「人生の糧」
経営学部マネジメント総合学科 4年
橋本隼輔
自分にももう引退ブログを書く時が来てしまいました。改めて感じることは、この4年間が本当にあっという間だったという事です。
文にして書き起こすことは得意ではないので長く拙い文章になってしまうと思いますがこれまでの思い、感謝などを自分なりに書いていこうと思います。
4年間と言いつつ少し遡りますが、高校3年の7月、高校最後の選手権前、そして進路を決める大事な時期に骨折してしまいました。元々大学でもサッカーを続ける気でましたが、最後にプレーできない悔しさもあり大学でも頑張ろうという意志は強くなりました。ただ、怪我もしており、サッカーで大学に進むには限られた中から選ぶしかない状況でしたがその中で縁があり城西大学を選びました。当時はまだ県リーグでしたが関東リーグも狙える位置にいたため関東リーグでプレーできるチャンス、試合に出れるチャンスは全然あるとおもっていました。
長くなりましたが大学入学後になります。
正直、大学サッカーを舐めていた訳ではないけど甘く見ていたかもしれない、しかし現実はそんなに甘い事もなく、自分のサッカー人生で1番多い人数、そしてうまい選手なんていくらでも居るんだと感じた。
それに加えて大学に入ってからはコロナの所為で学校にも行かず、練習ができない期間も長く、思っていた大学生活とは全く違ったものでした。
2年になりAからTOPに上がる気持ちで1年間やっていたものの腰の怪我もあり思うようにプレーできずBチームになった。サッカー人生でここまでカテゴリーを落とされた事はなく、めちゃくちゃショックだったし、最初はBチームかよって思ってた。
それでもBはBでリーグ戦にはずっと出させてもらっていたしそこでしかできない事、Bに入ったからこそ見える物も多少は増えたかもしれないしその1年間は今の自分に繋がっている部分もあると感じれたそんな年だったと思う。
2年の1月のスタートでは体調不良でまた良くないスタートを切ってしまった。
これまではコロナの影響もあり遠征がなかったため春に大学に入って初めての遠征が予定されていた。遠征メンバーが決まるまではAチームだったけど遠征メンバーが送られてくるとTOPのメンバーに自分の名前が入っていた。
やっとTOPに呼ばれた嬉しさとこのチャンスを掴み取らないといけないという緊張感が込み上げてきた。
結果的に3年ではそのままTOPに残る事ができた。しかもこの年から関東2部に昇格し、1つ目標としていた関東リーグでプレーするチャンスができた。
関東リーグ第1節、試合に出ることはなかったがベンチ入り、ベンチにいるだけなのにこれまでと違う緊張感があった。そこからはベンチ、ベンチ外の繰り返しが続いた。
そして第7節産業能率大戦、スタメン発表で自分の名前が呼ばれた。いつでも出れるように毎回準備はしていたつもりだったがそれまで途中出場もなく、少しの驚きとやっと出れる喜びそしてそれ以上に緊張が凄かった。
しかもたまたまその日に限ってユニホームを1色しか持っていっておらず、ユニホームの色が試合前に変わる事になりめちゃくちゃ焦った記憶があります。
そんな中での関東リーグデビュー戦はまぁ良いプレーはできるはずもなくハーフタイムで交代。何も出来なかったし悔しかった、でもチームは2-0で初勝利!なんとも言えない悔しさと嬉しさだった。
関東学院戦ではセットプレーから遂に念願のゴールを、しかも逆転ゴールを決める事ができてとにかく嬉しかったし、自分のゴールで勝てると思っていた...。
ところがラストプレーで追いつかれ同点。その前の攻撃でキープせず点を取りにいった事を周りからは言われた。その数分で自分のゴールの価値が一気に下がった。
終わった後ではたらればでしか無いが確かにキープしてれば良かったかもしれない、でも決めていれば試合は決まっていたし、ラストワンプレーだけなのに何故守り切れないのか。
色々な感情が湧いたし、その時のチームの課題も明らかに感じた。
結局5試合連続で出場はしたが、結果が残せなかった。それ以降リーグ戦に出場は出来なかった。
それでも常にTMではとにかく頑張り続けるしかなかったし頑張り続けた。
それが身を結んだか、どう評価されているかは知る由もないが、プレーオフにきて後半から出場の機会を得る事ができた。
チームは0-1で負けていてとにかく点が欲しかった。チャンスもあった、でも結果を求められる場面で期待に応えられなかった。
そのまま負け、新設される3部への降格が決まった。
結果を残せなかった不甲斐なさと悔しさで大学に入って初めて?涙が止まらなかった。
この時、来年は自分が結果を残して再び2部に上げようと自分に誓った。
2023年11月4日関東2部への昇格がきまった。
最終節、2部優勝も決まった。
でも自分はベンチにもいない。もちろんチームとして目標を達成したことは嬉しい事ではある。でもやっぱ自分がそこに立っているかいないかで全く違う。
シーズンオフの期間からずっと怪我でプレーできず、Aチームでの復帰だった。
関東リーグ以外にも目標にしていたアミノ杯、天皇杯、それぞれ自分はそこにいないのにチームは自分が入って4年間でどちらも1番良い結果だった。
素直には喜べないし悔しかった。
復帰し調子が戻ってきても結果的にはILが終わるまでずっとAだった。
ILもそれはそれで良い相手といい雰囲気の中試合を出来たし最初は危うかった残留もしっかり決められた。シンプルに楽しかった。
しかし、関東リーグの応援の度に自分がそこにいない悔しさ、苛立ちを常に感じていた。
正直に言うと自分がそこにいないことに納得してなかったし、何を考えているかわからないし、本気で応援なんて出来なかった。負けろとさえ思っていた。
でもそれもサッカー、10人いれば考え方もそれぞれ違う。文句や不満を持ちつつも全力で出来ることをやるしかない。
自分がいない試合で負けろと思うのはチームとしは良く無いかもしれない。それはわかっているが、競技者としてやる以上その気持ちが無くなったら終わりだと思うし、その気持ちがなかったら勝負の世界で生きていけないと思う。それがあったからこれまでやってきたとも思う。
そしていつも自分は大事な時期や大事な時に怪我に苦しみ、悩まされてきました。
オフ期間に自主トレしててもオフ明けに怪我してその期間の努力は無駄になったと感じることもあるし、自分の気持ちとは裏腹に思うように行かなくなる事ばかりでした。
どうしようもない部分はあるけど今後は大事な時に怪我をしないようにしたいと思います。
サッカーを続ける人達、まだ部活がある後輩たちは怪我で苦しまないように頑張ってほしいというのが伝わるといいと思います。
自分はこれからもサッカーを続ける予定です。
負けず嫌いな気持ちは持ち続けてやっていこうと思います。
そしてこれまで綴ってきた事は簡単に言ってしまえば全てがこれから生きていく上でのいい経験だと思うので悔しさ、嬉しさ、感じた様々こと全てを糧にして頑張っていきたいと思います。
少しでも応援してくれるとありがたいです。
最後に、短い文にはなってしまいますが、これまでお世話になったスタッフ、サッカー部メンバー、いつも応援してくれる両親には本当に感謝をしています。
そして同期のみんなと一緒で本当に良かったです!ありがとうございました!
これまで小、中、高、大とお世話なった方、家族への感謝もわすれずに更に自分なりに頑張っていきたいと思います。よろしくお願いします。
出来事全部かいていると長くなりすぎてしまうのでこの辺りにしておきます。
長くなりましたが読んで頂いた方がいたらありがとうございます。
今後も更に頑張っていきたいと思います。
ありがとうございました!
橋本 隼輔
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