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[ai.]

バンド時代のBasquiat grayで
唯一サブスクに上がっている曲。
CDも作って天王寺のTSUTAYAのインディーズコーナーに短期間だけだけ並べてもらった。
そのCDに動きがあったかどうかは不明だが。

それでも、近しい所での影響は凄かったんだと思う。
後輩のミュージシャン数人に曲ちょっとパクられてたもんな。笑
流石に言ってて欲しかったし、パクるなら俺よりいい曲かけよ、と思うけど自分的には嬉しい気持ちもあったよね。

あとは、この曲発表当時、勢いだけで色んな人巻き込んでしまった事は謝りたい。
自分の力不足で、多分今ならマシには出来るけど、わだかまりが残ってる人たちがいたらまたこっそり言って欲しい。

まさかの謝罪ではじまってしまったので本題に戻る。

自分は曲を作る際、
即興っぽい感じでギターで弾いた、
コード感にメロディーをあてて、
気持ちいい発音を探る作曲方法が殆どである。

だからなのかはわからないけども、
周りのアーティストに比べて
歌詞の母音への意識が強い気がする。

この曲とかは実家でサビのメロディーが浮かんだのをなんとなく覚えている。

サビはao aio の母音で埋めるのが気持ちいいだろうな、となって。

当時持っている曲数も少なかったので
AメロやBメロができる前、というか、歌詞すらできる前にちょくちょくライブで部分的に披露していた。

最初は、
最後とか迷子とか、my going〜とか。
そんなワードを歌詞としてあてていた。
まさに迷子だったね。

あとはエグ味。
バンドはもともとソロの活動から派生して出来たものだったので、イメージ的には、
ちょっとダークでシリアスだったのに、
ソロ曲を膨らませてスタートしたのもあり、
曲がバンドにしては爽やかなものが多くて。
もっと生々しい感じを出せる曲を作りたかった。

作曲時の感覚的な話をすると、未だによくあるんだけども、歌詞をあててもその曲のポテンシャルをうまく引き出せてないなぁ、みたいな感覚がよくある。
これも母音が起因になってる部分が大きい気もするけど。
まぁ、発音以外も色々あるんだろうけど。

文章というより繋がりのあえてないものを
助詞を省いて並べるプランで作詞をスタートした。

でも
始めの「ハロー神よ ほんのちょっと」
と終わりの「アイとアイを」
は入れたくて。
その2つが揃ってから世界観がバーっと広がっていった。

とはいえ、ずっと歌詞の整合性が保たれる様に
サビにハマる歌詞をグルグルグルと通勤途中とかに考え続けていた。

今となってはどうって事無いけど、
当時は凄く攻めた歌い出しだ、と自画自賛した。
「おそらく僕ら人間はゴミと同等で」
こんな歌い出しの曲あるか?と。
それから、令和になってもう当たり前にはなったけど、
ラップじゃ無い歌で歌詞を詰め込む様な
曲の珍しさも少しあった気がする。
サビのメロディーが強いから、
メロはなんでも良かったんだろうし、
そのタイミングでバンドやってなければ全く別の曲になっていたと思う。
オルタナティブロック以外のジャンルに振る事もそんなに難しくなかったと思う。

でも、
メロを細かくした時に、サビに爆発力が生まれた。
バンドであわせると更にその爆発が爆発した。

愛と愛と書くとなんか、胡散臭い感じがするけど
eyeとeyeにかかっている。

作ったのも昔なもんで、
今は当時より言語化が出来るけど、
考えてみると自分は
「内側の世界」と「外側の世界」
の感覚を何度か表現しようと試みていて。

当時は今よりずっと内側の世界の感覚に身を置いている時間が長かった。

なのに、なのか。
だから、なのか。
人をこんなに好きになれるんだ、と
驚いた事があった。

でもそれは学生の頃の恋心だったりの
衝動的な、
恋自体に焦がれる様な感覚ではなくて、
本当にその人のことが好きだった。
大して何も知らないくせに恋ではなく愛だと思った。
そして向こうも確かに愛情を持って接してくれていた。


eyeとeyeの間に愛があった。
1人の人間と1人の人間が
向き合うと何かが生まれる。

アダムとイヴだってきっとそうだ。
宗教だって表向きは愛から生まれてんだよ。

でも不思議なもんでSexでもしようもんなら、
その距離感じゃ相手のことが見えなくなったりする。
今ならそれはちゃんと一つになれてるって事だと思えるし、

感じる=心の目で見えてる

って事なんだと思う。
けどなんか当時は必要以上に
もっと、もっと、
って感情すらも一つになりたがってた気がする。

ちょっとキモイな。笑

でも、ライブの時とsexの時位しかそんなに強く感情に動かされる事ないもんね。

ん?
え、分からん。言うててやっと恥ずかしくなってきたぞ。

人間って自分基準でしか物事考えられへんから俺もしかしてヤバいこと言うてる?
大丈夫そ?

そう。
俺はシャイなのでサビの歌詞は
恥ずかしいから今ぐらいは鑑賞すんなよ、神様よぉ。
ってな具合です。

人に誇れる様な事は無いけど、
その人を好きな気持ちは誰にも負けてないぞ、みたいな気持ちとか。

外から見れば
1+1=2なんだけど
1人+1人=2人
って公式の書き方をすると
間違ってないけど違和感があって。
先述した通り、
人同士って考えると
度合いこそあれど、
そこには情が生まれる訳で。

外から見てる神様がいるとして、

1人と1人が育んだ愛の力なめんなよ!
みたいな。笑

因みにこの曲も色んな曲の影響下にはあるけど強いて一曲挙げるなら、
Joan osborneのOne of usだ。

この曲はもし自分達生活の中に当たり前に神が生活していたら、みたいな曲、だったはずで。
アルバムにはこの曲の前に飛行機から街を見て
この曲を作った経緯とも取れそうな短いアカペラの歌が流れる。

大好きな曲なので良ければ聞いてみてくだされ。


バンドやるってなった時にメンバーに作りかけのこの曲聞かせたらやりたいって言ってくれて本腰入れて作り切った。
まだ記事には書いてないけど「ロスト」という曲もそうだ。

たったの4コードしか使って無いのにメンバーのケンタのドラムが
それでもええもんはええんじゃい。
みたいな煽り運転に近い勢いで後ろでドラムを叩くからこそ完走(完成)した曲だ。

当時の感動も凄かったけど、やっぱり彼の功績はデカい。(音もデカい)

タイトルは愛でも無いし、アイだと少しかわいさも出てしまって違うってなって。

aは冠詞だし、iは自分。
それから
辞書とかの発音記号のイメージを持ってして
[ai.]とした。

恋愛がエゴだったとしてもエゴとエゴで成り立ってるとしたらそんなに素晴らしいことも無いよな、とか。

褒めあい、讃えあい、時に憎しみあい、
なぐりあい、抱き合い、愛しあい、笑いあい、
みたいな
1人じゃなくて、人と何かをする時に「ai」の発音が使われるのも素晴らしいと思った。

ほんっとにこの曲は、色んな想いや気持ちや、物事の成り立ち、思想を詰め込みすぎた。

でも説明的にはしたくなくて、
聞き続けて何かの拍子にその片鱗を拾って
あなたとこの曲間の愛を育んで貰えたら。

愛は創造から生まれてるよな、
と、つくづく思いつつ。


因みに、自分で描いたCDジャケットもベストでは無いけどそこそこ気に入っている。

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