ジョウカダイゴ

SSW.大阪奈良王寺周辺。バンドBASQUIATGRAY休止中。毎月、第一月曜日にFM…

ジョウカダイゴ

SSW.大阪奈良王寺周辺。バンドBASQUIATGRAY休止中。毎月、第一月曜日にFM81.4ラジオパーソナリティ。路上ライブも。 元波Artyardスタッフ。精神性はオルタナプログレ。演劇、映画、小説、旅、ビターチョコが好き。映画撮りたい。POPs探究旅の途中。

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平成32年6月30日初稿。

平成元年、9月26日生まれ。 平成に対する愛着とやり残したことが沢山あってまだ平成と言い続けている。 発達障害。ADHD。判明したのは去年の話。なのに付き合いは30年。 不思議な話だ。 ずっと不思議だと思いながら違う説明書を読んでいた感じ。 言い訳にはしたく無いが言い訳にしないとやっていけない時もある。 それでもこの説明書。 殆ど白紙の取扱説明書はとても書き込みがいがあってしっくりもきた。 そんな書き出しで始めるつもりでもなかったのだけども、このnoteも何故だかしっく

    • 路上後記、24年4/28。

      ダラダラじゃなくて、サラッとでも。 書かないよりは書いた方が良いのかなと。 心斎橋のパルコ前。 22:00過ぎより。 まぁまぁな人の数。 でもやっぱりもうちょい早い時間のほうが人は多いだろうなぁ。 知り合いの知り合いなバンドマンに出会った。 あそこでするとまぁまぁな確率でそういう事はよくある。 けども、やっぱ嬉しいよね。 こーゆーのには慣れたくない気持ちはある。 いつも新鮮に喜びたい◎ カバー曲ってなんかしたっけ? なんやかんや自分の曲だけでやり通したんか。 真っ

      • 夜が明けたら

        これはコロナ禍の曲ですね。 コロナ元年くらいに着想を得て 一年位寝かせたんかな? 最初は仮タイトル渦 (うず)とかそんなんだった気がする。 丁度活動としては、 アルバムを作る妄想をしていて、時代を反映した曲が作れたらなぁと思ってた時期で。 ただ普通の曲作りにも飽きてた頃で。 あ、そうか、思い出してきた。 ギターの練習をわりかしちゃんとしてたんだ。 でその時にレギュラーチューニングの6弦だけCに落とす曲があって。 ギター置いてそのまま働いたりして、帰ってきてギター触ったら

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        • 初めてのヒッチハイク#序

          無事に生きている。 3/31のライブにも間に合い、 4/1のラジオにも間にあった。 重い荷物で身体的ストレスはやはりあるし、 療養中の腰にも少し、負荷をかけてしまいはしたが。 今日整体に行って、多少無理して負荷はかかっているが最初の頃を思ったら大した事無いと、いってもらえて安心している。 7台の車が無ければこうはなっていない。 パレードという自分の曲で、 『誰も居ない駅と家 知らない人の知らない日々 交わることのない時の中で 君は確かに僕の隣にいる』 という歌詞がある

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        平成32年6月30日初稿。

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          [ai.]

          バンド時代のBasquiat grayで 唯一サブスクに上がっている曲。 CDも作って天王寺のTSUTAYAのインディーズコーナーに短期間だけだけ並べてもらった。 そのCDに動きがあったかどうかは不明だが。 それでも、近しい所での影響は凄かったんだと思う。 後輩のミュージシャン数人に曲ちょっとパクられてたもんな。笑 流石に言ってて欲しかったし、パクるなら俺よりいい曲かけよ、と思うけど自分的には嬉しい気持ちもあったよね。 あとは、この曲発表当時、勢いだけで色んな人巻き込んで

          初めてのヒッチハイク

          皆さんはヒッチハイクをした事があるだろうか。 俺はない。 あんまり車を運転する機会がないのだけれど 自分が乗せる側だったら若い人の方が車に乗せやすいかなぁ、と思った。 と、いうことでだ。 現時点で今が1番若い。 やります。 明日。 ほぼほぼ準備はしていない。 とりあえず、身なりが大事そうだな、と思いつつ 髪は切った。 ある人にヒッチハイクの為に髪を切った、と言ったら 「ヒッチハイクと言えばドレッドでしょー」 と言われた。 あ、うん。 いや、ん? 髭を剃ろう

          初めてのヒッチハイク

          HOTELティンカーベル

          はい、ラブホテルの曲です。 名前は実際あったホテルでしたが名前が変わってしまっていて今はもうないです。 バンドとソロとの差別化を考えながら曲を作ってた頃で。 BASQUIATGRAYという自分のバンドは結構重たくてシリアスなイメージだったのでこんな曲出来ないっすよね。笑 あいみょんが出てきて、チラホラ名前を聞くようになってたら「おっぱい」という曲があるらしい。となんかちょっと話題になってた。 (そういえば未だに聞いたことないので聞いとくね。笑) いやいやいや、それなら

          HOTELティンカーベル

          pink

          24曲目位結構最近のイメージ。 フレーズだけは初期も初期、クラウディ作ってた頃にはもう既に出来ていた曲。 大人になって何度目の 春だろう日差しが眩しい みたいな歌い出しで書いてた記憶。 もしかしたらどっかに初期の歌詞も残ってるかもやけど。 外で遊ぶ子供の声や電車の新入社員の革靴、、、眩しい、眩しすぎる。 学生の頃はあんなに一年毎にキラキラわくわくとしてたのに 社会に出てあんなにワクワクしなくなった。 羨んでるのか、なんなのか。 仮タイトルはずばりさくら。 いやさ、ま

          Amy go round

          メリーゴーランド。 をもじってエイミーゴーラウンド。 エイミーは海外の名前ではあるけど、 日本だとあみとかえみとかそれっぽい名前の人もいるし良いかなと。 アメリ、も過ったけど、アメリはフランス映画の アメリのキャラが強すぎて絶対エイミーだわ。 と思った。 仮タイトルのつもりだったけど、むしろ、タイトルから膨らませて曲作ってた節もあるからそのまま。 王寺駅で路上ライブをよくするのだけれど、 冬場、改札出てすぐの高架がイルミネーションで彩られる。 路上で人がいない時に手癖

          パレード

          奈良県北葛城郡河合町という場所に 馬見丘陵公園、という場所がある。 2014.11.8 「Kofun meets color」を開催した場所である。 巨大な公園でテーマパークの様に何かがあるわけではないけど、歩くだけで楽しくて大好きな場所だ。 ここをフェスの会場かもしくは数日限定のテーマパークにしたい。 とずっと思っている。 10年経った今も。 10年前の話に戻そう。 細かい事は忘れてしまったり、 記憶の上書きをしてしまっている気がするので、 間違っている可能性もあ

          変われないカメレオン

          この曲、意外と初期に出来てた曲。 というか、昔はやっぱり作曲ペース遅かったよね。 元々ライブハウスでソロでライブを始めた時から、弾き語りのイベントって苦手だった。 弾き語りのミュージシャンだけ集めたライブって出演者何人もいるとライブハウスの空気が結構しんどくなってく印象があって。 普通の弾き語りは嫌だな、って気持ちから、 楽器屋に行って、 「なんか弾き語りで使えるエフェクターないですか!?」 ってBossのループステーション買ってたのね。 いわゆるルーパーってやつです。

          変われないカメレオン

          雨上がり

          これも結構昔か。 バンドBASQUIATGRAYをやってた頃。 バンドとソロの音源を同時期に作らないといけなくてプレッシャーで圧死してた頃だ。笑 しんどい時の方が曲がかけてしまうのは良くないなぁと我ながら思ったりもする。 あ。いや、違う、書けなかった。 絞り出したのだ。この曲は。 本当に何も書けなかった。あの頃。 空っぽの状態で。 何も出来なくて、何かを動かさないと、 ダメになる。 いや、ダメなんだけど、既に。 取り返しのつかないところまで来てしまう。 と。 そんな

          湯気

          ちょっとチューニング不安定で聴きづらいので これまたいつ撮り直すか分からない事をご理解下さいませ。 この曲は手元の資料見ると 23曲目って書いてある。 コロナ禍にみんな慣れてきてたころかね。 2021年位かな。 スピッツの歌詞って凄いよなー。 から始まっていて。 というのも、読んでみて、 意味がわかるようで分からない。 分からないようで分かる。 この絶妙なライン。 匠の技だ。 と思った訳です。 自分は、 ストーリー性の歌詞があるものが多いってこともあるだろうけど、それ

          気まぐれ

          手元の資料によると大体13番目に作られた曲みたいです。 BASQUIAT GRAYって3ピースバンドをやってた頃ですね。 この頃はこの頃で相当苦しかったんだと思う。 でも「雨上がり」という曲を作って、曲を作る事で気持ちがまぎれる、みたいな感覚を取り戻しかけてたところで。 バンドでできない表現を、みたいな気持ちも少し強かった。 最初は 仕事行きたくないとか、生きてるのしんどい、みたいな、ひたすらにネガティブを歌にしようと思ったけど、本質的に口下手だからかなぁ。 早めに語彙力

          クラウディ

          ジョウカダイゴといえばこの曲。 みたいな感じはあるかもしれない。 なんせ、一番最初に作った曲なのだ。 それはそれは思い入れはあるし、 この曲と共に出来た思い出なんかも沢山ある。 作曲中の印象的な映像として 覚えてるのは 実家の2階へ上がる階段の踊り場で 後半の展開を思いついた記憶は確かにある。 今でこそ、くるりの曲と混ぜてクラウディを演奏したりするけどコレは 活動初めて5年位経ってから 、あ、クラウディで描いてた事って、めちゃくちゃくるりと親和性あったんだ! となり嬉し

          2月

          1月は心の落ち込みが酷かったのだけれども、 2月になって随分上がって来れたのかなぁ、なんて思う。 半年以上悪くしていた腰痛が少し良い方に進んでいる兆しだったり。 その他にも色々。 ただ、一つだけ間違いないのは 自分という人間に少しでも関わってくれてる人達のお陰で生きれてます。 本当にいつも生かされてる。 ありがとう。 色々って言葉にも集約できないくらい色々あったけど、それが自分自身、整理できないでいると心が沈んでゆくのは改めて実感。 アウトプットが足りてない、は危機だ。