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黒ヘル戦記 第八話 隠れた善行

『情況』2022年春号に掲載された反体制ハードボイルド小説

第八話 隠れた善行
テロとは何か。1995年、国松警察庁長官狙撃事件の容疑者とした逮捕された男が、テロリストの秘められた思いを明かす。
 
 外堀大学は多くの「革命戦士」「ゲリラ戦士」を輩出した。しかし、彼らを「戦士」と呼ぶのは一部の堀大関係者だけで、社会は彼らを「テロリスト」と呼ぶ。戦士とテロリストは同じなのか。戦士はテロをどう見ているのか。

 テロリストの側につくか、我々の側につくか、旗幟を鮮明にせよ。
 ジョージ・W・ブッシュ

 1

 日野正彦は電話でこう言った。
「大泉学園駅の北口から練馬区のコミュニティバスが出ている。それに乗れば15分くらいで着く。でも、あのバスは高齢者優先だから、席が空いていても座れない。座っちゃいけないわけではないけど、座ると白い目で見られる。それが嫌なら歩くといい。30分くらいで着く。なーに、しれたものだ」
 日野にそう言われて大泉学園駅の北口に行った。なるほど、コミュニティバスのバス停には高齢者がずらりと並んでいた。このバスは高齢者の足なのだ。俺は歩くことにした。二月の中旬、暦の上では春。時折、冷たい風は吹くが、日差しは優しい。歩くのもいいだろう。
 商店街を抜けて大きな通りに出た。桜並木で有名な通りだ。あと一ヶ月もしたらピンク色のトンネルになる。が、まだその季節ではない。
 この通りを北に進むと埼玉県の新座市に至る。車では何度も走ったことのある通りだが、歩くのは初めてだった。歩くといろいろな発見があるもので、この日はブラジリアン柔術の道場を見つけた。今度、時間のある時に見学に来よう。
 さらに北に進むと、前方に関越自動車道が現れた。巨大なチューブが空中に横たわっているように見えるので、初めて見る人は、あれはなんだと思うだろう。このチューブの中を大量の車が走っているのだが、音は聞こえない。防音技術がしっかりしているのだ。
 関越の下道を西へ向かった。しばらくすると緑のネットが見えてきた。バッティングセンターのネットだ。目的地の喫茶店Bは、バッティングセンターの隣、同じ敷地の中にあった。
 青の瓦屋根を架した煉瓦造りの建物。庭には白樺が植えてある。軽井沢や清里にある小洒落たレストランといった雰囲気だ。ここだけを見ると、とても練馬の光景とは思えない。
 重いドアを開けて店の中に入ると、奥の席で男が手をあげているのがわかった。日野だ。テーブルの上にはフルフェイスのヘルメットが置いてある。バイクで来たのだろう。
「よっ、武川。元気そうだな」
「日野、おまえ、渋いな」
「ハハハ、そうか」
 お世辞で言ったわけではない。牛革のライダージャケット、シャツのポケットからのぞくレイバンのサングラス、十分の一秒針がついているレーサー仕様の腕時計、西部劇の主人公が履くような皮のブーツ。見事な中年ライダーぶりである。が、最も渋いのはオールバックにしたロマンスグレーの髪だ。俺も五十歳を過ぎてから白髪が増え続けているが、日野は二歩も三歩も先を行っている。
 人類のネオテニー( 幼形成熟)化が進んでいるのか、最近は、よくいえば若々しい、悪くいえばガキっぽい、そんな五〇代が増えたが、日野は昔ながらの中年紳士、古い言葉でいうとナイスミドルだ。
 店の雰囲気もナイスミドルの日野に合っていた。内装はダークブラウンが基調、窓が大きく照明は控えめ。コピーライターなら「壁にかけてある柱時計が大人の時間を演出します」などと書くだろう。
「いい店だね。雰囲気がいい。日野はよくここに来るのか?」
「月に一回くらいは来るかな」
「こんな辺鄙なところにある店、どうやって見つけたんだ、ネットか?」
「うちのツーリングクラブに相棒の好きな人がいてね。ここはその人のお気に入りなんだ。ここは相棒のロケ地として有名なんだよ」
 日野のいう相棒とは、水谷豊主演のテレビドラマ『相棒』のことである。
「ああ、それで、この店にしたのか」
「そういうことだ。ドラマの話をするならここだと思ってね」
 そうだ、俺はドラマの話をするためにここに来たのだ。
 三日前、日野は電話でこう言った。
「武川、刑事ドラマのことで相談がある。専門家の意見が聞きたい」
「俺は刑事ドラマに詳しくない。専門家でも何でもない。相談されても困る」
 俺がそう答えると、日野はこう言い直した。
「テロリストの出て来る刑事ドラマのことで相談がある。テロの専門家の意見が聞きたい」

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