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世の中の災いに惑わされず穏やかに生きる方法

天災、戦争、疫病、治安の悪化などどこの国も問題だらけでまるでこの世界に逃げ場がないように見えると思います。しかしながら視点の方向と信念の持ち方を変えるだけでこの世界で穏やかに生きる方法が存在します。今日はその方法について具体的にお話していきます。

多くの人はこの世界が悪に支配されているということを知らないというか、そもそも正しい情報を得ることができない状況に置かれています。従って「神がいるならなんでこの世界で戦争や地震がなくならないんだ!おかしいだろ!」「世の中の悪が見過ごされているなんて間違っている!」というように考える人たちがたくさんいても全く不思議ではないです。

この世界を創ったのはイエスの父すなわち創造主(אלהים 読み方をカタカナで再現すると「エロヒーム」)ですが、この世界の今の支配者は悪魔です。
悪魔が支配している世界なので盗み、殺し、破壊が何千年も前からいっこうになくなりません。

そんなことならこの世界に住むこと自体が生き地獄と考えるのも無理はないです。
しかしながらお伝えしたいことは、この世界は初めは楽園としてエロヒームに創られたこと、そしてエロヒームによって究極の救いの道が用意されているということです。

この世界でどんなに大金持ちになっても、権力や名声を得ても、自分なりに考えた正しい行動をしても、それだけではエロヒームが用意した救いの道に行くことはできません。

どんなに心の清い人であっても、この世界で人間として生きる限り自力で徹頭徹尾心が清い状態で生きることはできないし、それはその人の能力や努力とは無関係です。

心の中で「あいつ殺す」と思った時点で、エロヒームにとってそれは罪です。罪とは犯罪のことだけではありません。罪とは「エロヒームの考えから離れている状態」のことです。

そもそもエロヒームは人間に楽園を用意していました。その楽園とはエデンの園です。

クリスチャンでなくてもほぼ誰でも知っているお話の一つはエデンの園のお話です。エデンの園で(ヘブライ語で נחש 読み方をカタカナで再現すると「ナハーシュ」悪魔のことです。)がイシャー(אשה 女のこと、創世記の中でイシャーからエヴァに呼び名が変わります)と会話し、イシャーとアダムが食べてはいけない果物を食べました。

わかりやすくかつヘブライ語の言葉をなるべく使って創世記3章に書かれている該当箇所を意訳してみるとこんな感じです。


ナハーシュがイシャーに言った。「あなたは園の木の全ての果物を食べてはいけない、とエロヒームは言ったの?」

イシャーはナハーシュに言った。「死なないためにも園の中央の木の果物を食べたり触れたりしてはいけない、とエロヒームは言った」

ナハーシュはイシャーに言った。「あなたは死なない。あなたがそれを食べたら目が開かれて神のように良いことと悪いことがわかるようになることを、エロヒームは知っている」


エロヒームがアダムとイシャーに言ったのは、「善悪の知識の木の果物を食べてはいけない。それを食べたらあなたは必ず死ぬ」ということでした。エデンの園の中央には命の木と善悪の知識の木が植えられていました。

イシャーもアダムもエロヒームの言葉を正しく理解していなかったことがわかります。だからイシャーはナハーシュの嘘に騙されて食べたら死ぬ果物を食べてしまい、アダムもイシャーに勧められてその果物を食べてしまいました。

エロヒームはなぜ命の木と一緒に善悪の知識の木を植えたのでしょうか?初めから善悪の知識の木がなかったらアダムもイシャーも永遠にエデンの園でエロヒームと暮らすことができたはずです。

エロヒームにとって、イシャーとアダムが善悪の知識の木の実を食べることは想定の範囲内だったと考えることができます。
だからこそエロヒームは究極の救いの道を用意しました。

エロヒームの子どもを神であり人間である存在としてこの世界に送り、その子どもを人間の身代わりとして罰として処刑する。
その子どもは人間であると同時に神なので死を克服することが可能なので復活する。
その子どもを自分の命の主人として受け入れてその子どもに従う人はエロヒームから罪を赦される。その子どもとはイエスキリストです。

「自力で生きていけるから神なんていらない」「神に頼るほど自分は弱くもないしバカでもない」と考える人たちもたくさんいます。その考えを頭ごなしに否定したいとは思いません。

ただ伝えたいのは、神に頼るということはその人の能力や知性が低いというわけではないし、その人が弱いから神を頼るというわけでもない、そして人間は神になることも神のようになることもできない、ということ。

エロヒームに従って光の中を生きるか、ナハーシュに従って暗闇の中に生きるか、エロヒームは人間に選択肢を用意しています。

あなたがエロヒームに頼ること、あなたのために身代わりになって罰を受けて死んでくれたイエスをあなたが最優先にして生きることをエロヒームは望んでいます。そしてそれが本来人間が穏やかに生きる方法です。

たとえあなたの現在が困難な状況にあっても、過去の傷に苦しめられていても、世の中がどんどん混乱していく中で未来への不安に苛まれていても、恐れることはありません。

ナハーシュこと悪魔は聖書にも書かれている通り非常に賢く人間の知力を凌駕します。ナハーシュは嘘つきです。ナハーシュはあなたの時間を奪います。ナハーシュはありとあらゆる手段を使ってあなたがエロヒームに逆らうようにし、しかもそのことにあなたが全く気付かない方法を使います。まるでナハーシュがイシャーをそそのかして善悪の知識の木の実をイシャーに食べさせたように。

エロヒームは人間が作った神ではありません。
エロヒームとイエスを信じることはカルトや変な宗教とは全く無縁です。

人間が作った「神々」はただのモノで、それらは何の力もありません。あなたがそれらに頼ったところで、それらがあなたを救うことはできません。
エロヒームは人間を創った神です。

あなたはエロヒームにとって大切な存在です。イエスはあなたのために自らの命を捨てました。

イエスを自分の人生に受け入れて視点をエロヒームに向けるとき、あなたは暗闇から解放され、例え世の中がどんどん過酷な状況になっても穏やかに生きることができます。

エロヒームはこの世界を創り、人間も時間も創りました。
聖書にはこの世界の始まりのことから終わりのことが書かれています。今起きている戦争以外に、これから起こる戦争や災害や飢饉やのこと、この世界が終わるときに起こること、そしてこの世界の次の世界のことも聖書に書かれています。詳しい内容は別の note でお話します。

もし災害や日々の中で心を騒がされている人がいたら、
漠然とした恐れや不安をどうしていいかわからなくて焦っている人がいたら、
もしそれがあなただったら、あなたのために祈ります。

最後まで読んでくれてありがとうございます。シャローム!

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