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PLAYBOY

  という伝説的な雑誌があった。週プレではなくて、月刊誌の方の。廃刊になってしまったのだが、私は、Amazonで中古の日本版と本家アメリカ版を集めていた。
  時事問題やらエッセイやら美しいヌードやらのごった煮といった刺激的な雑誌である。女性の私でも楽しめる内容である。
  趣味を紹介する感じで、これから定期的にPLAYBOYから面白そうな内容を抜粋して載せていこうと思う。
  第一回目は、若い頃の創刊者ヒュー・M・ヘフナーについて。

【1953年の夏の終わり、カーキ色のズボンに厚手の綿ソックスとコイン・ローファーを履き、居間の小さなテーブルで仕事をする痩せた若者は、男性向けの新しい雑誌をつくろうとしていた。
若者は27歳のヒュー・M・ヘフナー。雑誌をつくるのが彼の生涯をかけた夢だった。
誌名は“Stag Party”にする予定でいたが、図らずも土壇場でPLAYBOYに変わった。
創刊号ができあがるまで、彼は自分のつくった雑誌が全米の性意識に影響をあたえ、世の中にそれまでなかった新しいライフスタイルを打ち出して、史上空前の売れ行きを示す男性雑誌になろうとは考えてもいなかった。
‥‥
早くも50年代の終わりには、ある批評家が毎月PLAYBOYを買うために行列する100万人余りの若者たちをさして「一世代の集団脱獄」と評した。
それは来るべき時代の雑誌だった。
‥‥
しかし、セックスばかりがPLAYBOYの扱うテーマではなかった。ヘフナーが当初から考えていたのは内容の多彩な雑誌、一流の小説や挑発的な漫画を載せ、若い読者に「豊かな暮らし(グッド・ライフ)」を垣間見せる最新流行の男性ファッションや食べものや飲みもの、自動車やステレオなどを取り上げた画期的な特集を組んで、都会で暮らす男性の案内書となる雑誌をつくることだった。「ヘフナーの非凡なる能力は」とキンゼー研究所のポール・ゲファート博士は言った。「セックスの社会的レベルを向上させた」。
‥‥
彼は孤軍奮闘してアメリカの男性のための雑誌と新しい生活様式を生み出した。
‥‥
万雷の拍手で迎えらた創刊号を皮切りに、この青年はやがて雑誌の歴史に残るもっとも素晴らしい成功者となる。】

PLAYBOY 40years ピクトリアルコレクション(同朋社出版、常盤新平訳) p14、p16より文章の一部を抜粋。画像はGoogleから引用。

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