ、服地にしたり、シーツなどにも使用されます。 夏に向かって、小物類を麻で作ろうと何年か前からか作っています。 それは麻でも、麻紐です。ジュート麻から出来ているゴワッとした、硬い紐です。     バッグをいくつか作ってみました。 今は麻紐も色んなカラーがあって楽しいです。 楽しくて、何個も作ってます。 売らないといけませんね、(笑) 長年バッグに入っているポーチも現役

          夏に向けての編み物

          大分市佐賀関町

          全国にも、有名になった「関アジ」「関サバ」 のある佐賀関は、父方の本家があるので、小さい頃からよく、訪れていました。 本家の家は、漁港の直ぐそばで狭い路を少し登ったところにあります。 私が子供の頃は、本家のおじさん(祖母のお兄さん)が漁師をしていて、港に帰ってくるのを迎えに行ったりもしました。 その頃のおじさんは煙突のある小さな漁船に乗っていました。 漁は、主に「イカ」を取っていて、船の真ん中にある煙突に、取って、身を開いた「イカ」を貼り付けて帰ってきていました。 その他、

          大分市佐賀関町

          ローカルCMの作り方

          今はどうしているか解りませんが、私がスタイリストをしていた35年ほど前では、まだ、丁寧に、地道に手作りでCMを作っていました。 CGなどない時代、せいぜいクロマキーくらいでした。 大分駅の近くのスタジオで、よくCM撮影をしていたのですが、徹夜になる事も! 一番多いCM撮影の仕事は、「トキワデパート」の仕事でした。 ある回ではモデルを使ってのCMで、バックにチューリップの花を模した布を敷いて、その淵に子供が天使に扮して羽をパタパタしながら確か着物の女性を見ているというCM

          ローカルCMの作り方

          宇治山哲平画伯

          私の通った大学で、おじいちゃん先生の授業がありました。 主に、鉛筆画や、油絵の授業です。 年寄りだからか、いつも二人もの先生を従えてました。 後に、そのじいちゃん先生は、『宇治山哲平』というまぁ有名な画家である事がわかりました。 二人の先生は、画家先生にいつも付いている「腰ぎんちゃく」と言われていました。 鉛筆デッサンの授業で、私ともう一人仲のいい友達は、描く時、3Bとか4Bの柔らかい鉛筆で、輪郭なんで無視のワシワシ描くちょっとがさつな感じの絵を描くタイプでした。 というの

          宇治山哲平画伯

          子供の日の玖珠町

          大分の玖珠町は、日田と、九重に挟まれた山の中にある町です。 ここは“童話の里”と言われており、デンマークから日本のアンデルセンと呼ばれた、童話の語り部『久留島武彦』の出身地なのです。 『久留島武彦』は、「夕焼けこやけ」の作詞家としても有名です。 日本に、ボーイスカウト運動の基礎を築いた人でもあります。 毎年、子供の日にはジャンボ鯉のぼりが河原でお目見えするのですが、今年は、『久留島武彦』の生誕150年にあたり、イベントも盛りだくさんらしいです。(5月4.5日だそうです)

          子供の日の玖珠町

          最近、寝ている時咳が出てきて止まらない事があるので、息子から、「龍角散のど飴」が良いよと聞いたけど、寝ている時、舐めるのはちょっと怖い! で、見つけたのは「龍角散ののどすっきりタブレット」 小さくて飲み込んでしまっても大丈夫👌 舐めても噛んでも咳に効くので、 GOODでした❗️

          最近、寝ている時咳が出てきて止まらない事があるので、息子から、「龍角散のど飴」が良いよと聞いたけど、寝ている時、舐めるのはちょっと怖い! で、見つけたのは「龍角散ののどすっきりタブレット」 小さくて飲み込んでしまっても大丈夫👌 舐めても噛んでも咳に効くので、 GOODでした❗️

          社宅での友達

          二件目のアパートは、小学から高校、その後少し住んでいました。 同じ社宅で、同級生の女の子が一人いました。 3人兄弟の末っ子で、同じ広さのアパートです。5人家族での2DKは、狭かったのではないかと思います。押入れをベッドにして住んでいました。(本当は、そのベッドに憧れを持っていました) その子は小学3年で越してきた私に優しくしてくれて、直ぐに友達になりました。 その頃集団登校をアパートではしていて、学校迄、ちょっと遠かったので帰りも一緒に帰っていました。 遊びも一緒でした。

          社宅での友達

          ハウステンボス

          「ハウステンボス」は1992年開園のテーマパークで、今や、知名度はとても高いと思っています。 長崎県西海市にある「オランダ村」が、大きくなったもので、今は「旧オランダ村」は、大村湾の対岸にあり、市役所になっています。 元々干拓地だった土地を生かした「ハウステンボス」は、長崎県佐世保市ハウステンボス町と町名にもなっています。 オープンして程なく、その時勤めていた会社の社員旅行で行きました。 出来立ての頃はまだ、アトラクションも少なく、日本一の広大な土地のため(ディズニーリゾー

          ハウステンボス

          社宅の生活 二軒目

          昭和45年の夏、戦前の下町の様な古い社宅から、表参道の同潤会アパートの様なコンクリート三階建てのアパートの社宅に引っ越しました。 前より新しいと言っても、多分戦後直ぐのアパートだったと思います。 同じ、市内でしたが、高台(山の上)で、3階に入居したので、とても眺めのいい部屋でした。 最初の社宅と大きく違うのは、トイレが水洗だった事です。水道の蛇口も、台所、その横の洗面台、トイレ、ベランダにもありました。(ベランダに洗濯機が置けるようになっていました。靴などを洗う流しも付いて

          社宅の生活 二軒目