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自分だけとどめず、「投稿」するのはなぜか。


古賀史健さんの『20歳の自分に受けさせたい文章講義』を読んだ。


その中で、論理的に書くことの大切さが解かれていた。
きちんと筋が通るよう、いちど図や簡単な手書きで自分の考えを整理してから、記事を書き始めるのが良いそうだ。

書く前に筋書きをつくるのは、毎回やったりやらなかったりだったが。
本書を読んで以降、あらためて真剣に取り組み始めた。


書きたいことについて考えながら、自分と向き合って、思案する。
つまりこうかな、いや、だからこうかな、と手を動かす。

そうしていると、だんだん自分の考えていたことがまとまってくる。
言いたいことがなにか、ハッキリしてくる。

そうそう、と納得できる筋書きが完成。
それをもとに、今度は記事を書き始める。

筋に沿って、言葉を紡いでいく。
筋書きのときには大雑把だった細部も、言葉によってより鮮明になり、いよいよ自分がどう考えていたか分かってきたとき。



なんか、もういいかな、ってなる。

これ、仕上げる意味ある?
そんなふうに思って、手が止まるのだ。



だって、もうわかったやん。
自分の考えたかったことは、理解できたやん。

こういう主題があって、こう仮説を立てて、実践したら、こんな結論になりました、という流れ。
それはもう、筋書きの段階でじゅうぶん知れた。
答えも出たし、何をどう考えたかったのか、自分の頭の中はハッキリしたではないか。


それなのに、どうしてわざわざ他人が読みやすいように推敲する?
読まれやすいようにタイトルを考え、画像までつけて。

そこまでして投稿する意味とは、なんだ?

わたしは、ただ考えたかったのか。
自分の考えを、知りたかったのか。
それともだれかに、伝えたかったのか。

もし前者のふたつなら、推敲して、投稿する必要はないように思える。

‥こんなことを考えていたおかげで、昨日は記事を投稿しそびれた。





それでも今日、こうして投稿しているということは、結論が出たということになる。

なぜ、自分の考えはもう理解できたのに、わざわざそれを投稿するのか。

導いた結論は、次のふたつだ。


(1)忘れてしまうから、形に残すため。

人は、どんどん忘れてしまう。
最近の私は、特に忘れっぽくて、ものすごく大事なことをひらめいても、メモをしようと三歩進めば、頭から消えるレベルである。

そんな人間なので、当然考えたこともすぐどこかへ飛んでいく。
だから、言葉にして、形に残して記録していけば、忘れない。


でも、それだと疑問は解決しない。
忘れないために書くのであれば、できあがった記事は、投稿せずに、自分だけが読める日記帳やパソコンにでも記録すればいい。

わざわざ、人目のつくところに投稿する必要はないはずだ。

書いたり考えたりするための、モチベーション維持が目的という場合もあるだろう。
他人からの反応があるおかげで、記事を投稿し続けられるという理由だ。

でもそれだと、反応をもらえなかったら、書けなくなる。

◯日連続投稿の表示や、スキやコメントばかり意識していたら、いつのまにか目的がすり替わる。
思うようにいかなくなると、書く気が失せる。

自分のために書いているのなら、反応や評価は気にしない方がいいはずだ。


(2)「ひとりよがり」防止のため。 

忘れないことや、他者からの承認を目的に投稿するのではないのなら、どんな理由があるだろう。

それは、「ひとりよがり」をやめるためだ。

どんなに良い考えがうかんでも、それを自分の中だけで留めていては、新たな気づきを得られない。
でも、もしnoteに投稿すれば、コメントがもらえて、さらに考えが深まるかもしれない。

だから、人目につくところに、自分の考えをさらけ出す。
おのれの成長のため、ともいえる。
 


それに、人が読むと意識することは、人を傷つけないか考えることだ。
言葉や言い回しに配慮し、より正確に内容が伝わるよう試行錯誤をすることで、極論や強い物言いを自制できる。

だれかが読むかもしれないと考えながら推敲すること。
もしかしたら、他の考え方もあるかもしれないと思いながら投稿すること。

こんなふうに、自分ではない読み手を意識するだけで、「ひとりよがり」な世界から抜け出せる。


他SNSでは、そんなことをろくに考えもせず、反射的に発言し、他人を傷つける人もいる。
そういう人は、自分こそ正しい、正論だと思い込んでいるのだろう。
ひとりよがりな世界に、なんの疑問も抱いてないから、炎上やトラブルになる。


自分だけにとどめない。
他人が読める形にして投稿するのは、他者を受け入れる「柔軟性」を磨くためなのかもしれない。





とりあえず、自分が納得できる理由が見つかったので、書きかけだった記事をなんのか完成させることができた。

ふと引っかかったおかげで、下書きをいくつも生み出してしまった。
でも、当たり前のように投稿していることに、疑問を持ち、自問自答するのは、目的を見失わないために大切だ。


そして、なにより。
「投稿」はさておき、「書くこと=考えること」を続ける理由だけは、ハッキリしている。

楽しいからだ。

だから、投稿しない日も、書いて考えて楽しんでいる。
それだけはもう、やめられないのだ。


でもせっかくなので、投稿する。
同じく書いて考えることが好きな人たちに出会える貴重な場、noteの世界で。

ここでの、すばらしい出会いが、わたしの世界を広げてくれる気がするから。

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