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「銃社会」✕「多民族」=「命の尊厳」が「損なわれる」? 日本では「平穏無事」≒「思いやり」に「溢れる」?

警官の制止を無視は公務執行妨害。反撃を恐れる警官にとっては脅威。銃社会の環境下では威嚇射撃も有り得たかも知れない?!

ただ、「後頭部への発砲」は擁護し切れず、「行き過ぎ」・「人権無視」・「命の軽視」としか表現できない。憂うべき社会であり、環境だと残念に思います。


日本では二つの大きな特徴があるため、「平穏無事」な日々が比較的多い。

日本では、基本、銃は持てない、持たないことになっており、日常で銃口を向けられる場面は皆無と安心できる社会です。
更に、文化や言葉が極端に異なる思想も無く、基本、単一民族として肩を抱き合える、いわゆる仲間です。
この二つの特徴から、日本では「平穏無事」≒「血生臭い争いは極めて微少」≒「平和」≒「思いやりに溢れる国」という理解をしています。(私見)

日本では、一つの問題(課題や事象)に対して、「僕、私の問題じゃない!」という姿勢ではなく、「より善き結果とは何か?」、「今、僕、私にできることは何か?」、「お互いに問題を共有し、相談して、適正に分担する」という素晴らしい社会を築ける環境にあります。もっと日本の特徴を活かせる場面が多数あると感じるのです。

一人ひとりの自覚と、少しの歩み寄り次第なのだと感じてなりません。目の前の空間を「より善き形」とするための「思いやり」は勿体無いのでしょうか?

私なりに、色々と想いを巡らせてみたいと思います。
米国の「悲惨な出来事」から、このような気付きを得ることができました。

お亡くなりになられた方へのご冥福をお祈りすると共に、遺族の方々へお悔やみ申し上げます。

❶日本における銃規制

《記事引用》
現在の日本における銃規制は主に銃砲刀剣類所持等取締法(銃刀法)を根拠とする。同法は、拳銃・小銃機関銃・猟銃その他金属性弾丸を発射する機能を有する装薬銃砲および空気銃を銃砲と定義し、法令に基づき職務のため所持する場合などを除き、原則として所持を禁止している。これは世界的にも厳しい規制であり、日本の殺人事件において銃器によるものの割合は全体の3.5%と世界で2番目に低い数値となっている。また、日本では狩猟や射撃競技の認知度が低く、国民が銃器を所持している割合は0.3%程度と世界で最も低い[注釈 1]。このような厳しい所持規制や銃器を使用した犯罪が少ないことから、モデルガンエアソフトガンなどの流通には寛容であり、日本独自の遊戯銃文化が発展した。

https://ja.wikipedia.org銃規制

❷日本は単一民族国家

《記事引用》
実際に日本が単一民族国家(ethnically homogeneous nation state)の典型であるとの認識は国内外で見られる。しかし日本を単一民族国家と表現すると、実在する少数民族を軽視(無視)しているとして批判が展開される。もっとも、「日本に少数民族は存在しない」ことは長く日本政府の公式見解であった。これは後述の中曽根発言の際も行われたもので、国際人権条約で問われている意味での「少数民族」にアイヌは当たらない、との見解を示し、単一民族発言との整合性を取ろうとしていた。

https://ja.wikipedia.org単一民族国家


最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

今日も「平和」な日でありますように。


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