卑怯を認めることが最も難しい理由

どんな「悪人」もひとつかふたつ、矜持を持っているものだ。

その矜持とはだいたいー 「俺は確かに悪いことをしているかもしれんが、卑怯ではない、人の道は外していない」である。 

つまり、悪はまだかわいくて、もしくは仕方なくて、「卑怯」とか「人の道」というものが、最後のラインだから俺はまだ大丈夫だよーというわけだ。 ましてや「善人(笑)」をや。

誰もが自分は色々あってもそのラインは超えちゃいないんだと思い込むことで己を保っている。そうして他人に損をさせられる度、自分を棚に上げて卑怯さを指摘する日々を送っている。


皆さんはこれまでの何十年かで、誰かが「私は卑怯だ」とか「私は人の道を外した」と直球で反省する人を見たことがあるかな?いないよね。「私が悪かった」ならあるけどね。

フィクションならたまにあるけど、その場合大体そのキャラは死ぬほど苦労してて、仕方なくそうなって、かつ繊細に自省して、吐露した、という流れで、どちらかといえばかなり精神性の高い魅力的な人物だよね。

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現実で俺は見たことも聞いたこともない。

しいて言えば自分自身をチェックしたり自問自答してそう語りかけたことがあるくらいだ。

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俺の経験や見立てでは、「俺は卑怯」「俺は人の道を外した」(かもしれない)という言葉を発する人が、その後行動がなにも変わらないことはありえない。

それを発すること、すなわち自分の意識において気づき、確定させ、表明することは、現実の自己を変えることと100%のセットである。裏を返せば、自己を変える覚悟ができて初めて発することができる言葉ということ。その前に「薄々気づく」等の段階がある。

他のどんな言葉でもそれほどの蓋然性で人間性の変革が起こらないことを鑑みると、その2つにそれほどの言葉の重みがあるということだ。

それゆえに、冒頭のとおり、「人が自己の卑怯を認めることが最も難しい」ということになるのだ。

各所の研究等で語られているとおり、自分自身を良い方向に変革する(卑怯を認めることで悪い方向に変革することなど無いことは説明する必要もないだろうw)ことは人間にとって非常に難しいことであり、

卑怯を認めることと人間性の変革がセットである以上、何にも優先してこれらがキーになるということを、これまで以上に自覚され、各自のペースで点検されたし。

※ただし、これまでそれをおろそかにしてきた人がその点検をやり出すと、これまでに味わったことのないほどの苦痛を味わうことだろう。この作業は、ドラゴンボールでいう超神水であり、本当に死ぬ危険もある。

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俺が直接会った場合にこれを人に勧めない理由である。柔らかく論理的に気付かせるヒントまでにとどめる。強制するものではなく、あくまで俺の書いたことが読んだあなたのどこかに突き刺さり、いつか強くなり必要なときが来たらそれを起動さえできればそれでいいのだ。


虚飾がはがれていくと、生きる意味を一旦見失い、気力も死を意識するほどに下がるだろう。ほとんどの場合欝、並行して各種の精神疾患的症状が現れる。余計な肉がそげ落ち、食欲もなくなり、全身が排出モードになる。

それは偽りの次元の低いエネルギーで長らく自己を支えていた代償である。

そこで味わうのは、生きる自信になりそうなものなどもうないのではないか?というくらいの暗闇だ。それが何年続くかもしれない。

そこから運よく生き残れたら、少しずつほんの少しずつ、本当の自信が集まり出す。自信というより確信。魂とかそういう何かからの圧倒的な確信である。別に大きくも強くも分かりやすくもない捉えどころのない確信。じわじわと少しずつ全身に効いていて、とても地味だけど根本の1滴から大きく変えるような確信。もはやそこに偽の自信を加える必要がない。

加えてちょっとした人の愛情へ感謝の度合いも飛躍的に増していく。

こうして真人間への道が開けるのだ。


その変革の恐怖を皆本能的に知っているからこそ、何よりも怖いものとして抑圧し、自分はまっとうだと信じることで上手に生を保っているのである。

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「予感がある・・すべての答えを知ったとき、私は破滅することになるのだと!」

今「頑張っている」「社会的にまっとうな」「自分の本心に反した」行動は、いつか終わる。本人が自ら終わらせるほど潔くなければ、病気、ケガ、事故、事件、その他の外圧により終わらせられる運命にある。自分の内にあるものがそれを望んでいるからだ。

その予兆を誰もが感じながら過ごしている。それはまるでブラックホールのようだ。最中はそれこそが最も恐ろしいことのように感じている。ブラックホールに飲み込まれたら全て終わりだと。

必死にそれを見ないようにしている。忙しさや習慣や癖や常識や依存によって、虚勢と思われないような虚勢を保ち、反対側を向いていようとする。

だが、行くべき場所は、、行かざるを得ない場所は、ブラックホールのように見える暗黒に「虚」全てを飲み込まれた後、その向こう側にしかない。

いつかチャンスがくれば、、真人間の世界に飛び込みたい、といううっすらとした希望、予兆もまた多くの人の内にあるはずだ。

そのような勇敢な人間たちの、人生最大の挑戦を、先輩として首を長くして待っている。

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