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【Zatsu】世の中をひっくり返すもの10(後編)

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前回の3行まとめ
なんだ、ただの無双シリーズか
子どもメタ認知
おやくそくという名の拡張現実



コレジャナイ感

ゲームに興味のない人にはピンと来ないかもしれないけれど、ここ何年もレトロゲームが人気を博している。専門の動画チャンネルもあって、かなりの再生数を記録しているんだ。最近の作品と比べれば絵も音も格段にショボいんだけれど、それでも魅せる。惹き込まれる作品もあるんだよね。
もちろん、いわゆるクソゲーも多いのは事実だが😅

一方で、過去作のリメイクもたくさん行われている。どれとは言わないし、その出来の良し悪しも個人の感想ですので多くは語らないけど、PCやスマホアプリに移植した作品などは、厳しい評価が多い印象。映像はメチャクチャきれいになったし、サウンドも7.1ch対応でパワーアップしたよ! フルキャラクターボイス、ゲームバランスも過去作より大幅に改善しました!

それでも評価が得られないこともある。そこに漂うコレジャナイ感。なぜだろうか。

映画の世界だって、巨額の製作費をかけて鳴かず飛ばずの作品もあれば、低予算映画でスマッシュヒットを飛ばすこともある(もちろん、そうじゃないものが大半)。
でも、確率的にはカネをかけてド派手にして、有名な脚本家を雇って、話題の俳優をキャスティングすれば多くのお客さんの興味も喚起できる可能性が高まる。

つまり大衆マスに売れる作品を作る、興行的に成功する作品を作る、となると必然的にそうなるのかもしれない。その手段として駆使される最新VFXもまた、ゲームと同じ構造を抱えていないだろうか。

予告編では面白そうだと思ったのに、途中から「早く終わらないかな」ばかり考えていたよ。正直、しんどかった───とかね。


臨界点

どんなものだって、創作物である以上はクリエイターの作品に込めたメッセージがあると思うんだ。メッセージを受け止めたときユーザーの心に生まれる情動の変化が感動であり、わくわく感ではないかな。なんとなくそんな気がするんだよね(エンタメでは)。

もちろんメッセージがひとつだけとは限らないから、子どもがウルトラマンのテレビ番組を観て「カッコイイ」とわくわくしつつ、横で一緒に見ていた親がストーリーの裏にある社会的な問題提起を受け取って神妙な気持ちになったっていい。

いずれにせよ、こういった受け手の心の動きが本質的な満足感を生み、それはどの時代であっても変わらない。お茶の間で初代ウルトラマンを観ていた子どもが感じたわくわく感も、塾を終えてスマホで最新のウルトラマンをみている子どもの感じるわくわく感も。

技術はどんどん更新されていく。表現できる幅もどんどん広がっていき、かつては夢の世界だったことも、最新の技術を駆使すれば手元に手繰り寄せることができる。
そんな時代の中で、エンターテインメントを通じて感動を与え続けていくにはどうしたらいいだろう。テクノロジーは強力な道具ツールだが、それがゆえに「どの道具をどう使うか」にばかり気を取られると迷走することになる。
感動と感心は似ているようで違う。
装飾によるインパクトは臨界点を超えつつある気がしてならないんだ。

技術革新による派手な演出
その環境の変化が皮肉にも本質を見えなくしている


技術革新のゆくえ

それでですね、お粗末ながら未来のどうあるべきかを自分なりに考えてみたのよ。それがこちらです(字が汚いのはご容赦ください😅)。

最初にウルトラマン作者(円谷英二?)のメッセージがある。
それは既存の映像技術をつかって視聴者へ展開されていくわけだけど、技術的な制約で表現の幅が狭められた結果、特撮が選択される。
少しでもメッセージが伝わりやすくなるようにライティング、きぐるみ、演技、などの改善努力がなされてゆくも限界がある。
そこに映像技術の革新が起こり、VFX技術が一般化された。

そのあとが、考えられる未来像。

①そのVFXを使ってウルトラマン作品を作り映像美をアピール
②技術的制約のせいであきらめざるを得なかった表現手段を最新のVFXにより実現する
③もともとの作者のメッセージに立ち返り、当時VFX技術が確立されていたとしたら、円谷英二は何をしただろうか、を考え、あらたな作品を生み出す

①はいまフツーにおこなわれている最新技術を駆使した作品だ。ある意味で最新技術のお披露目がウリな側面があり、技術のアップデートとともに、作品もさらに衣替えしていく。

②はいわゆるリメイクだね。

③はある意味で、新しい世界線を生み出す作業ではないかと思っている。もしあの時代にこの技術があったとしたら、この革新的な技術は当時における既存技術ということになり、表現の自由の幅も広がり、その前提で円谷は何を考え、伝えようとしただろうか。すべてが仮定であり、別の世界線の出来事。でも、ここに「わくわく」の本質がある。


本質に立ち返るプロセスは一種のミニマリズム。俳句や庭づくりが衣を削ぎ落していったように、メッセージ探求の向かう先は、積み上げてきた技術、飽和した環境を棄てていくことなのかもしれない。

おもしろいことに、最近は原点回帰する流れもあるんだよね。
特に若い世代。彼らが過去の遺作のメッセージを色眼鏡なくくみ取り、自分事としてあたらしい作品を生み出していく可能性は十分にあると思うんだ。


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