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マタイ福音書25:14∼30「シェガレ神父の説教」

A年間33主日 マタイ25,14−30 
タラントンの譬え  2023

有名なタラントンの喩え話を聞きました。主である神は旅に出る事業家に喩えられて、自分の財産を3人の僕にそれぞれの力に応じて五、二、一タラントンを預けます。一タラントンは20年分の賃金に相当する大金です。旅に出た主人の留守の間に、僕たちは預かった金額を投じて主人の財産を増やすことになっていました。5タラントンと2タラントンを預かった二人の努力は投資額の同収益を生んだが、三人目は主人の厳しさを恐れて、預かった一タラントンを出資しないで地に埋めました。 
 残念ながらこの喩え話は度々資本主義の正当化のために利用されたことがあります。アメリカのある一部のプロテスタント系の信者はタラントンの喩え話を根拠にして、イエスは資本主義の精神を称賛し、お金を出資して儲かることは神の望みだと言っています。 
しかしそれは大きな誤解でしょう。今日の話は喩えであり、タラントンに喩えられた主人の財産はお金ではなく神から一人一人に委ねられた才能、健康、霊的な感覚、知恵などの賜物を指します。聖書では神の賜物はカリスマと呼ばれています。私は思うが、いただいたカリスマを活かすことによって神の創造の働きに協力させてもらい、人類の発展に貢献でき、自然である神の財産を豊かにして増やします。
生まれながら誰でも何かのカリスマ・才能をもっています。問題はそれに気づいて活かしているかどうかということです。私は思うが、戦争の代わりに世界の人々の持っている才能が違いのために生かされたら、地球、人類、教会もより豊かなより平和な場所になれるでしょう。
残念ながら才能の発揮より、消費主義のメンタリテイは社会だけではなく、教会の中にも浸透しています。ヨロッパでは宗教アラカルトという表現が流行っています。教会に行く一部の人の動機は、教会の活動への関わりより、自分の利益だけです。数年前あなたは教会に期待するものは何ですかという調査に協力したことがありますが、魅力と答えた人が多数でした。教会に魅力がなければ、もう教会に行かなくてもいいと。それは消費主義の影響の現れでしょう。教会は魅力が無いという人に私はいつもあなたが来ないから魅力がないと答えています。皆が参加して、それぞれの才能や個性を活かしていけたら、教会の魅力がいっそう高まるはずです。
譬え話に戻るが積極的に投資して儲けた人は「忠実な良い僕だ、よくやった。主人と一緒に喜んでくれ」と褒められています。この場合の忠実はルールをまもり、義務を果たすことを意味していません。忠実は、今日の福音の箇所に書いてあるように、小さなものに自分がいただいたカリスマ、自分の力を精一杯活かすことです。一タラントンを地に埋めた人が非難されたのは悪いことをしたからではなく、何もしなかったことです。自分の才能を生かさず、神の厳しさを恐れて、信頼が欠けていたからです。多分イエスは喩え話を語った時に律法学者のことを念頭にあったでしょう。彼らの考えていた忠実は積極的で、創造的な関わりではなく、律法の掟を文字通りに守るだけでした。どうか私たちはいつでも「忠実なよい僕よ」と神から呼ばれるようになり、恐れず、信頼を持って、自分に与えられたカリスマを思い切って社会と教会のために発揮できるよう祈りたいと思います。

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