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父を語る

今日は、父の命日です。
それで父の話をしたいと思います。

私は父とは、大変仲が良かったと思っています。
無口で、大人しく、あまり前に出るようなタイプでは無い職人気質の父でした。
父は、工業高校の機械科を、出ています。
子供の頃から機械いじりが好きで、ラジオとか作っていたそうで、東京に住んでいた頃は良く「秋葉原」へ行っては部品を購入していたそうです。

父は若い頃から「剣道」をしていました。
会社の方からの誘いで、剣道を教える事になりました。
その頃、私は「小児喘息」を患っており、身体が弱く何回も発作で、死にかけていました。
新聞記事で、剣道で喘息を治した。というのを見て、私も、中学生から父が教えているクラブに入る事になり一緒に剣道をする様になり、お陰で身体も強くなりました。
三段だった父も、五段まで昇格しました。
その後、父とは良く会話をする様になりました。昭和の男は無口が多い。と、高倉健さんではありませんが、本当の父は、とてもおしゃべりでした。
父は途中から、「居合道」も習い始め、刀も真剣を購入して、五段まで取りました。

趣味は、テレビで昔の映画を見る事でした。
戦争物、西部劇、SFが好きで、たいがいの映画は付き合いました。ですから映画を私もたくさん見ています。
アニメも好きで、「宇宙戦艦ヤマト」や「ガンダム」などロボットアニメもよく見ていたようです。
テレビドラマでは、「コンバット」が好きで、ビデオに撮っては、送ってあげていました。

コンバット

定年後、故郷の大分に、戻ってからも昔の友と
剣道を教え、居合いをして、80歳頃まで過ごしていました。

10年ほど前、父の弟が亡くなりました。
東京に住んでいた弟は、癌でした。
そのすぐ後、息子の大学が決まり、それならと両親を連れて、東京に息子の入学式を兼ねて行きました。
父は戦後少し住んでいましたが、その後は甥の結婚式で上京して以来40年ぶりくらいでした。

新宿


すっかり変わり果てた東京に戸惑っていましたが、歳というのもあり、そそくさと弟の仏前に参って、息子の入学を祝うと帰ってしまいました。

娘の入学も、上京することはなく、日々弱っていったという感じでした。
昭和初期生まれで、家事、子育ては一切しない頑固オヤジでした。が、
孫には弱く、子供達が小さい頃遊びに行くと、まずは「トイザらス」に行き、息子にはミニカー、娘にはリカちゃんのグッズを買ってくれました。

父も母も今はいません。
あっという間に亡くなってしまいました。
亡くなった後、実家を整理していたら、子供達用の小遣いが少しではありますが貯金されていました。
いつも年金生活で、慎ましい生活をしていたのにです。

ただ、父も母も居なければ、私や子供達もいない訳で、ほんの小さな一家の小さな人生ですけど私にはとても大切な人達なんだなぁと思えるのです。

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