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一店舗経営のすすめ【第二話】/河原永吾

規模拡大すれば成功かといえばそうでもなく、かえって窮地に追い込まれることもあるのが「経営」の真実。実は1店舗が一番もうかる!? ちょっと聞いたことがあるような気がする失敗エピソードから、堅実経営のポイント、1店舗だからこその強みと、その可能性について学んでみよう。

第二話 継いだ家業の仕組みを変えるの巻

 その男性は、とある有名サロンで修業をし、数年後、晴れて立派なスタイリストになりました。そして、地元に帰り、長年営んできた母親のサロンを継ぎました。男性は自信(※1)と向上心(※2)に満ち溢れていました。母親の小さなサロンを発展させ、店舗展開をして、スタッフ100人規模(※3)の組織にするのが夢でした。

 まず手始めに、母親のサロンのメニューや料金などあらゆる仕組みを変えていきました(※4)。母親の代から働いている先輩スタイリストたちの反発を買いましたが、気合と根性で論破して、押し通しました(※5)。当然のごとくサロン内に派閥ができ、結果、先輩スタイリストの多くは辞めていきました。しかしその男性は諦めませんでした。100人規模にする自分の夢を熱く語り(※6)、強い向上心と夢を持つ美容学校生を次々と採用しました(※7)

 ときがたち、男性は2号店をオープンしました。そのサロンは、以前からかわいがっていて、ずっと店長になりたがっていた若手スタイリストに任せることにしました(※8)。その後、毎年出店し、次々と店舗が増えていきました。ここまでの道のりは比較的スムーズであったものの、新卒定着の悪さと売上の伸び悩みや自分の知識不足に若干の不安もあり、自己啓発系の外部講師と契約し、スタッフ教育を任せました(※9)。社員は、外部講師の教えの下(※10)夢と向上心を育てる教育を受け、それにのっとった将来計画の立て方や仕事の仕組みを学んでいきました。

 しばらくして、店長をはじめ、夢と向上心を持ったスタイリストたちは、独立のため次々と退職していきました。当然、会社の業績は悪化していきました。残ったのは、力のないジュニアスタイリストと、アシスタント、そして借金だけでした。

失敗のポイントはどこかな?
エピソードを読み解いてみよう。

☆失敗ポイント(※1)
自信は「うぬぼれ」と表裏一体です。人は自信がある事柄には注意を怠る傾向があります。逆に自信がない事柄ほど、慎重かつ謙虚に行動できます。

☆失敗ポイント(※2)
向上心とは、自分を中心に、自分自身を高める気持ちのこと。すなわち「自己中心的思考」であるともいえます。

☆失敗ポイント(※3)
気を付けなければいけないのは、この「夢」はあくまで手段であって、本来、目的ではないということです。「目的・・・何のため」にそれを目指すのかが、はっきりしていない。もしこの「夢」が経営者の自己満足、つまりただの「他者からの承認欲求」から来るならば、スタッフは誰も付いてきません。

☆失敗ポイント(※4)
行動心理学では、人の潜在意識は変化を嫌い、安定を好むとされます。何かを変えるときは、その事に関係している人たちに、徹底的に寄り添い、理解を得ながら進めていくことが重要です。他者を理屈で論破し、力ずくで物事を進めてもうまくいきません。

☆失敗ポイント(※5)
よくありがちな光景です。経営者が職場に自己中心的な感情を持ち込むとスタッフの離職を促すだけです。スタイリストが1人いなくなるだけで、いったいどのくらいの損失が出るのか、しっかりと考えたいものです。少なくとも今までサロンと自分の母親である先生を支えてきた大切な仲間です。まずは「調和」の重要性を理解しましょう。

☆失敗ポイント(※6)
繰り返しますが、これはただの「自己中心的思考」です。行動心理学の考え方に「人は自分の利益にならないことは絶対にしない」というものがあります。要するに、自分(自分の周りの人)が幸せになる具体例がプランに織り込まれていないと、メンバーの応援は得られないということです。

☆失敗ポイント(※7)
裏を返せば、強烈な自己中心的思考を持っている美容学校生であるともいえます。アシスタントのうちは頑張り屋なのですが、スタイリストになり、売上を上げられるようになると、独立を考えるのは当然です。

☆失敗ポイント(※8)
ここで注意したいのは、「なぜ店長になりたいのか?」をよく確認することです。肩書きや地位への欲求は、強烈な向上心や強烈な「他者からの承認欲求」が原動力であることがほとんどだからです。つまり、動機が「後輩や組織のためでなく、経営者や周りから認められたいだけ」なのかもしれません。

☆失敗ポイント(※9)
日本での自己啓発教育やセミナーは、労働基準法を満たしていないブラックな業界を中心に浸透しているのが現実です。スタッフに対してメンタル強化をうたいながら、実際には劣悪な労働環境や条件から目をそらさせるのが経営者の目的であることが少なくありません。スタッフの自己啓発より先に、まず経営者自身がスタッフとの信頼関係を構築し、マーケティングをきちんと学び、サロンの発展を目指してもらいたいものです。

☆失敗ポイント(※10)
私のこれまでのコンサルタントの経験から感じるのは、「外部講師と経営者の考えが、実は一致していないことが非常に多い」ということです。スタッフが経営者とは違う考え方、もしくは経営者とは違うレベルの思考を学んで、それを絶対的な価値感として吸収してしまうと、うまくいくわけがありません。仮にもし外部講師による、経営者のものとは異なる教えの下、結果が出続けたなら、一生雇い続ける・・・いわば依存状態(乗っ取り)を受け入れる覚悟が必要です。経営者よりも、直接スタッフと関わりたがる外部講師がいたならば、かなり注意が必要です!

マズローの欲求5段階説 美容師バージョン

「マズローの欲求5段階説」とは、人間の欲求は5段階のピラミッドのように構成されていて、低階層の欲求が満たされるとより高次の階層の欲求を持つとする、心理学者アブハム・マズローが唱えた学説です。これを美容師の職業的な欲求に置き換えると、どうしてもこのような「欲求5段階」に。働くサロンの条件や環境が「独立より魅力あるもの」でない限り、人間的、職業的成長を促す全ての仕組みは、人材定着という観点でむしろ逆効果になります。

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<まとめ>「大切にされている感」が最重要
今回は、私の心理学のプロ・・・NLPトレーナーとしての立場も交えて解説しました。
この男性の一番の失敗は、「目的」と「結果」をはき違えていたところです。そもそも何のためにスタッフを100人にしたいのかが明確ではなかったのです。つまり、サロンのビジョンがスタッフにとって魅力的でなかった。
とある大手ファーストフードチェーンが10年の歳月をかけ、ある調査をしました。それは、アルバイトから社員まで区別せず、辞めていった人たちの「辞めた本当の理由」を調べるというものでした。そしてこのプロジェクトは10年で打ち切りになりました。なぜ打ち切りになったのか? それは、辞めた理由の1位が10年間変わらなかったから。その答えは―「大切にされなかったから」でした。人に長く働いてもらうには、「必要とされている感」よりも「大切にされている感」が重要だということです。また経営心理学では、1人の人が気を配れる人数の限界は通常最大5人といわれています。100人規模にするには、最低20人の管理者を育てる必要がありますから、決して一朝一夕にはできないことを自覚する必要があります。
経営者が常にスタッフに伝えるべき言葉が2つあります。それは、①叱るとき→スタッフのアイデンティティーを傷つけずに行動と考え方をただす言葉、「らしくないよ!」と、②日々の感謝→存在を認める言葉、「いつも一緒に働いてくれてありがとう」ではないでしょうか。
心理学の考え方に、人は「最後に取ったコミュニケーションを最新の情報として捉える」があります。大切な相手の存在を認める感謝の言葉は、仕事終わりに伝えてくださいね!

河原 永吾
かわはら・えいご/1972年生まれ。岡山県出身。証券会社などでのサラリーマン生活を経て、美容師免許取得。(株)コーチプレシャス代表、経済産業省直轄の専門家講師として、美容室をはじめとしたさまざまな企業のコンサルティングを行なう。美容室・Hair Toto-la代表として、現在も土・日曜日はサロンに立つ。米国NLP協会認定NLPトレーナー・コーチングトレーナー。

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※本記事は、『美容の経営プラン』2018年8月号にて掲載した記事を転載したものです

※毎回、美容室経営の“あるあるエピソード”を読み解きながら経営判断のポイントやその是非について解説。エピソードは河原氏の経営コンサルタントとしての経験を基に制作したフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません