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【お試し版】小説『海島冒険奇譚〈海底軍艦〉』

これが日本版『海底二万マイル』!? 1900年に執筆された「日本SF界の父」押川春浪による海洋冒険小説。明治・大正期の少年たちを虜にし、東宝特撮映画『海底軍艦』の原案ともなった伝説の冒険小説が現代語訳&注釈付きで登場!
19世紀末の帝国主義の激動の時代……果たして、「私」と日出雄少年、そして櫻木海軍大佐の秘密兵器〈電光艇〉の運命やいかに。




 私が世界漫遊の目的を持って横浜の港から出帆したのは、すでに六年も前のことになる。
 はじめはアメリカに渡り、それから大西洋の荒波を横切ってヨーロッパに渡り、イギリス、フランス、ドイツなどの名高い国々の名所や古跡を遍歴した。その間に月を重ねること二十ヶ月あまり、おおよそ一万五千里の長旅の後、ついにイタリアに入り、昔から美術国の誉れ高いその様々な珍しい眺めを足が吊るほどに眺めることができた。
 これから我が懐かしき日本へ帰ろうと、その夜、十一時半に抜錨する東洋行きの蒸気船〈弦月丸〉に乗り込もうとして、国の名港であるナポリの港(1)まで来たのが、そう、今からちょうど四年前、季節は桜散る五月の中旬、ある晴れたうららかな日の正午であった。
 街外れの停車場から客待ちの馬車を拾って海岸付近のある宿に着き、部屋も決まってやがて昼食も済むと、もはや何もすることがなくなってしまった。船の出港まではまだ十一時間以上もある。長い旅行をしたことがある諸君にはお察しだろうが、知る人もない異郷の地で蒸気船の出発を待つほどつまらないものはない。立ってみたり、座ってみたり、新聞や雑誌を広げてみたりしたが、何も手につかない。いっそのこと昼寝しようか、いや街でも散歩してみようか、と思案しつつ窓に寄って外を眺める。
 眼下に見下ろすナポリ港の海はまるで鏡のようだ。港に入る船、出る船、停泊中の船、それらの船々の甲板の模様や、マストの上に翻る旗印、また遠くの波止場からこちらにかけて並ぶ奇妙な形をした商館の屋根などを眺めながら、ただただわけもなくぼんやりしていると、ふと思い浮かんだことがあった。

 それは、濱島武文はまじま たけぶみという人物のことだった。

 濱島武文とは私がまだ高等学校に席を置いていた頃……そう、かれこれ十二、十三年も前のこと。彼とは同じ学びの友だったのだ。彼は私より四つ五つの年長者で、したがってクラスも違っていたので、四六時中交流していたわけではなかったが、当時、構内で運動の上手な者とむやみに冒険旅行好きな者として、彼と私はとくに有名だった。
 そのこともあって、なんとなく離れがたく思っていたが、その後、彼は卒業して、本来なら大学に入るべきを他に望みがあると称して、間もなく日本を去ってしまった。
 初めは志那(中国)に渡り、それからヨーロッパに渡ったと聞いている。六、七年前のこと、ある人がフランス・パリの大博覧会(2)で彼に面会したことまでは知っていたが、私も絶えず方々に旅行する身(3)であり、その後の詳しい消息については耳にしていない。
 ただ風の便りによれば、最近ではもっぱら貿易事業に身を委ねているそうだ。イタリアの栄えている港に立派な商会を立ち上げたと、おぼろげながらそう伝え聞いている。
 イタリアの栄えている港と言えば、ここは国中随一の名港であるナポリ港だ。波止場から海岸通りにかけて商館の数も数多ある。もしかしたら濱島もこの港でその商会とやらを営んでいるのではないだろうかと思ったので、じつに雲を掴むような話だが、万が一にもと宿の主人を呼んで聞いてみると、愕然した!
 主人は私の問いを終わりまで言わせず、ポンと禿げ頭を叩いて、

「おお、濱島さん! よく存じておりますよ。従業員が千人もいてですね、支店の数も十本の指に入るぐらいで……ほー、そのお宅ですか、それはですね、こういって、ああいって……」と、身振り手振りで説明し、窓から首を突き出して、
「あれです。あそこに見える、立派な三階建ての家!」

 海に隔たれた遥かな異国では、初対面の人でも同じ故郷の生まれと聞いたら懐かしいと思うものだが、それに増して昔馴染みのその人が、今現在、この地にあると聞けば、いてもたってもいられない。私はすぐに身支度を整えて宿を出た。
 宿屋の禿げ頭に教えられたように、人と馬が行き交う街道を西へ西へと、およそ四、五〇〇メートル(4)、とある十字路を左に曲がると、三軒目に立派なレンガ造りの建物があった。
 門には『T. Hamashima』と標識が出ている。案内をお願いすると、すぐに見晴らしのいい客室に通された。待っていると、ほどなくして靴音を高く響かせながら入ってきたのは、まさしく濱島だった! 十一年も見ぬ間に、彼は立派な八字髭を生やし、その見た目もよほど違っていたが、相変わらずの洒落男で「やあ、柳川君か、これは珍しいな! いや、珍しい!」と、下にもおかぬもてなしようだった。
 私は心から嬉しかった。髭が生えていても友達同士の間は無邪気なものだ。色々な話の間には、昔ともに山野に狩りに出て、農家の家鴨を誤射してひどい目に合った話や、春の大運動会に彼と私とで組の選抜選手となり、必死に優勝旗を争ったことや、その他、様々な思い出話が出てきて、時が経つのも忘れてしまった。
 ふと気づくと、この家の様子がなんとなく忙しそうだった。辺りの部屋では誰彼が話し合う声がやかましく、廊下を走る人の足音も早くただならない様子だ。
 濱島は昔からごく冷静な人で、何事にも平然と構えているから、どう思っているのかはわからないが、今、コーヒーを運んできた小間使いの顔には、その忙しさが目に見えているので、もしかしたら、タイミングが悪い時に来てしまったのかもしれな い。
 私はふいに顔を上げ、「なにか忙しいんじゃないのか?」と問いかけた。
「いやいや、全然。ご心配なく」と彼はこの時、コーヒーを一口飲んだが、悠々と鼻下の髭を捻りながら「なに、じつは旅に出る者がいるんだ」

 おや、どなたがどこへと、私が問おうとするより先に、彼は口を開いた。

「時に、柳川君。君は当分、この港に滞在するのだろう。それで、スペインのほうを巡るのか、それとも、さらに歩を進めて、アフリカ探検にでも出かけるのかね」
「あははははっ」と私は頭を掻いた。「いや、昔話の面白さについ申し遅れてしまったが、じつは早急に経つ予定なんだ。今夜十一時半の蒸気船で日本に帰るんだよ」
「えっ、君もかい?」と彼は目を見張って、「やっぱり、今夜十一時半の〈弦月丸〉で?」
「ああ。残念だけど、スペインやアフリカのほうは断念したよ」と私がきっぱりと答えると、彼はポンと膝を叩いて、
「なんだ、奇妙だな。じつに奇妙だ」

 なにが奇妙なのだと私の訝しげな顔を眺めつつ、彼は言葉を続けた。

「なんとも奇妙じゃないか。これこそ天のめぐり合わせとでも言うのか、じつは俺の妻子も今夜の〈弦月丸〉で日本に帰国するんだ」
「えっ、君に奥さんと息子さんがいたのか!」と私は意外にも叫んだ。

 十一年も会わぬ間に、彼に妻や息子ができたことはなにも不思議なことではないが、じつは今の今まで知らなかった。その上、その人が今まさに本国に帰るなどとは、まったく寝耳に水だった。
 濱島は声高く笑って、「ははははっ、そういや、君にはまだ紹介していなかったな。これは失敬、失敬」と忙しそうに呼び鈴を鳴らして、入ってきた小間使いに「妻に珍しいお客さんがきたぞ」と言ったまま、私のほうに向き直り、
「じつはな、こういうわけなんだ……」と私に寄っていって続けた。

「この港に貿易商会を設立した翌々年の夏だ。その頃、君はタイ王国を漫遊中だったな。俺はちょっと日本へ帰ったんだが、帰国中、ある人の紹介で同郷の松島海軍大佐の妹を妻にめとってきたんだ。まあ、これはすでに十一年も前のことで、その後で生まれた子どもも今や八歳になるけどな。
……それはさておき、自分はこうして海外の一商人として世に立っているものの、せがれにはどうか大日本帝国の守りとなる立派な海軍軍人となってもらいたいというのが、俺の日頃の望みなんだ。
日本人の子は日本の国土で教育しなければ愛国心も薄くなるというのは、俺も深く感じているところで、幸いにも妻の兄は本国でそれなりの軍人だから、その人の手もとに送って、教育の世話を頼もうかと、かなり前から考えていたんだが……それもうまい機会がなくてな。
それで、今月の初めに本国から届いた郵便によると、妻の兄の松島海軍大佐は、かねてより帝国軍艦〈高雄〉(5)の艦長だったが、近頃、病気のために待命中(6)らしいんだ。もちろん、危篤というほどの病気ではないんだが、妻もただ一人の兄だし、できるなら自ら見舞って、久しぶりに故郷の月を眺めたいとの願いがあって、ちょうど、せがれのこともあるので、それならこの機会にというので、二人は今夜の十一|時半の〈弦月丸〉で出発ということになったのだ。
無論、妻は大佐の病気次第で早かれ遅かれ帰ってくるが、息子は長く、日本帝国のあっぱれな軍人として出世するまでは、富士山の麓を去るのを許さないつもりだ」

 そう語り終わって、彼は静かに私の顔を眺め、「それで、君も今夜の出帆なら、船の中でも日本に帰った後も、なにとぞよろしくお願いするよ」
 この話で何事も明らかになった。それにつけても濱島武文は昔から面白い気質をしている。ただ一人の息子を帝国の軍人に養成させんがために親子の絆を断ち切って、本国に送ってやるとは、ずいぶん思い切ったことをしたものだ。
 それに松島海軍大佐の妹という彼の奥さんにはまだ面会していないが、兄君の病床を見舞わんがために、しばしでもその夫に別れを告げて、愛しい息子を携えて万里の度に赴くとは、なかなかに殊勝な振る舞いだと、心密かに感服する。
 さらに想いをめぐらすと、この度の出来事は、何から何まで小説のようだ。
 海外の万里の地で、ふとしたことから昔馴染みの友達に出会ったこと。それから私がこの港にきた時は、偶然にも彼の夫人と令息がここを出発しようという時で、申し合わせたわけでもなく、同じ時に同じ船に乗って、これから数ヶ月の航海をともにするような運命に立ち会ったのは、じつに濱島の言う通り、これが不思議な天のめぐり合わせとでもいうものだろう。
 そのように思って、しばしある想像に耽っていた時、たちまち部屋の扉を静かに開いて入ってきた二人がいた。言うまでもない、夫人とその息子だ。
濱島は立ち上がって、「これが私の妻、春枝だ」と私に紹介し、さらに夫人に向かって、私と彼とか昔同じ学友であったこと、私の今回の旅行のこと、またこれから日本まで夫人たちと航海をともにするようになった不思議な縁について短く語ると、夫人は「あらあら」と言って、とても懐かしげに進み寄った。
 年齢は三十六、七ほど、眉の麗しい口もとの優しさといい、ちょうど天女のような美人だ。
 私は一目見て、この夫人がその姿のごとく、心も美しく、世にも高貴なご婦人なのだろうと思った。
 一通りの挨拶を終えた後、夫人は愛する息子を呼び寄せた。招かれて臆する様子もなく私の膝もと近くに歩み寄ってきた少年。歳は八歳、名は日出雄(ひでお)と呼ぶらしい。さっぱりとした水兵風の洋服姿で、髪はふさふさとした色のくっきりと白い、口もとは父親の凛々しいのに似て、目もとは母親の清々しさをそのままに、見るから可憐な少年だった。
 私はほどなく、昨夜、ローマからの汽車のなかで読んだ『小公子』(7)という小説の中の、あの愛らしい主人公を連想した。
 日出雄少年は海外の万里の地に生まれて、父母の他には本国人を見ることも稀なこともあって、幼心にも懐かしいとか、嬉しいとか思ったのであろう。その清々しい目で、しげしげと私の顔を見上げていたが、「ねぇ、おじさんは日本人なんだね!」と言った。
「私は日本人ですよ。日出雄さんと同じ国の人です」と私は抱き寄せて、「日出雄さんは日本人は好きなのかい? 日本のお国を愛しているかい?」と問うと、少年は元気よく、
「うん! 僕は日本が大好きなんだ。日本に帰りたくてたまらないの。それでねぇ、毎日、日の丸の旗を立てて、街で戦争ごっこをしているの。それでねぇ、日の丸の旗は強いんだよ、いつでも勝ってばかりいるんだよ」
「ああ、そうですとも。そうですとも」と私はあまりの可愛さに少年を頭上高くに持ち上げて、「大日本帝国万歳!」と小躍りをした。
 当然、濱島は大笑いし、春枝夫人は目を細めて、「あらあら、日出雄はどんなに嬉しいんでしょう」と言って、紅のハンカチでその笑顔を覆った。

注釈:
1)ナポリの港 原文では「ネープルスの港」となっている。ネープルス(Naples)は「ナポリ」の英語読み。
2)フランス・パリの大博覧会で この小説が書かれた当時(一九〇〇年)には、ちょうどパリ万国博覧会が行われていたが、話の流れ的に過去の回想なので、エッフェル塔などが公開された一八八九年のパリ万博のことだと思われる。
3)絶えず方々に旅行する身 原文では、「南船北馬の身」という表現。
4)四、五〇〇メートル 原文では、「四五町」。一町は六十間で、約一〇九メートル。窓から建物が見えるように、そこまで離れてない近所に位置している。
5)帝国軍艦〈高雄〉 一八八九年に就役した国産初の巡洋艦。日清戦争では、威海衛の戦いなどに参加する。言うまでもなく、「松島海軍大佐」なる艦長は実在しない。
6)待命中 その地位を保たせながら、具体的な地位を担当させないこと。旧制度では、陸海軍武官や外交官などに適応された。現在では特命全権大使と特命全権公使にだけ認められる。詳しくは、外交官乃領事官官制(明治三二年)を参照のこと。
7)小公子 フランシス・ホジソン・バーネットによる児童向け小説「Little Lord Fauntleroy」。ニューヨークのスラム街で育った少年が、英国にある祖父の老貴族の屋敷に迎えられ,次第に仲良くなっていくという内容。一八八六年刊行。


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