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【小説練習】少年と残響①【長編】

朝焼けが澄み渡る青空を透かすように輝く。激しくゆっくりと波打つ水平線を見ながら、少年は大人に誓った。
大人は、少年に向けて、自らの思いを伝え、少年を認めたのだった。
あの日の晩は今でも思い出せる。塾から帰り、一人で食事をしながら、僕は最終回を見ていた。涙を流し、さよならをした。
その日、僕の心の中で永遠と思える原動力が生まれた。
憧れ。僕の全てになった。

誓った。

でも、だ。

第一章 インターハイ1日目



カーン

もはやアリーナといえる広さの体育館の中で低い金属音が鳴り響いた。
仮設の壁で囲まれただけの小さい控室の中で、僕は試合終了のゴングを聞いた。
「ただいまの試合。正三高校の水戸伊豆くんの3ラウンドTKO勝ちです。」
沢山の声や雑音を押し退けて、大きな体育館中に聞こえるアナウンス。僕の耳には、ぼんやりと響いた。
「よし、行くぞ。」
コーチが僕の肩を叩き、僕はマッピを軽く噛み締め、うなづいて立ち上がる。
控室を出て、青い布が轢かれたロードを進み、ばかでかいプロジェクター紙の裏から出ると、広い体育館にでかでかと置かれた2つのリングが見えた。さっきまで試合をしていた選手達が荒い息と汗を流しながら、セコンド陣に引きつられてリングを出るとこだった。
次の選手達がリングに入っていく。
僕は2番リングの青コーナーの待機場所に座ってリングの方を見ていた。
とは言っても、実際はその向こうで僕と同じように待機している対戦相手を見ていた。
のっぽだが、筋肉質な身体付きをしていて、仲間と軽く言葉を交わしている。
「いいか、恭助。お前はいつも通りワンツーを繰り返していけばいい。」
「はい、はい。」
コーチの言葉に僕は答えていたが、自分を保つので精一杯だった。気を抜いてしまったら、僕はどろっとした肉になって、床に崩れてしまう気がした。
近くには今の試合高校の応援団がいる。そうでなくても、スタンドには沢山の人がいた。
うるさいくらいの人の音と、会場の照明が重々しくのしかかっていた。空気にすら熱気の重量があるようで、呼吸するだけで尻の方に不安が重く溜まっていくようだった。
どうにかなってしまいそうだ。

カーン

あっというまに前の試合も終わった。
プロジェクター紙に僕の名前と相手の名前が映し出された。
青の背景に白文字で描かれている「井上秀樹」という名前。現実感がまるでなかった。
コーチ、セコンドの先生と大輔が、僕の背中を叩いた。
たかが三段の階段を緊張で固まる足でゆっくり踏み締めて、リングの中へ入った。
白く照らされたリングは実際よりも広く、高い場所にあるみたいだった。
山に登った時の感覚に似ていた。でも、山のような開放感はなく、あるのは心臓を握られたような閉塞感。
「先輩ファイトー」
重なった声が聞こえて振り返ると、後輩達がリングの近くに来ていた。無理して手を上げ、大丈夫だと示した。
「恭助、出し切るだけだ。お前のワンツーで押し切れ。」
「恭助、出し切りな。後悔ないようにな。」
「恭助くん、大丈夫だよ、ファイト!」
コーチ、先生、大輔の言葉にうなづいて、リングに上がった対戦相手の方に向き直った。
遠目にみたより、ずっと威圧感を感じた。屈指運動と軽いステップをして、いかにもボクサーという余計なものが取れた腕を素早く突き動かしてウォーミングアップをしている。
僕は自分の堕肉の落ちきってない腕のことは忘れて深呼吸した。どろどろな自分がなんとか形を保って立っていた。

セコンドアウト

リングの真ん中に向かう、相手は僕より少し上から肩を揺らして僕を見下ろしていた。
小さな目と目があった。その目は捕食者を思わせた。その目は正しく思えた。僕と彼が並んだ時、僕は紛れもなく被食者になるのだろう。
でも、それでも。
レフェリーがグローブ、カップ、マッピの確認をして、僕は対戦相手と拳を合わせ、下がる。

カーン

「BOX」
僕は恐怖を置き去りにするみたいに、突進するように駆け出し、素早く左を伸ばした。
もちろんうまく当たるはずがない。相手は綺麗にアームブロックでいなす。
僕も一発じゃ終わらない。左の連手を打つ。
相手はうまく左右にいなしながら避ける
僕の渾身の右ストレートはガードの上に入った。
それもいつものことだ。僕はガードの上からでも構わずストレート、フックを、鈍いながらも打ちまくった。
相手はそんな大振りな僕の隙を狙い、フック、ストレートを打ち込んでくる。
アームで受けようとしても、真っ直ぐ以外のパンチは結構当たる。だが、痛みなんてどうでも良かった。顎を引き、重い一撃にふらつかないように耐える。
後ろ下がらないことだけを考えて、腕をとにかく出していった。
しばらくすると、緊張で引き締められていた心臓を勢いよく動かしたツケが周ってきた。肺が締め付けられるみたいに息が苦しくなってきた。腕はうざったらしい肉塊と化し、鈍く動き、だんだん下がってくる。それでも、ラッシュを続けた。
そんな隙だらけの攻撃を相手が見逃すわけもない。
ゴン!
何だかわからない鈍い音が頭の右側に響いて、頭が大きく上がってしまった。
「ダウン! ワン、ツー……」
レフェリーのカウントが、ぐらぐらする頭に響く、一瞬理解が出来なかった。ショックだった、いくらなんでも1ラウンド目からダウンを取られるとは、おそらくフック。それをまんまと喰らってしまった。
でも、と腕を構えた。
「行けます。」
切り替えなくちゃ。
コーチ、先生、大輔、高校のみんなが口々にアドバイスを飛ばす、
「大丈夫、落ち着け!」
わかってる。小声でそう言って、ニュートラルコーナーから、相手に向き直った。
1ラウンドはあと半分ほどだ。とりあえずガードを高くするんだ。
「ファイ!」
再び突っ込むような勢いで相手にラッシュを仕掛けた。相手も疲れはきたようだ。距離が近くなり、荒い息を聞きながら、ボディを打つタイミングが多くなった。
半分体重を相手に預けながら、重い右を感覚で相手のボディに打ち込んだ。そして、鉛のような両足をなんとかバックステップさせ、ボディに意識が行っている相手の顔面に右ストレートを仕掛けようとした。その時、
ガン!
再び右からなんだかわからない衝撃を食らったらしかった。
大きく頭が上がった僕をみたレフェリーが、
「ダウン!」
と大きく叫んだ。
リングの周りの熱が一気に落ち着くのを感じた。
それはまさしくさーっという表現なのだけど、僕自身は、ズルズルと熱がよくわからないまま下がっていくのを感じた。
肺の苦しさが治って、コーチにグローブを外されているあたりで、僕は僕の負けがはっきりわかった。
すでに身体に流れる大量の汗が冷えていく感覚を感じていた。
レフェリーに右手を掴まれる。でもその手が上がることはない。相手の左手が挙げられた。
力なく開いた手の中の、僕の生きる熱が、バンテージの隙間から漏れ出ていく感覚があった。
相手と握手を交わし、リングを降りて、また相手に挨拶して、ドクターの元にいった。
「名前いえるかなー。」
「はい。」
僕はやけにはっきりとドクターの質問にいちいち答えた。
コーチ、先生、大輔に連れられ、体育館倉庫の道を進んでいると、後輩達が待っていた。
「おお、皆んな、ありがと……」
近づいて気がついた。
幹久が目に涙を溜めて、しゃくりをあげていた。
「おいおいなんでお前が泣くんだよぉ」
笑いかけたが、隣の加奈子の目も潤んでいた。
「おいおい……」
だが、僕の内側からも、何か熱いものがあき上がってきてて、
「ごめん、ごめんなぁ」
顔を顰めて、目と鼻から出る水を必死で戻そうした。
コーチと先生が僕の肩をさすった。
顔を覆って、口を塞いだ。顎のしわがなよなよしく震える。
終わった。
僕の最後の試合はたった1ラウンドで終わった。

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