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肥後藩、参勤交代道路

大学や、就職と大分に住んでいたのですが、祖母との二人暮らし、親はというと150km離れたところに住んでいました。
昔から、阿蘇を横切り、祖母の住む大分に里帰りをする事があったのですが、その時も道すがらよく見ていた光景に、阿蘇で、自転車に乗って旅をしている人達の姿でした。

熊本から大分へは、江戸時代、熊本の肥後藩の参勤交代道がありました。

肥後藩の参勤交代道路地図


熊本市内から阿蘇を抜けて、久住、野津原、鶴崎と山越えをして、鶴崎から船に乗って江戸に登っていたのです。
とても大変な旅ですよね。
今も、参勤交代道の名残で、松の木が残っていたり、石畳が残っていたりします。

久住の松林
野津原今市の石畳
上の写真は阿蘇市の石畳


その道を辿るのも面白そうですよね。
実際、大分で、子供達が、参勤交代道を通って熊本城まで125km歩くイベントが毎年行われています。

石畳を通って

自転車の旅も、してみたかったのですが、私が持っているのは「ママチャリ」
ちょっと無謀なチャレンジと思っていました。
その後、原付バイクに乗る様になって、もしかしたらいけるのでは無いか!
とも思ったのですが、結果、チャンスは訪れませんでした。

そうこうしていたら、車になってしまい、参勤交代道は車で走る事となりました。
若さもなくなりかけた頃、あるニュースを見ました。
私の母校の女の子の大学生が大分から山口の家に、原付バイクで帰ったというニュースでした。
何故、ニュースになったかというと九州から本州へは、関門海峡があり、トンネルを利用しなければなりません。
関門トンネルは、車道と歩行者道の2段のトンネルになっていますが、原付バイクは、通行料を払っても車道は走れないのです。
ですから、押して歩行者道を通らなければなりません。
ところが、その子は歩行者道をバイクに乗って走らせて通行してしまい、捕まってしまったのです。
それで、ニュースになったのでした。警察に尋問され、大分市から山口の実家に帰る事を告げたらしいのですが、200km程の距離です。
凄い強者です。お見それしてしまいました。
その子は復路、ちゃんとバイクを押して、関門トンネルを渡ったと伝えていました。

そんな強者を知って、すんなり諦めてしまいましたが、車で参勤交代道路を走る時、自転車やバイクで、旅をしている人達は、羨ましく感じます。

阿蘇路は楽しそう

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