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「無題」

こんにちは、城西大学のパワハラ学部、総合パワハラ学科の中西忍です。
間違えました。
4年 経営学部マネジメント総合学科 中西脩です。

題名めっちゃ考えたんですけど多分内容ごっちゃになるなって思い無題にしました。どうか飽きずに見てください。笑
5歳の時にサッカーボールに触れた僕はいつの間にかボールを追いかけるのに夢中になっていました。始めたて、そして初の試合で人生初ゴール挙げましたが、それは味方のゴールでした。わざわざ味方からボールを奪取した僕は自陣のゴール。なんてがめつい人間だと今でも思います。そこから僕のサッカー人生が始まりました。小学校は点取るだけがサッカーだと思ってた自分はひたらすらゴールを取ることに執着しましたがいきなりサイドバックにコンバートされまずこれが初めての挫折でした。なんなんだ、何がおもろいねんクソが当時を振り返ればこのようなよくない言葉頭に浮かんでました。僕にはサッカーしかありませんでした。友達と遊ぶよりもサッカー、結構まじでボールが友達だった気がします。僕の周りには神奈川有数の強豪に所属している友人がいたため絶対に負けたくないと思い、朝、夜ひたすらボール蹴りこみました。それと同時に友達も少なかったと思います。でもこれに関しては後悔はありません。今の自分がいるのはあの時に必死に蹴り込んだサッカーの熱が今もたぎっているからです。今、振り返ってみたらどうだろうか、昔俺を馬鹿にしたサッカーやってる奴らはもうサッカーやめてつまんない人生送ってると思います。ごめんなさい、それは言いすぎました。笑思春期でお互い素直になれないから所属してるリーグで罵り合ってそのおかげもあり絶対こいつより上行ってやるとか思ってました。同じサッカーという一つのものに熱い気持ちを共有出来る友達がいたのが大きかったです。
中2で仙台に転勤した僕はそこで新しく人生でずっと仲良くなるだろうなって友人とも出会い、チームメイトもいい人達ばかりで本当に楽しかったです。よりサッカーを深く好きになりました。東京からくるっていうだけで生意気扱いされましたが、結局みんな素がいい人ばかりだから僕を暖かく受け入れてくれました。成人式で酒をみんなで飲んだ時は当時の話で話し足りないくらい最高な時間を過ごすことができました。充実してた。
なぜかはわからないのですがこれまでのサッカー人生の中で先輩、後輩に恵まれています。基本最終学年になるまでは一向上の先輩といる時間はとても多かったです。なんか楽しいんです。色んな話や感じるものがあって、その分同い年の会話の波長は合わない時もありましたが、そこはコミュニュケーションが得意なのでなんとかなります笑とにかく先輩、後輩には恵まれてます。そして指導者の方にも自分のためにいいるんだなって思うくらいいい人達ばかりでした、ありがとうございました。沢山の出会いがなければ僕はサッカー続けてなかったかもしれません。でも殴られたり怒鳴られたりするのは一生慣れません笑
高校では1年生は坊主でスパイク、ランニングシューズは白黒しか履いてはいけないとか意味わからんルールのある高校に進学しました。ここでも恒例の先輩から嫌われるのが始まり、当時の3年生にバスの中で普通にボコられました。あれは痛かったけどクソむかついて俺はこんな奴にはならないと決めました。練習着も高値で売られ買ったはいいが大学の練習行くから貸してって言われて貸したら戻ってこないし、こんなクソ先輩もいるんだなっておもいながら必死に1年生やってました。まじでクソだと思ったけど多分この経験がなかったら俺もこうなってたのかな?笑ないと思いますけど。
インハイは決勝で育英に負け、選手権は2回戦で仙台第3高校にも負け、納得ないかなすぎる高校サッカーでした。でも負けた時から絶対に大学で見返したやるって思いながら大学を決めましたが、名前は伏せますがまず大学は落ちて俺終わったなって思いました。ですが、縁もあってこの城西大学に拾ってもらえました。これは高校の監督や大学の当時の監督さんの存在もあって救われました。本当にありがとうございます。また、同期の長谷と萩原もいたことから安心もしました。ですが周りのレベルが高すぎてまじでやばい、これはまずい下手くそすぎるわって1年生練習の現実を突きつけられました。当然カテゴリは1番下。けどおそらくプライドがあったんでしょう。今考えると恥ずかしいことです。多くの仲間に文句や愚痴を放っていたことをこの場を借りて謝りたい。ごめん。でもぶつかることは悪くないです、その先に必ず繋がるので、これは収穫でもありました。みんな人間です。誰しも文句や愚痴1つこぼすことなんてザラだ。でも言い過ぎはよくない。そしてあっという間に1年間が終わりました。
2年生はコロナが大流行をして、ほとんど部活の記憶がありません。けど多分楽しかったなって思ってます。ここから一個上の人たちとさらに仲良くなってお世話になることになります。まじでおもろいんです特に堀越くんを筆頭に沢山笑かせてもらったり時には真面目に会話をしたりこれからどんな人になってくのだろうと思いながら話してました。自分もこのあと絶対に上に行きたい気持ちで1人でトレーニングを続けてました。それもあり、途中でAには上がったもののIA0試合で終盤に怪我して最悪の終わり方でした。また1年が終わる。
3年生、怪我が多く春先の紅白戦もコンディション戻せないまま臨みカテゴリもBになって周りは成長している中俺止まってんなあって思って悔しくてたまらなかったです。結局マイナスな思考だったからプレーもマイナスになってどんどん落ちていき気づいたらCBやってました。初めてのポジションだし、元々ティフェスがザルな俺がやるのは絶対違うだろって思いながらやってましたが、これも意味があると思い続けて自分なりに探りました。そうすると色んな視点で物事を見ることができるし、自分があのポジションやった時にこのプレーはしないとか、沢山考えるようになりました。まあこれもアリかなと、このままCBをやっていなかったら多分酷かったんだろうなって思います。3年でBは正直終わったなとも思いました。しかし、当時の4年生の存在が僕にとってとても大きく、来年は絶対にトップに上がってやると決めました。
カテゴリが2つ分けられて大会前まで時間がないことからアピールする時間はなかったが、自分なりに練習から今まで以上に自分を表現したつもりだった。しかしコロナもあって結局1試合しかアピールできるチャンスがない上に自分の希望のポジションでプレーすらできなかった。なぜだと。4年にもなって続いたのは正直きつかったです。けどしょうがかないって言い聞かせてやるしかありませんでした。遠征を機に自分のせいだからこれはもうやるしかないと、自分のパフォーマンス不足だと思いました。そして名目上Aのキャプテンになったが、試合には出てないし、メンタルが何回も崩れそうになりました。けど俺から見て同期のみんながあんまりそういう不安などマイナス感情を表に出さないで自分と一緒に練習や試合を出てくれたこと。後輩たちも頑張ってくれました。不甲斐ないリーダーだったかもしれないけど俺なりにAチームのうるさいスタンスは変えないできました。出なくてもやれることはあると。正味ばかきついです。同い年の人間は自分が出たいポジションで出れて、俺出てもいいやんって思うけど出れない。でもこれもサッカーなんです。人生で1番の挫折かもしれません。でもこんぐらいやらないと俺もだめなんだなって。こういうマインドを維持できるのは1個上の先輩方の存在が本当に大きかったです。
先輩方は常に俺の話を聞いてくれて、かつちゃんと自分にも沢山指摘やアドバイスもくれました。飯にも連れてってもらい、遊びにも行きました。ただのカモやんって思う人間もいるかもしれません。けどこれはそんな軽い言葉じゃ片付けられないほど貴重かつ最高に幸せな時間を共有させてもらいました。常に前向きな姿勢、決して愚痴は吐かないし批判をしない。その時間があるなら筋トレ、練習、飯食うってスタンスでした。最初はなんなんだこの人たちバグだろって思いました。けどやっぱり堀越竜成というでかい男の影響が僕に1番響きました。この男は本当にラリってます近くで見てきて俺にはできない、この人はすごい。ここまで思える人は出会ったことがありません。特に富士山を一緒に登った時には改めてその思考回路が違うと改めて脅されました。だからこそこの人から受ける言葉の重みは本当に大きかったです。竜成くんだけではなく、あまきくん、蓮くん、、いや全員坂戸やんってなるけどこの環境が自分を1番変えてくれました。あんな汚い部屋は見たことがない東北の先輩の吉村くん、二瓶くん、目つきで捕まるんじゃないかなって思うそらくん、ツンデレまちゃくん、近隣住民であり迷惑極まりない要くん、FIFA弱いもりこうくん、もう上げたらキリがないほどお世話になりました。わぐさんにも沢山可愛がってもらいました。あ、あと富士山でガス欠で酸素吸うゆうたくん笑笑
本当に大好きでした。もちろん今も。この人たちにしてもらったことは決しては忘れてはいけないし、俺も後輩にそう接して伝えたいと思うよになりました。大した人間ではないのであんまり信憑性はないかもだけど。笑
長くなりましたが最後に、僕がここまでサッカーを続けさせてもらったのは両親がいたからです。両親がいてからこそのサッカーが成り立ってるわけで決して今サッカーをやれてることが当たり前だと感じてしまうかもしれませんが、違います。それを踏まえて練習や試合に臨むと自然と取り組む姿勢や意識、考え方が変わると思います。ここまできたらやったもん勝ちです。継続することが何より大事だと僕はこの4年間学ひました。引き際も大切ですが、僕はまだやめません。絶対に。
お父さん、お母さんがいての自分でありサッカーができてることに感謝の気持ちを持ってこれからもやり続けます。頑張ります。
そして同期のみんなへ何人かやめてしまったけどなんだかんだみんなサッカーが好きでたまらないみんなともっとサッカーしたかったのが本音です。こんなにうるさくてやかましい自分と仲良くしてくれてありがとう。特にAの人たちには沢山お世話になりました。助けられました。笑いました。みんながなかったら僕はこの1年間耐え切れてられなかったかもしれません。特に田島や宇野をはじめとする濃いメンバーが揃ったこのAチーわムでの時間は特別でした。特に最後の遠征はサウナやバカみたいに騒いで過酷な遠征を楽しんで乗り越えたこの経験は忘れません。本当に幸せでした。学生スポーツの醍醐味ならではの。4年間ともに楽しい時間、苦しい時間を共有できたことが最高でした!ありがとう!
サッカーを続けてたらどっかで再会出来ると思います。その時はばちばちにやることを楽しみにしてます。あと、いつでも遊びや飲み誘ってください、飛んできます。俺も誘いますよろしくお願いします!
後輩へ
大学生は無敵です。なんでもできます。ただし、4年間はあっという間なのでサッカーに没頭しつつ、遊びまくってください。気づいたら引退だからそれまでに卒論を終わらせることをお勧めします。終わったら快適です。笑人生なんでもやったもん勝ちだと思うので、自分の直感を素直に実行してみてください。人生観変わるかもしれません。
 そしてサッカーを楽しむことを忘れてないでください。と言うのも、つまらないと思っ時が引き際だと僕は思っています。今は全く辞める気がありません。むしろ燃えています。怪我を早く治して必ず復活して見せます。
余談なんですが、僕は自分より上手いやつがいるのは当たり前だと思っています。今までに何人も上手い奴がいて肌で感じてきましたが、かと言ってそれが負けなのかと言われたらそうじゃないと思います。結局はチャンスを自分から掴みに行くこと。そして転がってきたチャンスを自分の手でがっつり掴む人間が今テレビ観てる人間であり、活躍してる人なのではないでしょうか。だからこそ常に夢を掴む準備をして必ず自分でもこれでよかったと思える人生を掴みます。成功しますのではなく、全てを楽しんで掴み取ります。
 
そして幼稚園から大学までサッカー続けてきた中で指導してくれた方々の存在なしではサッカーは続けることができなかったかもしれません。本当にありがとうございます。
スタッフの皆さん長い間お世話になりました。ありがとうございました。
今野さんと今井さんには1年の時からいやというほど沢山お世話になり、沢山サッカーについて教わりました。俺嫌われてんのかなとか1年の時思ったりした時もありましたが、ある意味そこに優しさがあったと信じてます。ありがとうございました。この4年間を絶対に自分の人生のプラスにしていきます。ありがとうございました。大好きです。飲み行きたいです。
 
 
ここまで読んでくれてありがとうございます。長々とそして意味のわからない文章や誤字、脱字がありましたらごめんなさい。
 
 
さあ次のステージはどうなるか、楽しみです🔥🔥🔥🔥。
#79  中西脩 「守破離」

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