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たのしいおしごとのおはなし ~スーパーの女~

たのしいおしごとのおはなし ~スーパーの女~

#創作大賞2023

#エッセイ部門

 これは、田舎のとある食品スーパーに勤務している一人のアラフィフ女性の物語である。
 レジを打って二十年。
 ごくありふれたその生活の中にも、悲喜こもごもがあるのであった。

   ***

 1.理想のお客様

「ご年配の方、妊婦さん、体の不自由な方などがいらしたら、カゴをサッカー台(袋詰めをする台)までお運びいたしましょう」
 よく言われることである。サービスと言うより、思いやりの心でもあると思う。
 ある日のことである。私は八十歳くらいの男性のレジをした。
「あちらまで、カゴお運びしますね」
 当たり前のように私がそう言った時のことだった。お客様は手を上げて私を制した。その手が上に上がり、そして片方の手も同じように上がった。
「大丈夫だ! おらあ、ちん○ついてるから大丈夫なんだ!」
 そのお客様はどこか誇らしげだった。そして、カゴを持つと、意気揚々とサッカー台まで歩いて行った。
「私も、こんなふうに素敵に年を重ねたい」
 そう思う出来事だった。

 2.見た目

 これは私がまだ新人だった頃の話である。
「あら、○○さん?」
 声を掛けられ、私は振り向いた。
 後ろには女性のお客様がいた。少し不思議そうな顔をした後、彼女は言った。
「あら、ごめんなさい。レジの○○さんと間違っちゃった」
 ○○さんと私は背格好と髪型が似ていた。後ろから見たお客様が間違ってしまうのも無理はないと思われた。私は笑顔で気にしていないことを伝え、その場から離れようとした。
 が、お客様は私にまだ話しかけてきた。
「本当に○○さんに似てるわね! よく間違われない?」
 間違われたのはこれが初めてである。
「今こうして見ていても○○さんだと思っちゃうわー」
 私の顔をまじまじと見つめながらお客様はおっしゃった。
 基本的にお客様のお話を否定したり腰を折ったりしてはいけない。接客業の掟である。
 しかし、私は言ってしまった。
「○○さんより十歳以上若いんですけどね」
 お客様の笑顔が凍り付いた。
 感情を抑えられなかったまだ若かったあの日。ほろ苦い思い出である。

 3.いなせ

 昨今は、レジの横にお箸が置いてあって、セルフサービスのお店が増えたようだ。私の勤める店もそうである。
 これは、レジの店員がお客様にお箸を付けるかどうかお伺いしてから付けていた頃の話。
「おい、箸が付いてねえじゃねえか! 手で食えってんか!!」
 ある若い女性パートさんの所に、一人の男性のお客様がやってきた。その手には、お寿司のパックが入っていた。
 そのパートさんはお客様にお箸を渡しお見送りをしたあと、不思議そうな顔で私に振り向いた。
「……寿司って、手で食べるもんじゃないんですかね?」
 ーーいなせ!
 あのお客様に、粋でいなせな食べ方を教えて差し上げたら、きっと喜んでくださるに違いない。
 今度あのお客様がご来店されたら言うのだ。
「手で食ってください」と。

 4.続・見た目

 これは私がアラサーという微妙なお年頃だった時の話である。
 私がレジを打っていると、一人のお孫さんらしき子供を二人連れたお客様がやってきた。並ばずに、少し離れた所で立っている。
 どうやらお客様は私のレジと隣のレジのどちらが早く開くか待っているようだった。
 私のレジが早く終わった。お客様はおっしゃった。
「ほら、おばちゃんの方に並びな!」
 するとどうだろう。二人の子供は、迷うことなく、私の方に駆け寄って来たのである!
 ちなみに隣のレジを打っていた人は、私よりふたつほど年上であった。
 しかし、私はプロである。この仕事に誇りを持っている。
 何食わぬ顔でレジを打ちながら、心の中では号泣をしていた。

 5.コミュ障

 思い返してみれば、私もそうだ。何故気づかなかったのだろう。あの時のお客様の心を。
 新店がオープンした。私がレジを打っていると、どこかで見たことのある女性が来店された。
「○○さん」
 私は声を掛けた。彼女はびっくりしたように私を見たが、すぐに誰だかわかったようで、一言二言世間話をした。
 その後、彼女が来店することはなかった。

 6.潰れっちまった食パンに

 実習生のパートさんがレジを打っていた時のことだ。
「ちょっと! パンの上に商品載せるってどういう教育してんの! 潰れちゃったじゃない」
 見ると、食パンの上に小さなポテチ袋が載っている。私はお詫びし、その食パンを持って交換に行った。
 そこで困ったことが起きたのである。
 売り場を見ると、その食パンは最後のひとつだった。
 これはお客様に他の商品を選んでいただくしかない。そう思い、私はそのまま足早にお客様の元に戻った。
「お待たせいたしました。パンですが……」
「ほら、これでいいのよ」
 お客様は先程の食パンをひったくると満足そうに帰って行った。

 7.お客様との距離

 お客様との距離。これは難しい問題である。つっけんどんでもいけないし、馴れ馴れしくてもいけない。
 ある夜のことだ。アラフォー女性パートさんのレジに年配の男性が並んだ。
「こりゃあ、レンジでチンすればいいんかい?」
 お客様はレジの人に尋ねていた。
「はい。チンすれば食べられますよ」
「そうかい、そうかい、チーンすればいいんだな」
「はい。チンすれば大丈夫です」
「マーンじゃダメかい?」
 これは、間に入った方が良いだろうか。そこそこの年齢である私は身構えた。が。
「マーンじゃダメです」
「そっかー。マーンじゃなくてチーンじゃなきゃダメかー」
「はい、チーンですよ、マーンじゃないですよ」
 二人の会話は弾んでいた。他にお客様が並んでいれば会話を止めることもできるが、夜である。他にお客様はいなかった。
 二人はしばらく「チーン」「マーン」を繰り返した。そしてお客様は上機嫌でお帰りになった。
 今でも思う。また同じ事が起きたら、私はどう対処したら良いのだろうか。
 接客業、最大の課題である。

 8.こころ

 少し昔の話である。
「この文字には、心がこもっていない!」
 私が書いてさし出したのし紙を見て、お客様はそうおっしゃった。
 お客様の言われたことは誠にもって真実であるので、私はとりあえず店で一番字の上手い人を連れてきて書いてもらい、事なきを得た。
 それからしばらく経ったある日、私はあのお客様のことをふと思い出した。
 その日、全店にのし紙印刷プリンターが導入された。

 9.続・コミュ障

 私はコミュ障のけがある。はっきり言って接客に向かないと自分でも思う。
 それなのに、何故長年この仕事を続けているのかというと、「友達はできないけれど、見ず知らずの人に道を尋ねるのは抵抗がない」系のコミュ障だからかもしれない。
 実は事務仕事に就いたこともあるのだが、ダメだった。気の合わない上司に当たると、悲惨だ。一日中その上司の目の届く所に座っていなければならないことになる。地獄だ。
 その点、接客業は基本一人仕事。特にスーパーのレジは、一人のお客様に相対しているのはほんの数分。延々と苦情を言い続け、上の者に変わらせてくれないお客様もいるにはいるが少数派だ。
 ある日のことである。
「なんでレジがこんな混んでんだ!」
 喚くお客様がいらした。
「申し訳ございません」
「なんでだよ!」
 ここで理由を説明すると、たいていのお客様はさらにヒートアップする。何故かと聞かれたから答えただけなのに、というのは若い頃の私である。
「申し訳ございません」
「申し訳ございませんしか言えねんか!」
「申し訳ございません」
 お客様は帰っていかれた。
 
 10.自己肯定感

 昨今、自己肯定感という言葉が流行っている。私は自己肯定感が低いほうだと思う。が、この年になると自己肯定感が高かろうが低かろうがさして問題ではない。もう長年この性格と付き合ってきて特に不便は感じない。
 そう思っていたのであるが、最近考えを改める出来事があった。
 売り場でお客様に話しかけられてお答えしていた時のことだ。
 後ろにいたお客様が突然「邪魔なんだよ!」と喚き始めた。普通に声掛けろや、と思ったが私はお詫びしてお客様と共に端に寄った。
「いけないいけない。通路を塞いでしまったな。売り場はお客様が優先。以後気を付けなければ」そう思って反省した。
 数日の後、あるパートさんが同じような状況になった。
 休憩室で彼女はかなり怒っていた。
「どけ、じゃねえよ! こっちは遊んでんじゃねんだよ、仕事してんだよ!」
 ーーこれが自己肯定感の高い人間! 仕事をしている自分を全力で肯定している! 
 私は感動した。
 が、私はひとつのことに気づいた。そもそもお客様に対して私が怒るのは面倒ではないか。お客様は神様である。人間界に身を置く私の今後の人生にかかわりはない。
 かくして自己肯定感を上げる努力は断念した次第である。

 11.続々・コミュ障

 これは、小さいお子さんがいらっしゃるご家庭には怖い話かも知れないのでご注意願いたい。
 小さいお子さんが子供用ショッピングカートを勢いよく転がしていた。それが、年配の女性のお客様の足に当たってしまった。
 軽く当たっただけであったが、その女性は自称心臓が悪いとのことで、当たった衝撃に驚いてしまい、具合が悪くなってしまったとのことだった。
 その女性とぶつけてしまったお子様とそのお母様。三人をお待たせして、私は店長を呼びに行った。
 店長が慌ててやってきて「お怪我はございませんか。病院にお連れしましょうか」と尋ねると、女性は「病院はいい。でも怪我をした。店としてどう責任を取ってくれるのか」と主張した。
 店長はさらに慌てて「上の者に確認して参ります」と電話をしに行った。その間、ぶつけてしまった親子は不安そうに成り行きを見守っていた。
 店長が汗をかきながら戻ってきた。
「敷地内で起きたお客様同士の事故に関しては、店では関与しないということが決まりとのことでした」
 たいていのお店が駐車場などに掲げている決まり文句である。が、たいていの場合は警察を呼んだりなどの対応をしてあげるものではあった。
「そんなことがあるの?」
「申し訳ございません」
「そんな態度では店としての誠意が見えないのよ」
「申し訳ございません」
「本社に訴えるわ」
「申し訳ございません」
 その後。どうやら本社には何も連絡が行かなかったらしい。

 12.ワンポイントアドバイス

 レジが遅い。そんな時、あなたはどうするだろうか。
「早くしろ」と文句を言うのはいただけない。それは何も店員さんのことを思ってのことだけではない。そう言われるて急いで打つ店員も中にはいるが、たいていの人は懸命に打ってその早さなので、気が動転して余計遅くなってしまったり、慌ててミスをしてしまうことがある。余計時間がかかってしまうのだ。
 そして、少数派ではあるが、わざと遅く、それも微妙に気づかれない程度に遅く打ち始める店員もいるのだ。若い頃の私だ。もう時効だ。許してくれ。

 13.続・理想のお客様

 レジを打って買い物カゴに入れ替える。店員がその動作をしている間にも急いでいる人はカゴに手を出して袋に詰め始めることがある。
 実際問題お客様とぶつからないように気をつけなければいけなくてかえってレジ打ちに時間がかかってしまうことが多いのだが、例外もある。
 そう、その人は例外だった。
 私が商品を取り、カゴに入れる。と同時に手が伸びてきてその商品をお客様が取る。すかすかなカゴの中に次の商品を入れるので、場所を考えなくてよい。とても入れやすい。
 次の商品を入れる、取る、入れる、取る。
 それを繰り返しているうち、私は気づいた。
 ーー餅つき!
 それ以後、私はそのお客様を心の中で「餅つきマスター」と称えるようになった。

 14.レジ袋有料化

 個人的な意見としては、レジ袋は無料でもらえたほうがありがたい。エコバッグを忘れた時の落胆といったら、筆舌に尽くしがたい。たった3円5円でもとても損をした気がするのだ。まあ、ゴミ袋として使えるので無駄にはならないのだが。
 ただ、レジの人間としては「一枚じゃ入りきらないだろ!」「なんで食品と雑貨を分けるように袋を二枚くれないの!?」等のクレームがなくなったのでほっとしてはいる。
 だから、もうあんな思いはしなくて済むのだろう。
「ゴミ袋10枚ください」
 お客様はチョコレートをひとつ出してそう言った。
 もう、過去のことだ。

 15.日本料理は目で食べる

「ちょっと! これじゃあ食べられないじゃないの!」
 会計を済ませたお客様が肉のパックを持ってやってきた。
 見ると、薄切り肉がパックの片方に派手に寄ってしまっている。どうやら、レジの者が傾けてしまったらしい。
「いや、普通に食えるやろ」と思ったが、お取り替えをしようとパックとレシートをお預かりした。
 食えるが、そういう問題ではない。日本の料理は目で食べると言われている。見た目も重要だ。せっかくのお肉を目の前でこんなふうにされてしまっては、お客様の失望もいかばかりか。
 特に、その肉は薔薇とまではいかなかったが、きれいに盛り付けられていた。盛り付けた精肉の担当者にも申し訳ない。
 きっと技術を磨いて、心をこめて盛り付けたに違いない。
 処理をしようとレシートを見る。
 レジを打った担当者は、精肉部門からのレジ応援者だった。

 16.食品ロス削減

 私は牛乳の品出しの手伝いをしていた。まず賞味期限の古い商品は値引きするので取り出す。その後新しい商品を補充する。
 私は値引き対象商品をひとつ取り出す。それを台車の上の新しい商品の隣に乗せたところで、人に呼ばれ私はその場を離れた。
 戻って続きをしようとしたところ、私は気づいた。台車の上の商品が新しい。
 間違ったかなと思い、棚を見るが、皆新しい。
 どうやら、お客様が一度手に取った棚にあった新しい商品を、抜き取った古い商品と交換していったようだ。よくあることだ。
 私は感動していた。わざわざ賞味期限の古いものを、しかも定価で買っていってくださるとは!きっと食品ロス削減に貢献しようと思ってくださったのだ。
 そこで私は思い出した。学生時代の成功体験を。
 私はコンビニでアルバイトをしていた。商品は先入れ先出しが基本。新しい物は奥に、古い物を手前に置いておく。
 しかし、多くのお客様は奥の新しい商品を買っていく。
 そこで私はひとつの実験を試みた。
 わざと新しい商品を手前に置いておくのだ。
 数時間後、デザートの棚を覗いてみる。
「実験大成功!」
 お客様がわざわざ奥の古い商品を買っていかれたのである!
 ーーまた試してみようか。
 そんな誘惑が私を襲った。が、断念した。
 実は入社したての頃、実験したことがあるのだ。実験は失敗だった。
 奥から引っ張り出した上で、きちんと賞味期限を確認していく方が多かったのである。
 食品ロス削減が叫ばれて久しい。
 古い牛乳を買っていかれたお客様は、きっと古いことを承知でわざわざ買っていかれたのだ。きっとそうに違いない。
 多分違うが。

 ***

 私はここで筆をおいた。
 昨今は、セルフレジが多くの店舗で導入されている。
 今、ここに記したことのいくつかは、後世の人々には意味がわからなくなる日がくるのかもしれない。
 それは少し寂しくもあるが、今これらを書き残しておいたことに、満足感も感じている。
 これからは、スーパーのレジ係の人も少しは楽になるかもしれない。
 そう思いつつ、私はスーパーのセルフレジで会計をしていた。
 お金は適当に入れても、ちゃんと機械が計算してお釣りを返してくれる。私は財布の小銭を適当に精算機に流した。
 その時である! 突然レジが異音を発したのだ。
 硬貨詰まりである。
 私は半泣きでレジ係の人を呼んだ。

 完

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