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「ワォ」に感謝

意外と仕事が好きだった

新卒で初々しかった頃の私は今はどこにもいないが、おばさんになっても仕事と真剣に向き合ってきた、つもり。

やりたかった仕事だったし、楽しかった。

勿論、嫌なこともたーーーくさんあった。

就職したての頃は同期と1年、3年、5年と数えながら仕事を続けてきた。

やり甲斐はあったが、辛いことも多く、いつ辞めようかと常に考えていた。

幼い頃から専業主婦に憧れていたが、いざ結婚となると、不思議と仕事を辞める気持ちは揺らいだ。

そして、仕事を続けた。

男女平等なんかではなかった。大変だった。それでも仕事を続けた。

産休、育休とお休みをいただいた時、休み中も仕事のことを考えてはアイディアをストックしていた。意外と仕事が好きだった、らしい。

その頃は、育休を1年いただけた。けれど職場から「仕事に復帰して欲しい。」と頼まれれば1年を待たずに、仕方なくだが仕事に復帰していた。

私なりに育休後の仕事が円滑に回るように努めていた。

仕事は守ってくれないのに。もっと家族や私自身のことを考えればよかった。

今思えば、もっと我が子をみたかった。我が子に申し訳なかったと思う。実家の両親にも何かと世話をかけてしまった。

そして、何年か経った頃、子宮内膜症を発症した。生理以外にも痛みが強く出るようになり、通勤中あまりの痛さに戻すことがあった。

リュープリン というホルモンの注射を射ったり、痛み止めを飲み続けたり、ホルモン剤を服用したりとあらゆることをしながら仕事を続けてきた。

卵巣がんに罹患した

どんな痛みにも耐えながら仕事をしてきた私だったが、今回は違った。

抗がん剤治療の副作用で手足の痺れが続いている。しびれを引き起こしやすいと言われている薬があるらしく、まさにその種類の抗がん剤だった。

この痺れは人によって異なるらしく、気にならない人、すぐに治る人、1年くらい痺れる人、さいごまで続く人と様々らしい。

私は、さいごまでの人に近いのだろうか。

手も足も正座をした時の痺れ方をしている。皮膚の表面がピリピリと痛い感じがする。そして冷水に入っているような冷たさを感じるが、触ってみると冷たくはない。

感覚は鈍くなり、物を落としてしまうことや突然ふらつくことがある。昨日は大切なコーヒーサーバーが犠牲になってしまった。

手足の痺れ以外にも体調不良が続いた。

手術前の検査で甲状腺に小さな腫瘍が見つかった。良性のものが多いと言われているが、少しずつ大きくなってくると不安になる。それに加えて橋本病を患っていた為か、倦怠感が強く出ていた。

それから手術で卵巣や子宮を全摘した影響なのか、体のあちこちが悲鳴をあげるようになった。

それに膠原病の数値が少しだけ引っかかり、「リウマチの初期かもしれないが、違うかもしれない。」と検査後、医師が言った。

細かく調べてもらったが、異常は見られなかった。しかし、体が強張り動けなくなることさえある。

体が怠いのは甲状腺のせいなのか、体が痛いのは何なのか、もう訳がわからなくなった。

ついに退職することになった


仕事を辞める理由は、体の調子が悪く仕事に復帰するのが難しくなったから。

そこが悔しいところだった。

私よりも大変な状態でがんばってみえる方の姿を知り、励まされ、勇気づけられてきた。それなのに、私が仕事を辞めるなんて。

それに仕事をしていない自分が想像できなかった。

私が居なくても仕事が回っているのは重々承知していたが。

それでも気落ちした。

退職してからは、したことの無い手続きが待っていた

今まで入っていた社会保険を任意で継続するのか、国民健康保険に加入するのか、扶養になるのか選択をする。

それから、国民年金保険の支払い手続きを自分でしなければいけなかった。

私は、国民健康保険と国民年金保険の区別がつかなかった程の物知らずだった。「学校で教えて欲しかったわ。」などと言いながら手続きをした。覚えてないだけかもしれないけれど。

年金事務所の白髪の職員さん

年金を口座引き落としにするには、年金事務所に行かないといけないらしく、仕方がなく年金事務所に出かけた。

年金事務所の受付を済ますと、番号で呼び出された。

60歳を過ぎていそうな白髪で品のある優しそうな男の職員の方が、物知らずの私にもわかるように、分かり易く丁寧に教えてくれた。

この方は再雇用なのだろうか。私は定年を迎えずに退職してしまったなぁ、これからどうしようか、と考えながら説明を聞いていた。

手続きを進めていくと、その職員の方に「何年、お仕事をされていましたか?」と尋ねられた。

5年ですか?10年ですか?と言ったような感じに聞こえた。

勤続年数を数えるとかなりの年数だった。

その年数を白髪の職員の方に伝えると、

少し体を後ろにのけ反りながら、「ワォ」と小さく叫んだ。

正確には「ワー」だったかもしれない。

そんなことを言う感じの方に見えなかったので、思わず笑ってしまった。

私が笑っていると、白髪の職員さんは座っていた椅子を元に戻して姿勢を正した。そして、「長くお勤めでしたね。」と私に言ってくれた。

長年働き続けているであろう白髪の職員の方にそう言われて少し複雑な気持ちだった。

でも、嬉しかった。

手続き後、直ぐに帰宅をして夫が帰って来る前に急いで夕食を作った。

慎重にキャベツを切りながら、ふと「ワォ」を思い出した。

キャベツなのに気づいたら涙が溢れていた。

あの驚き方が、「がんばってきたね」と言ってくれたように感じた。

勤続年数が長いことだけが良いとは思わないが、私にとっては何だか救われた「ワォ」だった。

年金事務所の白髪の職員の方に感謝。

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