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黒ヘル戦記 第三話 フラッシュフォワード

『情況』2020年夏号に掲載された反体制ハードボイルド小説

第三話 フラッシュフォワード
神楽坂で小料理屋を営む女は元黒ヘル。修羅の世界から離れて20年、彼女はPTSDに苦しんでいた。

ドナルド・トランプは、いずれ自分の遺体をおさめるために、ネヴァダ砂漠にピラミッドを建設していた。完成のあかつきには、ギザの大ピラミッドより十メートル高くなる。
小説『フラッシュフォワード』より

 1 

 午後七時。JR飯田橋駅の西口を出て、お堀を見ながら牛込橋を渡り、神楽坂下の交差点まで来て、俺は息を飲んだ。暗い。人がいない。二〇二〇年四月、緊急事態宣言下の神楽坂は闇に覆われていた。
 信号を渡り、神楽坂通りに入った。街灯は付いている。が、暗い。店がシャッターを下ろしているからだ。ネオンや店の灯りがないと、街は明るくならないのだ。
 闇の中から駆けてきた女性が、ハッと言って立ち止まった。足元にネズミがいたようだ。目を凝らしてよく見ると、あちこちにネズミがいる。看板の下、植え込みの陰、道の真ん中にもいる。俺はネズミの尾を踏まないよう注意しながら坂を上った。
 闇の中ですれ違う人はみな大きなマスクをつけている。マスクとシャッターばかりが目に入ってくる。街全体が息を潜めて身を隠しているようだ。コツン、コツンという靴の音が妙にきれいに聞こえる。
 毘沙門天のあたりまで来ると闇はさらに深くなった。俺は寿司屋や洒落たレストランが並ぶ路地に入り、その路地から小さな飲み屋の並ぶ小路に入った。黒ヘルの同志、香坂夏子の小料理屋はその小路の奥にあった。
「いらっしゃい」
 小料理屋のおかみらしく和服を着た夏子がいた。
「最近はね、あんまり着物は着てなかったんだけど、今日は、偉大なる指導者、武川武同志が来ると思って、一番上等な着物を出したのよ」
 夏子の着物姿を見るのは初めてだった。
「なにその、フーンっていう顔は。おっ、色っぽいなって思ったんでしょう」
 小料理屋のおかみは、人の心を読むようだ。
「ね、電話で言った通りでしょう。全然、人がいない。人間よりもネズミのほうが多い」
「ああ、びっくりしたよ。見事に人が消えたね。人類が滅亡した後の世界に来たのかと思ったよ」
 俺は何年か前に読んだ『フラッシュフォワード』というSF小説の話をした。
「ヨーロッパの研究所でヒッグス粒子を発見するための大規模な実験が行われるんだけど、それが失敗してフラッシュフォワードが発生する。フラッシュフォワードとは未来視。過去の光景がよみがえるフラッシュバックの反対で、未来の光景を見ること。その小説では、世界中の人が二十一年後の未来を見るんだけど、さっき神楽坂を歩いていて、俺は未来の世界を見ているのか、未来の世界に人類はいないのかって思ったよ」
 夏子は棚からグラスを二つ出し、カウンターに並べた。そして、着物の袖をおさえながらビールを注いだ。
「武君、変わらないね。昔もよく自分の読んだ本の話を得意になってしていた。ほんと、全然変わらない。フラッシュバックしたよ」
「二十年ぶりくらいか」
「さっき計算した。十九年と十ヶ月ぶり」
 夏子も変わらなかった。二十年分の歳はとっていたが、仕草や口調はまったく変わっていなかった。俺を「武君」と呼ぶところも。
 
 夏子から電話があったのは三日前。
「私、神楽坂で小料理屋をやっているの。毘沙門天の方。堀大関係の人は誰も知らないと思う。こういう商売って、友達を頼ると失敗するっていうから、開店の時も誰にも言わなかった。それで、開店のお知らせをしておいて、こういうのも変なんだけど、実は、お店を閉めることにした。だから、一度、来てくれないかなと思って電話した。どんなお店で私が頑張っていたのか、武君には知っておいてほしいから」
 夏子は基礎疾患を抱えていた。
「お店を閉めるのは、それが理由。二年くらい前から調子が悪かったんだけど、今年に入ってからは店に来るのもきつくなった。それで、このお店も週の半分は人にやってもらっているんだけど、そこに、このコロナ騒ぎでしょう。その人も店に来るのがしんどいっていうんで決断した。でも、コロナでこうなる前から夏には閉めようと思っていたから、それが少し早まっただけかな」

 2

 学術行動委員会(GK)の名簿にはこうある。

 香坂夏子 一九六八年七月十七日生まれ。神奈川県のN女子大附属高校卒。一九八七年四月、外堀大学文学部哲学科に入学。同年五月、GKに結集。八八年四月、哲学会執行部に入り、以後、八九年度哲学会委員長、GK副議長などを歴任。九一年三月、卒業。(住所、電話番号は略)

 香坂夏子が外堀大学に入学したのは一九八七年だが、彼女と俺が知り合ったのは一九八六年の夏、彼女が高校三年生の時だった。昔、俺との出会いを誰かに訊かれた時、夏子はこんな風に話していた。
「私は神奈川県の女子高に通っていて、系列の女子大に進む予定だったんだけど、一般入試もしてみたいと思って、高三の夏、横浜にある予備校の夏期講習を受けた。予備校ではすぐに友達ができて、中華街とか赤レンガ倉庫とか、みんなでいろんなところに行った。そして、ある日、友達の一人に反基地運動の企画に一緒に行こうと誘われた。
 神奈川県という基地と無関係でないところに住んでいたのに、私は基地のことなんて何にも知らなかった。それで、最低限のことは知っておこうと思って友達について行った。
 友達もそういう企画に行くのは初めてで、図書館で時々やっている写真の展示会のようなものだって言っていたんだけど、行ってみたら全然違った。その企画は新左翼系の市民団体が主催している政治集会で、基調講演があって、パネルディスカッションがあって、そうだー、とか、よし、とか、ナンセンス、とか、ヤジが飛び交っていて、なんだこれはーとびっくりした。
 でも、面白かった。新鮮だった。私はお嬢さん育ちで、運動とか闘争とか、そういうことは全然知らなかった。親が政治の話をしているところも見たことがなかったし、家で学生運動が話題になることなんてありえなかった。だから、何がよしで、何がナンセンスなのか全然わからなかったけど、すっごく面白くて、企画の後の交流会にも友達と一緒に参加した」
 夏子はその交流会で「カルメンさん」と呼ばれる女性活動家に声をかけられる。
「本当にカルメン・マキみたいな雰囲気の二〇代後半の女性なんだけど、その人からいろいろ話を聞いた。今日の集会にはこういう意味があって、今、運動はこういう局面にあってとか、いろいろ解説してくれた。彼女みたいな女性闘士と話をしたことなんてなかったから、とにかく圧倒された。カッコいいと思った。宝塚の男役のトップスターを初めて見た時のような感動があった」
 それで、夏子はカルメンの主宰する勉強会に顔を出すようになる。
「左翼の理論や活動家用語がどんどん私の中に入ってきた。砂地に水が染み込むように吸収した。全然、免疫がなかったから、何の疑問も持たずに受け入れた。社会はこうなっているのか、こんな問題があるのかってどんどん感化されていった。そして、それまでは系列の女子大に行くつもりだったけど、外堀大学に行って学生運動をやろうと思うようになった。数ある大学の中から外堀大学を選んだのは縁としか言いようがない。カルメンさんが付き合っていた人が哲学会のOBの寺岡修一さん。寺岡さんから学館の話をいろいろ聞いた。それで、行ってみたいって言ったら武川武を紹介してくれた。武君は学館を案内してくれて、いろんな人を紹介してくれた。みんな私を歓迎してくれた。それで、すっかり学館が気に入って、よし、ここで天下を取ってやるって思ったわけ」
 夏子が俺を「武君」と呼ぶのは、カルメンがそう呼んでいたからだ。寺岡のことも、普段は「修ちゃん」と呼んでいた。
 俺が「夏子」と呼ぶのは、彼女がそうしろと言ったからだ。出会って間もない頃、夏子はこう言った。
「私、香坂って名字、嫌いなの。だから、香坂さんって呼ばれるのはイヤなの」
 なぜ、嫌いなのか、はっきりとは言わなかったが、たぶん、お姉さんの名字に関係があるのだろう。
 夏子には歳の離れた姉がいた。俺よりも三つ上だと言っていたから、夏子とは七つ違うことになる。俺がお姉さんと会ったのは、外堀大学の学園祭の時だ。夏子が連れて来て、ほら、これが武君、と引き合わしてくれたのだが、夏子とは名字が違ったので、結婚しているのかと思った。が、後で聞いたら、そうではなかった。
「母は二回結婚していて、姉は最初のダンナさんとの子。香坂家は旧い家なんで、因襲がいろいろある。粉砕しなければならない因襲が」

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