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「紆余曲折」

どうも皆さんお久しぶりです。
現代政策学部社会経済システム学科 4年 
三輪勇太です。
最初で最後のブログを書きたいと思います。どうせ書くならと思い、超長々と話すかもしれませんがご理解ください。あと誤字脱字があったらすいません。


自分がサッカーを始めたのは、幼稚園年中の頃仲のいい友達が幼稚園でやっていたサッカー少年団に自分も入りたいと思い、サッカーを始めました。


サッカーを始めたはいいがそこまで熱中していませんでした。だんだんサッカーと真剣に向き合っていくにつれて、放課後もサッカー漬けの毎日を送りました。そこでサッカーって楽しいって思えたのが、ここまで続けてこれたきっかけでもあります。



小学校の頃から振り返っていたら長くなってしまうので、中校校までの経歴を簡単に書きますね。



小学校低学年の時はキーパーをやっていました。でもつまらなかったので、フィールドプレーヤーに変更して右サイドバックでプレーし、中学に上がり部活ではなくクラブチームに入るもチームメイトとの体格差は大きく、試合に出れても途中出場。


そこでコーチから
「お前は佐藤寿人みたいになれ」
と言われ、youtubeで佐藤寿人のプレー集を漁り、サイドハーフ・トップ下にポジションを変更。すばしっこさを生かしてひたすらダイアゴナルランばかりしてました。笑



そして高校、、



高校生になった自分は、部活ではなくクラブチーム出身だという自信から、謎に誰にも負ける気がしませんでした。


一年生の最後の方にはTOPチームに呼ばれ、二年生から試合に出れるようになりました。選手権では、あと一歩のところで惜しくもPKで負けてしましました。あと少しで目標であるスタジアムでの試合だったのに負けてしまったので、泣き崩れました。




ちなみに対戦相手にはゆあんがいました。正直、聖望高校なんて全然でもなかったなとか言ってみたり(笑)




進路選択のタイミングで自分はサッカーを続けようとは思っていませんでした。勉強することは嫌いでしたが、サッカー自体は好きだったので、高校の監督と当時の城西の監督の仲が良かった為、練習参加は一回もせずに城西に入ることを決めました。





そして本格的に大学サッカー人生が始まり、自分はもちろんBチームスタート。自分が大学に入ってからスリーバックというものを初めて経験したのもあって、その時はアウターをやっていましたが、サイドバックがいない不安感というのに恐怖を感じました。



そのまま数か月が過ぎると、自分はインナーをやっていました。そこでよかったのか入部して数か月で、一つカテゴリーを上げ、Aチームに昇格。当時の指揮官である今野さんのイメージにはまったのか、一年生且つスタメンで試合に出れていました。



自分でも何が何だかわからないままプレーしていましたね。そしたらたまにTOPサブの試合に呼ばれたり、かなりいい大学サッカーのスタートを切れたのではないかと思います。



リーグ戦に関しては確かコロナの影響で、降格はなかったがその時のIAは敗戦ばかり。大学サッカーの難しさとレベルの高さを改めて実感しました。



二年生に上がり、カテゴリー発表される際にわんちゃんTOPじゃね?とか思いましたが、
そんなに現実はあまくない。もちろんAチームでした。



TOPチームに上がることを目標に過ごしていましたが、後輩が入ってきたこともあり、二年生でも試合に出れるか心配になりながらも、最初の方は試合に出ることができました。



しかし、後期が始まる頃には後輩にポジションを奪われ、途中出場がほとんど。



なんならシーズンの最後の方ではメンバー外も初めて味わいました。かなり悔しかった。相当悔しかった。



二年生は苦しい時期でしたね。だからか、思い出が少ないです(笑)



そして三年生。



変わらずAチームの自分はTOPチームに上がることを目標にプレーしました。この年のAチームの四年生が例年と比べて少なく、四年生のほとんどがTOPチームにいたためやっと自分の出場機会が回ってきたのではないかと思いました。


そしてもらった背番号は9番。


期待されているのかなとか密かに思いながら、開幕戦。その試合では、あおと、こーた、りゅうせい、もとき、ゆあん、しゅうまと同期が沢山いるという楽しい時期で、自分はスタメン且つゴールも決め5-1で勝利をすることができ、いい思い出となりました。


このときのIAは本当に楽しく、サッカー人生で一番楽しい時期だったといっても過言ではありません。楽しみながらもしっかり結果を残し、夏にはTOPの大阪遠征に呼ばれ、ほぼ旅行みたいな遠征をしてきました。





「やっと目標だったトップに上がれた。」





本当にうれしかったです。しかし自分はこう見えてビビりな一面があり、トップの威圧に押し負け、本来のプレーを折角呼んでもらった遠征や練習、遠征前の練習試合でも発揮することができず、遠征終わりにはまたAチームに逆戻り。




「情けない」の一言に尽きる




今思えばそこで自分は天狗になっていたのだと感じます。一回トップに行ったからといって何もせずに帰ってきた。


そこでもう一回気を引き締めてやるべきなのに、大学で目標にしていたTOPチームに上がるということ達成してしまった以上、その気にはならなく、自分ではいつものようにプレーしていても、仲間からなんかプレーが軽いよって言われ、シーズンの最後では途中出場になってしまいました。





そして最後の年。




最高の年にしたいと思っていた矢先、なんだかんだ一番精神的にきつい一年になりました。


新チームがスタートし、まず初めのカテゴリー分け。



自分はTOPのカテゴリーに配属されました。
とりあえずガッツポーズが無意識に出てました。



一応これは通過点。


ここからどうにかしてまずは定着することが目標だなと思っていましたが、春先の豊橋遠征では、自分の思うようなプレーはできず、三日目か四日目のエレベーターの中で、林さんに偶然会い二人きりの空間になりました。



気まずいなーとか思っていると、



林さん「三輪はね、出足はいいんだけどそのあとがなー、、もう少し頑張りましょう。」
自分「あ、はい」(おわった、)




自分でもわかっていたし、それを改めて言われると頑張らなきゃなと思いましたが、それと同時に(これカテゴリー落とされるやつだ)と確信しました。



案の定合宿終わってから一通のLINEが入り、明日からAチームで練習してくださいとのこと。悔しかったけどわかっていたから、一周回って何も思いませんでした。




そこからAで練習するも、自分の感触的には今までTOPでやっていたから正直、相手のプレッシャーの圧とか周りのプレーの質とかが落ちた分いい出来だと思っていました。
そして、シーズン開幕前最後のカテゴリー分け。








まさかのB








絶望。








さすがにショックでした。なんならショックというより疑問の方が強く、周りのチームメイトからも「なんで勇太がBなの」と多数声が上がり、それが唯一の励ましでもありました。



そこからというもの、一気にサッカー熱は冷め正直リーグ戦とかどうでもよくなりました。勝っても負けてもなんの感情も抱かない、ほんとに無の境地にいました。




だからなのかリーグ戦後期では、スタメンじゃないことがほとんど。



一応試合には出ていましたが、途中出場がほとんどでした。しかし、なんとも思いませんでした。


本当に。


ぶっちゃけた話をすると、Bチームは負けても勝っても降格などないのに対し、Aチームには降格というものがあるからこそ死に物狂いで戦わなきゃいけないことをこの二年間で知っていて尚且つAチームで戦ってきたからこそ、今年のAチームはリーグ戦始まって早々降格するかもしれない。
まだ勝ちがない。
ふざけるなって思いました。
何をしているんだって。
指揮官のせいじゃんとか思いながら、もういっそのこと降格してしまえとか思っていました。




まあ、そんなことは置いておいて、ここまで来てしまったらもう何でもいいやとやけになっていましたが、自分の同期を見ていると、関東リーグで頑張っているしなんなら優勝するかもしれないし、同期が活躍している姿を見ると虚無感に襲われるというか、とにかく悲しくなりました。



だからといってしっかりやるかって言ったらそうではなく、淡々と練習をこなしただただサッカーをしていました。そして気づいたらIBは昇格するかもしれない順位まで上がっていて、西村を筆頭にチーム全体が昇格しようという雰囲気で練習している中、ちょっとはやる気が出ましたが以前のようなやる気は起きず、


昇格プレーオフ当日。


最後くらいスタメンで出たいと思っていましたがベンチスタート。


日頃の行ないですね完全に。


最後の最後で途中出場しました。試合には勝ち、昇格決定!いぇーいってなっている中、ほとんどプレーしてない自分は全力で喜ぶことができませんでした。


そんなこんなで自分のサッカー人生が終わり、引退試合では点を決めここ最近で一番楽しい試合ができたと思います。



大学サッカーを振り返ると、悔しい思い、なんなら悔しい思いしかしてきませんでしたが、最後はIA昇格の置き土産とと引退試合で点を決める事ができ一応、楽しく締めくくることが出来ました。


後輩のみんなは自分みたいにならないように反面教師だと思ってがんばってほしいですね。とくに中村くん。



最後に

家族へ
ここまでサッカーを続けてこれたのは、間違いなく両親のおかげです。ありがとうございます。高校のときは役員をやってくれて、なんなら会長までやってくれて。お父さんもお母さんもほぼ毎試合のリーグ戦に足を運んでくれました。いいプレーができたかって言われたらわからないけど、確実に力にはなっていました。大学ではコロナのせいで、試合を見せることがほとんどできなかったけど、応援してくれていたおかげで4年間続けることができました。学生時代は家のことは何もせずだったので社会人になってからは、しっかり恩返しをしていきたいと思います。
そして浩人。サッカーで伸び悩んでいるのかなと思いますが、サッカーをガチでやれるのは最後です。悔いの残らないように、サッカーを楽しんでください。最後は笑っていられるようにね。



同期へ
正直四年目にして本当に部活やめようかと思いました。でもここまで仲のいいみんなだし、いつもばかやってるけどやめずに最後までできたのは間違いなく君らのおかげです。この年に城西に入れてよかった。みんなと同期で本当に良かった。心からそう思います。社会人になっても定期的に集まろーねー




長々と書きましたがここまで読んでくれた方はありがとうございました。



おわり。

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