戦国武将・笹の才蔵の異名を取った最強の傭兵【可児才蔵】

笹の才蔵の異名を取り、戦場を渡り歩いた槍の名手。宝蔵院胤栄に師事した宝蔵院流槍術の使い手。

関ヶ原で討ち取った敵兵の数は東軍最多だったといわれる。才蔵は武将ではなくて、大名の一兵士的な身分。関ヶ原の武勇伝をはじめ、武力特化の戦国無双。

才蔵は主君を何度も変えていることでも有名。藤堂高虎は多くの主君を変えたことを否定的に描かれることが多いが、才蔵は主君を変えようと人気が高かった。

でもそもそも、藤堂高虎と可児才蔵とを比べるのが間違い。高虎の石高は最終三十万石の大大名。才蔵の石高は千石以下でせいぜい旗本レベル。

主君を変えて石高が上がってちゃ、私利私欲のために主君を裏切ってたように見えなくもない。高虎なりの上に立つものの基準があったようにもみえるけど。

才蔵は美濃の斎藤家の兵士から、斎藤滅亡後は柴田勝家、前田利家、明智光秀らの軍で奮戦し、関ヶ原では福島正則の軍で暴れた。主君を変えたんではなくて戦があれば傭兵として参戦する職業軍人やったような気がする。

才蔵がリスペクトされている逸話として、才蔵の墓前を通るものは身分を問わず才蔵の武勇を称賛し、その墓前で下馬して礼を送ったと言われている。

笹の才蔵の異名の所以は、甲州征伐にて森長可の部隊で働いていた時に十六連チャンしてるみたい。一人で十六首取ったけど、持ち歩けないから置いてきた。嘘ちゃうで、ちゃんと笹を口に含ませてマーキングしといたから。という話。

笹を口に含ませることは、酒を口に含ませる意味合いにもなるらしい。最後の手向として敵に敬意を払って酒を与えていた。

手柄欲しさに自分が討ち取ってもない首を拾って差し出すダサイ奴がおったそうな。これは戦国時代に限らず人の手柄を自分の手柄にしてしまう奴はよくいるらしい。

才蔵は手柄を証明するために何としても首を主人に示して武功をアピールするみたいなことをしない。

今はなんでも裏付け、証明って時代やから大事なことでもあるけど、自分の手柄はそのへんに置いてきたし認める認めないは主が決めりゃ良いってスタンスで醜い欲とは無縁な生き方がスマート。

醜い欲と無縁な逸話は他にもあって、本能寺の変の後に小牧長久手の戦いで、豊臣秀次の部隊で参戦した才蔵。秀次は手柄欲しさからか徳川軍に野戦を敢行しようとしていた。

才蔵は百戦錬磨、戦の局面での攻めるポイントと避けるポイントを見極めて、秀次に迎撃はダメだと反発するが聞き入られず。才蔵は主に気に入られるために戦をしてない。平気で迎撃の軍から撤退。そして秀次軍は徳川軍の奇襲を受けて壊滅。才蔵は逃走してきた秀次から馬を貸せと命令されるが、無理やろ!と吐き捨てる。

この頃の豊臣秀次って秀吉の後継者として見られていた頃。主人に気に入ってもらって見返りを期待するような感覚は持ち合わせない。出世できへんタイプやけど、権力に怯まないメンタルも好感度を上げている。

地位も金も求めなかった才蔵は、人からの尊敬と武勇の名声を得ることになった。こんな設定のキャラは、武力最高クラスの評価になるのはあたりまえ。ただやっぱり武将ではない。

安定を得る社員じゃなくて、プロジェクトがあると委託される専門職。信長は戦争で傭兵を採用したって話聞いたことあるけど、才蔵はその信長が採用した傭兵と思う。根来衆の鉄砲隊、九鬼水軍、白兵戦は才蔵、みたいなイメージがしっくりくる。

森長可が鬼神の働きをして鬼武蔵と呼ばれた甲州征伐。笹の才蔵の異名の所以の戦い。

関ヶ原の東軍の先鋒として目覚ましい活躍をした福島正則。才蔵が関ヶ原で東軍一の首級を挙げた。

森長可と福島正則のほかにも、鬼柴田と呼ばれた柴田勝家、槍の又佐の異名を取った前田利家、織田四天王へスピード出世の明智光秀、可児才蔵が部隊に所属して働いた時期に彼らは武功を評価されて有名になっていってる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?