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どうでもよかった日の話 (小説 古代史1 推古天皇)

 お前は正当なヤマト王権の者だよ。
 だから気にすることはない。
 私は幼い頃から父にそう言われて育った。意味はよくわからなかった。物心ついた時から私は立派な宮に住まい、きれいな着物をきて美味しいものを食べていたから。
 おぼろげながらに意味がわかるようになったのは、私が十を過ぎた頃だった。
「額田部(ぬかたべ)さま。今日もお文が届いていますよ」
 その頃から、私には言い寄る男たちが増えてきた。私はいつものように庭の見える廊に座っており、いつものように侍女の差し出す木簡を広げた。
「今日は穴穂部(あなほべ)の兄上からね」
 穴穂部の兄上と私の父は志帰嶋天皇(しきしまのすめらみこと)。母は違う。でも、どちらの母親も蘇我稲目(そがのいなめ)の娘だ。母親同士が親しかったこともあり、私は穴穂部の兄上とよく一緒に遊んでいた。
「あら、額田部さま。捨てておしまいになるのですか」
 私が木簡を庭に放り投げると、侍女は驚いたように尋ねてきた。私は頷いた。
「穴穂部の兄上は嫌いなの」
 そう言って私は着物の裾を揺らしながら立ち上がった。
 嫌いなのよ。もう仲良くなんかしてあげないわ。

 多分ずっと前から嫌いだった。
 それがはっきりとわかったのは、一昨日の夜のことだ。
 私はいつものように寝台に横になっていた。そこに穴穂部の兄上はやってきた。それはたまにあることだった。だから警護のものは誰も誰何しなかった。
 けれど、その後が常とは違った。
「額田部。俺の妃にならないか」
 部屋の中は暗かったけれど、穴穂部の兄上の顔は冗談で言っているようには見えなかった。私は戸惑った。
「それは私が決めることじゃないわ」
 単に親しく語らうだけではなく、正式に妻問いするとなると、父の言に従うほかない。
 すると穴穂部の兄上は深いため息をついた。そしてしばらく考え込んでから顔を上げた。
「なあ。父上は仏を敬うべきだとは思わないか?」
 急に変わった話題に、私は戸惑った。
 仏教は私が生まれる少し前に百済(くだら)の国からやってきた教えだ。私たちの母の血筋の蘇我稲目大臣(おおおみ)は仏教を推し進めようとしている。それに反対しているのが大連(おおむらじ)を務める物部氏や祭祀を司る家柄の中臣氏だった。
 それと私が兄上の妃になること、なんの関係があるのだろう。
 兄上は私の耳に口を近付けた。
「俺たちは蘇我の人間だ。手を組まないか。俺たち蘇我の人間は、蘇我稲目大臣のために動くべきだろう?」
 穴穂部の兄上は私と手を組みたいから妃にしたいということのようだ。私はがっかりした。
 がっかり?
 私の戸惑いをよそに、穴穂部の兄上は続けた。
「いつまでも物部や中臣のやつらに馬鹿にされているのも癪だろ?」
「え?」
 馬鹿にされている? 天皇の皇子皇女たる私たちが? 臣下たちに?
「ーー俺たちは正当なヤマト王権の者だ」
 よく聞かされていた言葉が、兄から告げられた。
「おじいさまの血筋はどうかは知らん。が、おじいさまは『天皇』に違いない。継体天皇として確実に天皇として存在していた」
 私は首を傾げた。
「おじいさまはヤマト王権の血を継ぐお方なのでしょう?」
 悪政を敷いた天皇の系譜が途切れ、その才知をもって迎え入れられたのが応神天皇の血を受け継ぐおじいさまだったはず。
 穴穂部の兄上は「だから知らん」と一蹴した。そして続けた。
「そして父上はその『天皇』と皇后の間に生まれた。皇后は確かにヤマト王権の血を継いだ者。その二人から生まれた俺たちはまがいもなくヤマト王権の者だ」
「……よく、わからないわ」
 そう言うと穴穂部の兄上は口を歪めた。
「お前はあまり外に出ないから知らないんだな」
 馬鹿にしたようなその口調にむっとする。
「父上のご兄弟の二人の天皇は母親がヤマト王権の血を受け継いでいなかった。お二方が、どんな扱いを受けていたかを知らないんだろうな」
「どんな扱いを受けていたの?」
 私が尋ねると、兄上は「俺も生まれていなかったから知らん」と呟き、部屋を出て行った。
 取り残された私の心の中には不快なものだけが残った。
 なによ。馬鹿にして。
 どきどき心臓が痛い。兄上と一緒にいるとたまにこうなるから、嫌。
 涙が浮かんできた。
 そうして兄上を避けているうちに、兄上からはなんの音沙汰もなくなってしまった。

 私は十八になっていた。
 父である天皇は亡くなった。欽明天皇とよばれることとなった。そのあとを継いだのは、父上の第二皇子である他田天皇(ただのすめらみこと)だった。私とは腹違いの兄上だ。
 私はこの方の皇后となった。母親が違うので会ったことはなかったが、私はおとなしいほうだ。喧嘩など、穴穂部の兄上とくらいしかしたことがない。多分うまくやれると思った。
「先頃、疫病が流行っておるようだが、そなたは何故だと思うか」
 ある昼下がり、陛下は私にそう問われた。
「さて……」
 陛下を膝枕しながら私は首を傾げた。
 私は全くわからなかった。そもそも疫病が流行っていることすら知らなかった。どうりで最近侍女の入れ替わりが激しいはずだ。
「神罰でしょうか」
 私は適当に思いついたことを述べた。すると陛下はにやりと笑った。
「なるほど」

 その日、私は殯の宮に佇んでいた。
 他田天皇は疱瘡にかかって数ヶ月前に亡くなった。敏達天皇といわれることになった。継いで天皇になったのは、私と母を同じくする池辺天皇(いけべのすめらみこと)だ。
 私は三十四になっていた。
「本当に神罰だったのかしら」
 ぼんやりと私は考えた。手持ち無沙汰に丸い扇をぱたぱたと顔の前で揺らしていた。その時だ。
 かたかたと戸が開く音がした。
 引き戸を引いて入ってきた人物を目を細めてみる。
「久しぶりだな」
 そこには数年ぶりに見る穴穂部の兄上が立っていた。
「なぜここに?」
 まず口をついて出たのは疑問だった。ここは殯の宮。他の者がやすやすと出入りできる場所ではない。
 それには答えず穴穂部の兄上はどかりと腰を下ろした。髪には白いものが混じり始めていた。
「巷で囁かれていることを知っているか」
 問われて私は首を横に振った。
「敏達天皇の病は罰だ、と」
「まあ」
 今思っていたことを言われて、私は目を丸くした。
「神罰が当たってしまったのかしら。でも、なぜ?」
 穴穂部の兄上は「違う」と首を横に振った。「『神』罰ではない。物部守屋大連(もののべのもりやのおおむらじ)や中臣勝海大夫(なかとみのかつみのまえつきみ)などと仏教を排そうとした罰だ、と」
 敏達天皇は彼らに命じて仏像や仏殿を焼かせていた。それは知っていた。そしてそれが始まったのが私が「神罰でしょうか」と答えたあの日のあとからだと言うことも。
 穴穂部の兄上は笑った。
「仏を崇めれば神罰で疫病が流行り、仏を排すれば仏罰で疫病にかかってしまうんじゃあどうにもならんな。とんでもないモノが入り込んできたことだ」
「あら。でも兄上は仏教を広めようとなさっていたのでは」
 言葉の途中で穴穂部の兄上は手を振って私を遮った。
「そう見えたか」
 私は頷いた。すると兄上は「お前はかわいいな」とひとりごとのように呟いた。
「もう、どうでもいいのだよ。神でも仏でも。罰は力のない者のところに下る」

「そうなの」
 侍女からの報告を受け、私はそう呟いた。
 また私は殯の宮にこもっていた。池辺天皇が亡くなったからだ。用明天皇と呼ばれることとなった。そして私が数ヶ月殯の宮にこもっている間にそれは起きたらしい。
 穴穂部の兄上が亡くなった。
 正確には私たちの伯父である蘇我馬子(そがのうまこ)によって殺されたということだった。
 敏達天皇亡きあと、兄上が天皇の位を狙っていると、騒ぎが何度か起きたことがあった。今回は本当に殺されてしまったのだろう。
「俺たちは蘇我の人間だ」
 兄上の声が耳に甦ってきた。
 蘇我の人間だと言っていたのに。蘇我の人間に殺されてしまった。
「どうでもいいのだよ。神でも仏でも」
 でもそうも言っていた。
 きっとどうでもよかったのだ。蘇我でも物部でも中臣でも神でも仏でも。力がなければやられるのだ。
 今、力があるのは伯父上の蘇我馬子だろう。今の天皇である泊瀬部天皇(はつせべのすめらみこと)でないことは確かだ。きっと泊瀬部天皇も、私の腹違いの兄である泊瀬部天皇も、力のあるナニモノかにやられるのだろう。

「ぜひ、額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)さまに皇位を継いでいただきたい」
 蘇我馬子大臣を始めとする群臣たちにそう請われ、私は何度か遠慮するふりをした。そして三度目にそれを受け入れた。
 きっと私もそのうちナニモノかにやられるんだもの。
 泊瀬部天皇、しばらくして崇峻天皇と呼ばれることになった天皇が蘇我馬子によって暗殺されたその年。私が天皇になったその年。
 私は三十九になっていた。
 その日、蘇我馬子大臣は若い男と共にやってきた。
「ぜひ、皇太子には厩戸皇子(うまやどのみこ)を。まだ年若くはあるものの、その才は私など全く及びませぬ」
 端正な顔をしたその若者には見覚えがあった。用明天皇の皇子だ。用明天皇と、皇后であり蘇我馬子の姪でもある穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)の間に生まれた皇子。
「……よく似ているわね」
 私は目を細めた。蘇我馬子大臣は目を輝かせた。
「いやいや、私には全く似つかない利口な皇子にあらせられます」
 自分が似ていると言われたとでも思ったのだろうか。
 違うわよ。
 私は口の中で呟いた。
 穴穂部の兄上にそっくりだわ。
 それもそのはず。穴穂部間人皇女は兄上と母が一緒だ。
 厩戸は十分皇位を継げる身分だし年齢も問題ない。それを皇位につけずに前例のない女性の私を皇位につけるとは。よほど大事にしている皇子なのだろう。
 皇位につくと、ナニモノかにやられてしまうものね。

「陛下。才能のある者をどんどん登用しましょう」
 厩戸皇子は瞳を輝かせた。
「それはもちろんそうね」
 私が頷くと厩戸はずいっと身を乗り出した。
「氏や姓は関係ない。その人間の才能に応じて位階を授けましょう」
 私は戸惑った。
「でも、それでは蘇我の力が」
 蘇我一族や自分の権威が下がってしまうだろうに。
 私が言いたいことがわかったのか、厩戸は背筋を伸ばした。
「蘇我は臣下のひとつにすぎません。考えるべきは天皇の権威のみ。そうですね、憲法も定めましょう。隋の文化も学ばなければなりませんし……」
 私は目の前の若い男をぼんやりとみつめた。
 やっぱり全然違うわ。
「どうでもいいのだよ」と笑いながら言った穴穂部の兄上とは。
「いいわ。お前の好きなようにやりなさい」
 私はおかしくなってそう許可した。
「お前にも子供がいるでしょう。もう少し大きくなったら一緒に取り立ててあげましょう」
 深い意味はなく当然のこととして告げると、厩戸皇子は「不要です」と一蹴した。
「才があれば自然と位階も上がるでしょう。なければ滅びるのみ」
「なんと無欲な……」
 私は呆れた。自分はどうでもよく、このヤマト王権に尽くすとでもいうのだろうか。
 が、それが間違いだと気付くのは少し後のことだった。

「面白い男の子を見つけてきました」
 厩戸が私の前にそう言って現れた。
 私は六十九になっていた。
 その男の子はまだ十にもならぬように見えた。小綺麗な格好をしているので、どこかの豪族の子供かもしれない。
「陛下、こちらは中臣御食子(なかとみのみけこ)の子息です」
 排仏騒動の時、物部氏と命運を共にしなかった中臣の者か。確か神祇官であったはず。
「ほら、ご挨拶は」
 厩戸にそう促されると、男の子は片膝をついた。
「中臣鎌子(なかとみのかまこ)ともうします。このヤマト王権を蘇我のいいようにはさせませぬ」
 以後、おみしりおきを、と男の子はたどたどしく述べて頭を下げた。

「厩戸。加減はどうですか」
 病に伏せったという厩戸を見舞ったのは、中臣鎌子と引き合わされてからしばらくの後だった。
 侍女の持ち上げた御簾をくぐって寝台に近づくと、厩戸は襟元を寛げて女と酒を飲んでいた。
 叱責したものかと私が悩んでいるうちに、厩戸は女を跪かせ、己も跪いた。
「これはこれは。わざわざ陛下にお越しいただけるとは、この厩戸、もう心残りなく浄土に行けるというものでしょう。なあ、膳(かしわで)」
 膳ということは、この女は厩戸が溺愛しているという妃だろう。私は呆れてため息をついた。
「まだとうてい浄土に行けそうにないでしょう、その元気な様子では」
 厩戸は「いえいえ、行きますよ」とにこやかに笑った。
「ほぼ全てやりきりましたから。私のやってみたかったことは。やり残したことをやってくれそうな男の子にも出会えましたし。だからあとはどうでもいいのです」
 その言葉にどきりと胸のあたりが痛んだ。いや、その声音にだったかもしれない。
「どうでもいいのだよ。神でも仏でも」
 似ている。
 どきどきと心臓が早鐘を打つ。額からは汗が噴き出してきた。
 厩戸は深々と頭を下げた。
「ヤマト王権から発したこの日出づる国。そのはじまりに立ち会わせていただき、誠にありがとうございます」

 その夜、膳は亡くなったらしい。次いで厩戸も亡くなった。
 自分のしたいことだけをして、それが済んだらすっきりと浄土とやらいうところに立ち去ってしまった。
 私は部屋から見える月を眺めていた。浄土とはどんなところなのだろう。私もそこに行くのだろうか。
 穴穂部の兄上。あなたにもしたいことがあったのかしら。もしかして満足して旅立ったのかしら。
 私もそう長くはないだろう。ナニモノかが私をやりにくるから。
 でも、どうでもよいのかもしれない。
 ヤマト王権はいつなくなっていたのだろう。ヤマト王権はこの先いつまで続くのだろう。
「どうでもいいのだよ」
 あの時の私をみつめる兄上の瞳は、穏やかだったような気がした。

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