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「フリーキッカーってかっこいいよな」

経営学部マネジメント総合学科 4年
具志寛太

どうも、フリーキッカーに憧れて練習し始めた頃には引退していた具志寛太です。

忘れもしないvs埼玉工業大学戦。
初めて直接FKを蹴った。結果は良いコースに飛んだが惜しくもバーを叩いた。


大満足でした笑笑 別に点を決めたわけでもないのに何故か満足していました。惜しいFKを蹴った自分に酔っていたんでしょうね、ダサい。
その直後の競り合いはもちろん負けましたすみません。そんな話は一旦置いときましょう。


このブログで大学サッカーだけを書こうとと思っていたのですが、これを機にサッカー人生を振り返ることにしました!少し長く、拙い文章ではありますがお付き合い下さい!

まずは小学2年生の頃、幼馴染であるなっちゅー(現在法政大学、多分留年)に誘われてサッカーを始めた。最初はリフティングなどの基礎をひたすらやっていたが、気がつけば鉄棒の上に座らされ、そいつらを当てて落とすという練習?罰ゲーム?をしていた。記憶にあるのは監督が1番楽しそうに笑いながら見ていることがとても怖かった。そんなチームだったが仲間にも恵まれ九州大会優勝したり様々な大会で優勝することができた。


「サッカー人生を変えたトレセン」
小学6年の頃に県トレの最終選考会で落選し本気で悔しくて泣きまくった。今思えばこの落選が無かったら今の自分はないと思う。その次の日から約1年半くらいかな、近くの公園で朝6時から朝練を毎日欠かさず行った。
そのまま中学に上がり運良く県トレに入ることができた。朝練の努力が報われたのか、トントン拍子で九州トレセンと西日本トレセン、エリートプログラムまでたどり着くことができ、海外遠征など本当に多くの経験をさせてもらった。その時一緒にやっていたクソうめぇ奴らはもうプロで活躍している雲の上の存在です笑
正直この時まではあ、俺プロなれるんじゃね?とか密かに思っていました。今思うとめちゃめちゃ恥ずかしいし情けないです笑

中学は地元の小禄中という中体連で練習し、とにかく毎日が楽しかった。好きな時期に戻れると言われたら間違いなく中学時代に戻るだろう、それくらい充実していたしみんなでバカして怒られていました笑
その中学時代にサッカーの基本を教わり、止める蹴るなどパスサッカーを教わった。サッカーの楽しさを改めて感じ、もっと高いレベルでサッカーがしたいと思い山梨学院高校に進学した。


そして山梨学院で寮生活をし、軍隊のように挨拶したり鬼の量の米食わされたり、なにかやらかしたらすぐ坊主であったり本当に理不尽だった。サッカーが上手くなりたい一心でこの高校を選んだが、色々厳しすぎて慣れるまで時間がかかった。
中学時代にやっていたパスサッカーとはかけ離れたプレースタイルで合わせるのに最初は必死だったが、鬼の走り込みと鬼の米食わされて少しは戦えるようになったと思う。
高校3年の夏、インターハイの全国大会が地元沖縄で開催されると聞き、沖縄でサッカーがしたいと強く感じめちゃめちゃ必死に頑張った。スタメンはなんとか勝ち取ったものの県予選敗退。正直選手権前よりインターハイの方が熱量はあったと思うし本当に沖縄でサッカーしてみんなに成長した姿を見せたかった。
とても悔しがっている自分を見て当時の同部屋の相方が「グシお疲れさん」という手紙を書いてくれていた時はとても心に来るものがあったし、お前ええ男やなって思った笑
そんなこんなで高校卒業し、サッカー辞める理由など見つからないしサッカーを離れる自分が想像出来なかった為そのまま大学でもサッカーを続けた。

ここからは大学サッカー、続けて正解だった。他の大学生はサークルにバイトに飲み会など楽しんでいる中、正直遊びたいと思ったことは何回もあるし大学サッカーやってるやつほぼ全員1回は思う事だと思う。まじで火曜日なんて大っ嫌いだったしなんでこんな走るんって毎週思っていた。でも本気で取り組めば取り組むほど楽しさ、喜びを分かち合いみんなと成長していたのかなって今になって分かる。

大学1年目はほぼ怪我。2年目にトップチームに昇格しリーグ開幕戦初スタメン。今思えば2年の頃が1番試合に出ていたんじゃないかな?って思う。3年では初の関東リーグという舞台で戦うことができたが中々上手くいかず1年で降格、でも手も足も出ないという訳ではなかっただけに悔しさが残る。


突然の「ボランチやってみないか?」
4年目のシーズン始まって丁度学校も始まった頃くらいかな?練習後ボールを蹴っていたら林さんにボランチできるんじゃないか?笑、と笑いながら言われた。林さんの機嫌が良い日の変な絡みか、と思って笑って受け流していたら次の日自分の名前のボードがボランチの位置にあった。え、何を求めてる?ボランチで俺が何できる?など色々考えた。サッカー人生初のボランチがなんで大学4年なん、って言っている間に夏を迎えた。スタメンで出させてもらうこともあったが中々良いプレーはできない。正直ボランチだったらBチームでも出れないくらいのレベルだと思っている。それでも使い続けてくれた監督には感謝をしている。そこで監督は自分にボランチでも試合に出れるチャンスをくれているのだと言うことに気がついた。期待には応えることはできなかったけどとても良い経験ができたと思っている。感謝したいです。



そしてサッカー人生最後の4年目、全ての試合でベンチには入ったがスタメンは数回、ほぼ途中からの出場であったがやる事はやったしまた違う楽しさがあった。スタメンを外れてからもちろん悔しさはあったけど4年生という立場か、大人になったのか、チームのことを優先するようになった。(正直福元、庄司、松崎には敵わんなとも思った。)何より立場を弁え、ベンチからできる最大のことはやったつもり。
チームが勝てば、優勝できれば、昇格ができればという気持ちで日々戦っていた。それが結果として出たことが自分では満足している。

大学サッカーに悔いは一切ない。本当に感謝でしかない。素晴らしい仲間、監督コーチに出会えたサッカー人生は楽しかったしなんと言っても運が良かったとも思う。
そんな自分にお疲れ様と言ってサッカーから引退したいと思う。



後輩へ!
試合は勝ったのに点決める事ができなくてギャン泣きしている佐藤遼くんのメンタルケアしてあげたり、鉾ちゃんに惜しい止まりのFK教えてあげたり、ぐっちゃんぐっちゃんうるせー宮田のお世話したり、「原付ください」って毎日ごまをすってくる斉藤くんもいたなー、笑
みんな可愛い後輩です。みんな言うけどほんとに4年間ってあっという間。早く引退したいとか言う人もいるけど今が1番楽しいということを理解して欲しい。仲間を大切にして思う存分サッカーを、残りの大学生活を楽しんで欲しい!来年からまた関東2部という素晴らしい舞台で活躍している姿を見とくので全員で力合わせて頑張って下さい!支えてくれたマネージャーもほんとにありがとう!

両親へ
ストーカーだから多分これも見てるよね笑
親元離れて山梨学院行きたいと言った時に嫌な顔1つも見せずお前の好きなようにやってこいと言ってくれてありがとう。
遠いのにたまに試合見に来てくれたりYouTubeでも毎試合見てくれてその度にLINEもくれる。「城西はPK決めればもっと楽になるのに」って言うよね。その通りなんです。庄司と西岡のせいです。そんなことは置いといて、
父さんはいっつも俺に「大学サッカー楽しんでこいよ」と。楽しかったよ、めちゃめちゃ楽しんだよ。最高の仲間と最高の環境でサッカーさせてくれてありがとう。本当に後悔のないサッカー人生だし最高の形で引退する事が出来たよ。自分からなんの連絡もしないから色々心配かけたと思うけど元気に楽しくやってました。
ずっと長い間支えてくれて心強かったです。本当にありがとう!感謝してます!!

最後に4年生!
もう幸せ。この仲間と一緒にサッカーできた事が1番楽しかったです、こんな自分と仲良くしてくれて本当にありがとうございます!この仲間と出会えたのもほんとに運が良いとしか思えないくらい最高に楽しかったし、人数が少ない分、よりチームワークがあったと思う。飯、飲み、遊び色々思い出になりました!このメンバーを心から愛しているしこれでお別れだとは一才思ってないです!まだまだよろしく!飲み行きましょか🍺

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