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小説|福岡天神 流しのバーテンダー 7

さようなら

「いったい、あの凶暴性はどこから来るんでしょうね」
「優しいところもあるだろう?」
「確かに、時々は優しくしてくれるんですけど……。本屋で捕まった時なんか、約束した訳じゃないのに、ここで僕を待っててくれたし。それにしてもですね、生傷絶えなくて大変なんですから。見える所にはあんまりないから判らないでしょうけど、僕のボディーはアザだらけですよ、本当」
「でも、君が現われるまではそうでもなかったと思うけどね」
「僕が本性を目覚めさせたのかな?ある意味それはそれで…」
「そういう所じゃ…。ちょっといじめたくなるタイプだしね、君は」
「そうですか?なるほど、好きの裏返しでいじめるって言う典型的な例だな」
「…多分、そういう思考の持って行き方にも問題があるように思うけど…」
「でも、そもそも読んでる本がおかしいと思いませんか?こないだなんか、『完全武装・デザート編』なんての立ち読みしてたんですよ?むさい男たちに紛れて」
「ははは。そういう傾向はあったね。一番最近うちで買っていったのは『格闘技の神髄』だったし」
「これ以上強くなってどうするんですか?」
「私に聞かれても」
「涼子さんの敵はいったい誰なんだろう?もしかしたら、とある組織に送り込まれたスナイパーかもしれない。きっとすでに何人かは仕留めている筈ですよ」
「じゃあ、次のターゲットは君かい?」
「んー、もしそうなら、すでに僕は生きてないですよね。あ!なるほどそうか!狙っていた僕を、涼子さんは好きになっちゃったんだ。禁断の恋ですよ!そうか、そうだったんだ……。葛藤する気持ちが時々爆発して僕をいじめたりするんですよ。しかも、もしかしたら、組織の裏切り者として、今は逆に涼子さんが追われる立場になってるのかもしれない。ああ、なんて僕は罪作りなんだろう…」
 私は思い切り長谷川を蹴飛ばしてやった。
「寝言は寝てる時に言え」
「り、涼子さん!何でここに⁉いつからそこにいたんですか?」
 奥の壁にめり込んだまま、長谷川は言った。
 河竹のおじさんはカウンターに手をついて、長谷川の無事を確かめながら言う。
「おやおや、私も気付かなかったよ。鈴が鳴んなかったね」
「指で押さえてたんで」
「何でそんなスパイ映画みたいなことを……」
「煩い。人の影口をこそこそと」
 壁から引っ張り出してやってると、長谷川が荷物を持ってないのに気付いた。
「あれ?荷物は?廃業したの?」
「まさか。まだ時間が早いんで、家に置いてるんです」
「あっそう」
 頷いて、私はおじさんに差し入れのプリンを差し出した。
「いつも悪いね。お客さんに気を使ってもらって」
「ううん。いつもお世話になってるから」
「わーい、プリンだ、プリン」
 呼んでないのに手の甲をさすりさすり、長谷川が私のそばに寄ってくる。
 私はそれまで長谷川が座っていたパイプスツールに座りながら言った。
「あんたがいるなんて思ってなかったから、二つしかないわよ」
「え、そんな……」
 おじさんと二人でプリンを食べている間、じっと物欲しげにこちらを見ているので、仕方なく半分を長谷川にやった。
 食べかけを喜んで食べてる奴を見ていると、昔飼ってた犬を思い出した。
「あんた、ご飯食べたの?」
「え?まだです」
「食べ行く?今から」
 パクパク立ったままプリンを食べていた長谷川は、プラスティックのスプンを落としそうになる。
「へ……ほ、本気ですか?」
「なにが?」
「いや、だって、涼子さんの方から誘ってもらうなんて、初めてだから」
「そうだっけ?決算手当がでたから、奢ってやろうかなと思っただけなんだけど」
「涼子さん、やっぱり僕のことをそんな風に」
「どんな風なんじゃ、おい、こら」
 プリンの入っているガラス製のカップをひっくり返して、長谷川の口にプリンを全部流し込んでやった。
「ふ、ふご、うぐっ」
「まあ、まあ、涼子ちゃん、落ち着いて」
「なんか、腹立つっちゃんね、こいつ。勝手に話作るし」
 私はおじさんになだめられ、長谷川と二人で店を出た。
 
 と、視線を感じて道の隅っこに目をやる。
 占いのおばさんが小さな机を出して座っていた。
 こちらを見ている。
「お嬢さん、ちょっと」
 占い師が手招きをした。
 私は少し焦る。
 占いなんて信じてないし、占ってもらったこともなかったからだ。
「あの、お金ないので失礼します」
「まあ、おいでなさいな、お金は要らないから。ちょっと、お嬢さんには特殊な相が出てるわ」
「え…」
 私が戸惑っていると、長谷川は少し浮かれた声を出した。
「涼子さんにも苦手なものがあるんですね」
「煩いな。タダより高いものはないって言うじゃないの」
「僕がついてるから平気ですよ。行ってみましょう」
「でも…」
「おいでなさいって。あたしがよく見てみたいのよ、お嬢さんの相を。お金取らないから、ちょっと見せてよ」
 更に手招き。
 私は仕方なくそちらに歩いた。
 長谷川は横についててくれる。
 占い師は大きな虫眼鏡を取り出して、私の顔を見た。
「え、顔?」
「手じゃないんですか?」
 長谷川も言う。
 が、声は面白がっている。
「あたしは顔の相で見るんだよ」
「顔相ですか。ふむふむ」
 長谷川はもっともらしい顔をして頷くが、判ってんのかよ、お前は。
「ははあ、やっぱりねえ……」
「なんですか?何かありました?」
 私の代わりに長谷川が相手をしてくれるようなので、私はとりあえず黙っていた。
「化粧が薄いねー」
「あ、判りますか?そうなんですよ。口紅なんてもう、ほとんどつけてないんですから。真っ赤なルージュなんかつけられた日にゃ、もう僕なんかクラクラして大変だとは思いますけどね」
「化粧の勉強したらもっと美人になるよ」
「判ります判ります。でも多分チークすら持ってませんよ、きっと」
「あら珍しい」
「また何か?」
「飾り物を一つもつけていないんだねえ」
「ああ、それは僕にも責任があるかもしれない。まだアクセサリーをプレゼントできる状態じゃないんですよ。しまったなあ、こりゃ」
「ゴールドよりシルバー系の方が似合うだろうね」
「そうですか。クール・ビューティーなんで、そうかもしれないですね。判りました。購入時の参考にします」
 妙に息が合ってる感じなのも、話の内容も癇に障っていたが、黙っていた。
 私はあまり知らない人の前では猫を被る癖がある。
「じゃあ、本題に入ろうかね」
「え、入ってなかったんですか?」
「当たり前だろう。あたしは本物の占い師だよ。ふーん、お嬢さん。あたしの目に狂いはなかったようだね。あんた、魔性の相がある」
「えーっ、魔性の女⁉」
「それも普通のじゃないよ」
「い、異常なんですか?どうしよう、僕耐えられるかな…?一応体力には自信あるんですけど、あまりアブノーマルなのは…。でも涼子さんのためなら、覚悟決めます」
 さすがに腹が立ったので、手刀で延髄切りを決めてやった。
「お嬢さんは魔界との相性がいいんだよ」
 口から出た泡を手で拭いながら長谷川は蘇る。
 占い師の机に手をかけて、よろよろと立ち上がり、聞く。
「ま、魔界ですか?」
「そう。そういう意味の魔性だよ。魔物に好かれるタイプだね。取り込まれないように気をつけないといけないよ」
「なるほど」
 気をつけろって言われてもねえ。
 どう気をつけるのよ。
「判りました。じゃ、そういうわけで」
 そう言って立ち去ろうとした私の手を、長谷川が握って引き止める。
 そして占い師に言った。
「あの、僕とこのお嬢さん、上手くいくと思いませんか?凄く運命を感じるんですけど」
 懲りん奴やな、本当に。
「そうだねえ」
 占い師は虫眼鏡を長谷川に向けた。
「はあ、あんたもなかなか数奇な運命抱えてるみたいだね」
「え…」
「まあ、悪くはないよ。あんたはいつか、このお嬢さんのかけがえのない男になるだろう」
「ほ、本当ですか⁉」
 握る手に力を入れたので、私は長谷川のその手を振り回して外した。
「痛いなあ、もう、行くよ」
「ちょ、ちょっと待ってください。もう少し!」
 仕方なく少し離れた場所で待ってやる。
自分の話になると、すっかり本気になってるみたいだ。
「かけがえのないって、そんな凄い存在になるんですか、僕が」
「ああ。だけど、気を付けなきゃいけないよ。一歩間違えればあんた、早死にするから」
「えーっ⁉そんな、せっかく上手く行っても早死にするんじゃ哀しすぎますよ!」
「そんな時にはこれさ」
 占い師は懐からサイズ違いの三枚の紙をさっと取り出した。
「このお札を身につけてれば大丈夫。大、中、小とある。どれにする?小さい方から1,000円、2,000円、5,000円だよ」
「えっ、順当に行けば大は3,000円じゃないんですか?」
「煩いね、それだけ効果があるんだよ」
「や、やっぱり大が一番いいんでしょうか?」
「そりゃ当然だろう。さあどうする?」
 長谷川はそっと小さい方に手を伸ばす。
 占い師は言う。
「いいのかい?何もしないうちに死んじゃうかもよ?」
「くーっ、もらったっ!」
 長谷川の手はさっと大のお札を取り上げた。
 バカだ、こいつ。
 占い師は「はい、5,000円」と、手を差し出す。
 長谷川は震える手で財布から5,000円札を抜き、支払った。
「本当に効くんでしょうね?」
「ああ、請け合うよ。私は本物の占い師だからね。その大きいのなら滋養強壮、虚弱体質にも効くんだ」
「す、凄いお札だ」
「頑張るんだよ」
「はい。ありがとうございます」
 頭を下げて行こうとした長谷川の手を、占い師は掴まえる。
「おっと、忘れるところだった」
「はい?」
「占いの料金払ってもらわないと」
「え、だって、さっきお金は要らないよって」
「バカ言っちゃいけないよ。それはお嬢さんに言ったんだ。あんたまでタダで占ってやるなんて、あたしゃ一度だって言っちゃいないよ」
「そ、そんな」
 長谷川は情けない顔をこちらに向けた。
 付き合ってられない。
 私は手を振り、先へ歩き出す。
 
 
 イムズで食事をした後に、荷物を取って昭和通りまで来ていた。
「いやあ、嬉しいな。涼子さんが仕事に付き合ってくれるなんて」
「だって、結局食事代あんたが払ったんじゃん。それでついてきてって頼まれたら、断れないよ」
「だって、女の子から奢ってもらうのは、ちょっと抵抗が」
「意外に古い男なんや」
「嫌いじゃないでしょう?こういうの」
「まあね」
 長谷川は驚いてこちらを向いた。
 並ぶ屋台から声がかかる。
「お、兄ちゃん待っとったよ。一杯ちょうだい」
「あ、はい、ただいま」
 一つの屋台で3杯くらい売れたようだった。
「お酒出すの、なんか早かったね」
「ええ。屋台の場合、水割りとかロックとかがほとんどなんですよ。カクテルって滅多に注文されないんです」
「そうなんだ」
「あの、先刻の、嫌いじゃないって」
「うん、なに?」
「僕のこと嫌いじゃないですか?」
「ああ。まあ、嫌いだったらここまで来ないよね」
「そ、そうか。そうなんだ」
 もじもじしている長谷川に、また声がかかる。
 大きな屋台に若い女性客が沢山いた。
 今度は時間がかかっていた。
 きっとみんなが様々なカクテルを注文したのだろう。
 しばらく待って、出てきた長谷川に聞く。
「何杯?」
「12杯も売れちゃいました」
「お札代は稼げたね」
「はい。あの、嫌いじゃないってことはイコール好きって事ですよね」
「どうだろうね」
「…あれ?」
「なに?」
「いや、僕の予想じゃ、はっきり違うって言われるだろうと」
「ふーん」
「なんか今日は調子悪いんですか?」
「そうだね。あんまり良くはないかも」
 ここでは長谷川の人気は高いようで、話して歩いているとちょくちょくお呼びがかかった。
 今度は5杯売れたと、屋台の暖簾をめくって出てくる。
「繁盛してるね」
「ええ、最近は調子いいんです。あの、何かあったんですか?」
「うーん」
「なんですか?」
「昨日、部長が行っちゃってね」
「あ…東京ですか」
「うん」
「そうか。それで元気ないんだ」
 またお呼び。
 今度は2杯。
「僕、身代わりでもいいですから」
「へ?」
「甘えたくなったら甘えてくださいね」
「あんたさあ、それ、やめた方がいいよ。癖なら直しい。悪い女に引っかかったら、利用されるだけされて、ぽいと捨てられちゃうよ」
「その相手が涼子さんなら、僕は構いません」
 何に対してか判らないけれど、私は少し腹が立った。
 早歩きをして、長谷川から離れる。
 奴は付いて来ようとしたが、客に引っぱられて屋台に入った。
 
 
 一人で帰ろうと思い、明治通りに続く路地に入ってすぐのことだった。
 パチン、パチンと言う不穏な音が夜道に響いた。
 私は身構える。
 聞いたことのある音だ。
 警棒を、手の平で打ち鳴らす音。
 あの警察官だ。
 振り向くと、仁王立ちをしている制服の男がそこにいた。
「女の一人歩きは危険だぜ、お嬢さん」
「それを守るのがあんたたちの仕事でしょう」
「そうさ。だがそれも、善良な一般市民が相手の時だけだがな」
「私は違うっていうの?」
「流しのバーテンダーの女なんか、善良とは言えないね」
「私には、あんたの方が善良に見えないけど」
「俺様ほど善良な人間はいないぜ。何せ俺は、この街の法律だからな」
「いかれてるわ」
「何とでも言いな」
 警察官は警棒をホルダーにしまい、代わりにホルスターから拳銃を抜いた。
 紐や鎖でつながれてはいないようだった。
 前に使った銃とは違うと感じた。
 銃口を私に向けて近付いてくる。
「あのふざけた野郎を、今日こそは捕まえてやる」
「銃を向けられるほど、悪いことをしてるとは思えないわ」
「それは俺が決めることさ。あんたには、奴を捕まえるオトリになってもらうぜ」
 警察官は私の額に銃口を押し当て、ニヤリと笑った。
 狭い路地には、他に人は歩いていない。
「あんたと一緒にいれば、あいつは必ず嗅ぎつけてくる。少し散歩をしようじゃないか。奴を仕留めるには、ここじゃあ邪魔が多すぎる」
 警察官は私を後ろ向きにさせると、背に銃を当てて歩くように促がした。
 
 
 アクロス裏に広がる天神中央公園から、薬院新川を越えても公園がある。
 しかし旧福岡県公会堂貴賓館のあるそこには、私たち以外の人間はいなかった。
 私は奴に肩を押さえられ、こめかみに銃口を突きつけられている。
「どういうこと?夜とは言っても、誰も人がいないなんて」
「前もって全ての通り道にバリケードを張っていたんだ。今夜は誰もここには入れない。通り道はそこの、公園通り橋だけさ」
 私たちはその橋の、川を越えたところに立っている。
 橋の向こう側にはキープ・アウトのテープが張られ、通行止めのプレートも立ててあった。
「職権乱用もいいところね」
 長谷川がその黄色いテープの向こうに姿を現すのに、それほど時間はかからなかった。
 今まで見たことのない厳しい表情で、長谷川は言った。
「何の真似だ」
「久し振りだな。早くこっちに来なよ。お嬢さんがお待ちかねだぜ」
「彼女に手を出すなよ」
 長谷川はテープをまたがしてこちらに歩いてくる。
「ダメよ。ここは西中洲よ。あなた、中洲に足は踏み入れないって言ってたじゃない」
「いいんですよ、涼子さん。僕が決めたのは那珂川を越えないって事ですから」
 長谷川が近付くごとに、警察官は後ろに下がった。
 公園の奥に入っていく。
 そして、貴賓館前に来ると立ち止まった。
「何が望みなんだ」
「お前が違法営業をやめることだ」
「そんなの、たった今やめてやる。早く彼女を放せ」
「ハイそうですかって、簡単に手放すと思ってるのか?バカが。口約束なんか俺は信用しない。まず、その荷物を肩から降ろしな」
 長谷川は言われた通りにした。
 自分の足元に、カチャカチャと音をたてて大荷物を置く。
「よし。それじゃあ次に、氷を捨ててもらおうか」
 ホット・カクテル以外のカクテルには欠かせない大事な氷だ。
 もちろん水道水ではなく、ミネラルウォーターで作った、透明の綺麗な氷。
 長谷川は魔法瓶を取り上げると、中栓を外して体の真横に持ち上げ、くるりとそれを逆さにする。
 カラカランと全ての氷が地面に散らばった。
 砕けた氷が、街灯の明かりに哀しく輝く。
「次に、酒を捨ててもらおう」
 長谷川はエアパッキンに包まれたボトルを何本も、リュックの中から取り出す。
 ウィスキー、ブランデー、ウォッカ、ジン、ラム……。
 次々とそれらを地面に流した。
 私は口惜しさに唇を噛む。
 長谷川はもっと口惜しいだろうに、躊躇することなく作業を進めている。
「ねえ、もうやめて。もう充分でしょう?」
「充分だって?これからが本番だぜ。シェーカーとアイスピックを用意しろ」
 言われた通りにする。
「そのアイスピックで、シェーカーに穴を開けるんだ」
「酷いわ。どうしてそこまでする必要があるのよ?」
 私は警察官に掴みかかる。
 しかしすぐに腕を取られ、それを背中にひねり上げられた。
 銃を押し付ける手に、先程よりも力が入った。
「煩い女だ。じっとしてろ」
「やめろ!手荒なことはするな。言う通りにするから」
「さっさとやれ」
 長谷川は地面にシェーカーを横向きに置いて、アイスピックでボディーを突き始めた。
 カン、カン、と、夜の公園にその音が響き渡る。

 私は警察官に言う。
「あんた、どうしてこんな事するの?」
「気に入らないんだよ。平気な顔をしてルールを破る奴らがな。歩きながらタバコを吸う奴。道にゴミを捨てる奴。歩道を自転車で疾走する奴。片っ端から俺が始末してやる」
「そのどれも、私たちはやってないわ」
「許可も取らず、税金も納めず酒を売り歩くあいつが、善良な一市民だとでも言うのかい?笑わせんじゃねえよ。その仲間のあんただって同罪だ」
 ガシュッと音がして、シェーカーに穴が開いた。
 長谷川は立ち上がって言う。
「やったよ。次はどうする?」
「お前、冷蔵庫も持ち歩いてるようだな?」
「何でそんなことまで知ってるんだ」
「お前のことは調べ上げてるさ。それを出して、電源を切ってもらおうか」
 言われた通りにする。
 長谷川はどこまでも従順だった。
「じゃあ、それをちょっと蹴っ飛ばしてみな」
 小さな冷蔵庫に足をかけ、軽く向こうへ押しやる。
 バタンと冷蔵庫は倒れ、中で何かが割れる嫌な音がした。
 警察官は満足げに頷き、私を前へ押しやった。
「行きな」
 私は一度警察官を振り向いて、長谷川のもとに走る。
 近くまで来ると長谷川は手を伸ばし、私を抱き寄せた。
「ごめん。私のせいで」
「いいんです。無事で良かった」
 そして、私を自分の背後に立たせて、警察官に言う。
「じゃあ、もう帰っていいんだな」
「誰がそんな事を言った?」
 警察官は意地の悪い笑みを口の隅に浮かべる。
 拳銃を私たちに向けて構えている。
「お前は今、不法投棄をしたんだぜ。冷蔵庫は販売店か専門業者に処理を依頼しなけりゃいけないんだ。福岡市民なら当然知ってるはずだろう」
「貴様……」
「それを、そんな所に勝手に捨てられちゃあ、放っておけないな。投棄者は法律によって処罰されなければならない。そしてこの街の法律は、この俺様だ」
「はめたな」
「これは非常に悪質なケースだ。警察が乗り出すしかないようだぜ」
 警察官との距離は10mもなかった。
 まともに射撃の出来る人間なら、標的を狙える距離だ。
 その上で敵は、こちらににじり寄ってきていた。
 私たちは少しずつ後ろへ下がる。
 この間の一件も考えると、この警察官の射撃の腕は大したことはないと思えた。
 希望的観測も含めて。
「逃げましょう」
 私は長谷川の耳元に囁く。
「奴の得物はオート・ピストルよ。この間の弾切れに懲りたんでしょうね。でも、射撃中のリスクは高いわ。何か投げられるもの持っていない?」
「内ポケットに、ソムリエ・ナイフなら」
「上等よ」
「でも、閉じたままでお願いします」
「相手は拳銃で脅してんのに、優しいこと言うのね」
 私は後退りながら長谷川のナイフを手に取った。
「向こうの公園は人が多いから危ないわ」
「判りました。じゃあ、貴賓館の裏側へ回りこむんですね?」
「ええ。行くわよ」
 私はエイッとソムリエ・ナイフを警察官の手元を狙って投げた。
 それは見事に拳銃に当たり、その衝撃で警察官は上空に向かって発砲する。
 それを合図にして、私たちは走った。
「くっそ!ジャムりやがった」
 警察官はいらだたしげに叫ぶ。
 スライドを引くような音が聞こえた。
 走りながら長谷川が聞く。
「なんですか?ジャムるって」
「ジャミングを起こしたのよ。排莢が上手くいかなかったんでしょう」
「…よく判りませんけど、とにかく逃げ切れそうですね」
 長谷川は言うと私の手を握る。
「那珂川、越えますよ」
「え…」
「このまま中洲に逃げこめば、奴も追いかけてこないでしょう」
 貴賓館の裏から福博であい橋に向かう。
 那珂川にかかる橋だ。
 これを渡れば中洲に入る。
「ごめんね」
「何言ってんですか。涼子さんを巻き込んだのは僕ですよ」
 しかし、私たちの考えは甘かった。

 警察官は私たちを追いかけるのをやめて、であい橋へと先回りをしていた。
 であい橋にはキープアウトのテープと、カラーコーンでバリケードを作ってある。
 それだけなら逃げられないことはないが、その前にあの警察官が立っていた。
 銃を構え、先程よりも明らかに鬼気迫る表情だ。
「許さねえ!」
 長谷川を引っぱり、数歩下がる。
「出来るだけ離れて」
 20mくらいは距離があるだろう。
 ギリギリ交戦範囲内といったところか。
 それでも奴の叫ぶ声は良く聞こえた。
「どいつもこいつも俺をバカにしやがって!歩道に自転車を停めるなって、あんなに注意して、取り締まって、それがなんだ?歩道に駐輪スペース作ってんじゃんかよ!100円取って、監視員つけて、結局歩道に停めてんじゃんよ!ふざけるなーっ!俺は何のために不法駐輪する奴らを注意して回ったんだ⁉結局良かったのかよ、そこに停めてよ!じゃあご大層な機械設置しなくてもよ、白線引くだけでいいじゃん!白線はみ出た自転車は、この俺が片っ端からぶっ潰してやるからよっ!!」
 逆恨みだ。
 しかも私なんて、ここ10年くらい自転車乗ってないのに。
「私たち関係ないじゃないの!」
「煩せえ!ここは俺の街だ、何でもかんでも俺に無断で勝手に決めんじゃねーっっ!道にゴミ捨てんなーっ!!」
 バキューン、キューン、ューン、―ン…。
 映画で聞くような銃声が、福博の境界に響いた。
 そして、長谷川が胸を押さえた。
「え、」
 
 長谷川は押さえた胸もとを自分で見下ろす。
 私も見た。
 白いシャツが、赤く滲んでいる。
 ガクンと、長谷川の膝が落ちる。
「う、そ……」
「長谷川!」
「りょ、涼子…さん」
 そのまま地面に倒れそうになった長谷川の、上体を支えて受け止める。
「しっかりして!」
 赤い染みを自分の手で押さえたまま、長谷川は私を見上げた。
「占い、当たったみたいですね」
「何言ってんのよ、やめてよ!」
「涼子さん、ぼく、本当に好きですよ。涼子さんの、街を歩く姿を見かけて、凄く惹かれて、それから探したんです。歩き方が、とても素敵だったから……。やっと、見つけて、そしたら、涼子さんは本当に、素敵な人だった」
「何言ってるのよ、私、暴力ばっかり振るって……」
「ぼくの、存在が怪しいんだから、そんなの、当然ですよ。涼子さん、身代わりでいいんです。それしか、ぼくの居場所がないのなら、それでいいんです」
「ねえ、もう喋らないで…」
 赤い染みは徐々に広がっている。
「最期なら、言わなきゃ…。でも、本当は、僕を好きになって欲しかった」
「好きだよ。好きに決まってるじゃない」
「へへ。そういうの、優しい嘘って、言うんですよ」
「死なないでよ。死ななかったら好きになるわ。だって、私、タフな男が好きなんだもん。お願い、死なないでよ。これで死んだら絶対好きになんか、なってあげないんだから」
「…じゃあ、これで生き延びたら、ぼくのものになってくれますか?」
「なるよ。なるから死なないでよ」
「嬉しい…。じゃあ、この街に、桜が咲いたら、ぼくのお嫁さんに、なってくださいね」
「判ったよ。なってあげるから」
「良かっ、た…」
 長谷川はふっと微笑むと、目を閉じた。
「長谷川!」
 私がいくら叫んでも、長谷川は目を開けてくれなかった。

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