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やさしい人喰い人種

「わたしのどこが好き?」は人生の難問の一つである。「好きだから好き」と答えるか、「優しくて、可愛くて、気がきいて、、、」などと言葉を重ねるか、それくらいしか答えようがないのだが、いずれにしても質問者を満足させることは難しい。そんな会話をしながらというわけでもないけれどで、ズッキーニと烏賊のペペロンチーノ風を頂く。シンプルにペペロンチーノ風にで仕上げるつもりが、なんだかうまくまとまらない。バターを放り、大量のチーズをゴリゴリとすりおろしどうにか形がついた。青い甘さのあるズッキーニをシャッコリと噛めば、舌の上でチーズとバターのコク、トマトの酸味、烏賊の旨みが絡みつく。もはやイタリアンともフレンチともつかないしろものになったが、それなりに美味しい。

ジャコメッティもイタリア語の村で育ち、フランス語の街で生きた芸術家である。たまたま入った喫茶店においてあった書簡集にひかれてグイグイと引っ張られるように興味を持った。アルバムのジャケットにひかれてCD を買うことはあったけど、文字から彫刻に引っ張られたのは初めてである。文字通りの作っては壊しを一生やっていたような、寡作なストイックな作家だったらしい。ものを見るための手段として絵を書き、彫刻をするのだと。作品そのものはシンプルなのになんだかえらい胸の奥に迫って惹きつけられる。なんでこんなに心がグラグラするんだろう。

きっと彼は本質を掴んでいるからなんだろうなあと思う。じゃあ本質ってなんだろう。ある哲学者はそれを「基底」という。サイコロを例に取れば、その基底の周りに「白い」「四角い」「数字がある」という意味が張り付いていて、基底がそれを取りまとめているんだと。




それでいけば文字から彼に惹かれるのも間違ってはいない。


ちなみにサチコを例に取ればこんな感じである。

「わたしのどこが好き?」は「わたしのサチコたる基底を述べよ」と同じ意味なので難しいのである。本来言葉にならないことを言えと迫っているのだから答えるのが楽なわけがない。ジャコメッティはそれに真摯に答えようとした人である。きっとモテたんだろうなあ。でも真摯に答えるのも、答えられるのも楽じゃないだろう。なぜならその人についた意味を一枚一枚剥ぎとっていかないと本質に辿りつけないからだ。きっと喰いいるように、モデルを見つめて、見つめて、見つめられては、見つめたんだろうなあと思う。

論理的にも「わたしのどこが好き?」には「全部好き」と答えるのが正しいんだろうけど、なかなか言える言葉ではない。きっと私は芸術家にはなれないんだろうなあと思う。



アルベルト・ジャコメッティ 『エクリ』 1994 みすず書房 Alberto Giacometti : Ecrits 1990 矢内原伊作・宇佐見英治・吉田加南子 訳



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