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小説|福岡天神 流しのバーテンダー 8

それから

 地面にそっと、長谷川を寝かせる。
 すぐ近くに、バカ警官が立っていた。
「鬼の目にも涙か」
 私を見下ろしてそう言う。
 私は涙を拭いた。
 警察官は少しぼんやりした様子だった。
「許さない」
 警察官は力なく笑う。
 片手にリボルバーをぶら下げて。
 バックアップも用意していたようだ。
 ソムリエ・ナイフの命中したオート・ピストルは結局不調が直らなかったのだろう。
 ホルスターに戻されている。
「その男の話をしてやろうか?長谷川隆一郎、28才。こいつは東京生まれだが、小さい頃から各地を点々としていて、故郷って言える場所を持っていない。両親は10年前に離婚して、その後どっちも死んじまってる。天涯孤独って奴だな」
「どうしてそんなこと知ってるのよ」
「調べたのさ。俺は警察の人間だぜ。調べるのは本業さ」
「じゃあ、彼がどうしてこの街に来たのかも、知ってるの」
「ああ。こいつの親父が死んだのが、中洲の飲み屋なんだ」
「中洲の?」
「飲み過ぎて、急性アルコール中毒でぽっくり逝っちまったんだとさ。そんな街に飲み屋を出そうなんて、この男も相当いかれてるぜ」
 サイレンの音が聞こえてきた。
 私は立ち上がる。
「あんたなんかに、そんな風に言われたくないわ」
「那珂川を挟んで、親子が死んじまうなんて、そんな話があるかよ」
「あんたが殺したんじゃない」
 警察官は皮肉な笑みを浮かべる。
 そして、ゆっくりリボルバーを持つ手を上げて、私に向けて言った。
「あんたも死にたいかい?」
 私は警察官を睨みつける。
 対岸沿いの道に、パトカーと救急車が到着した。
 発砲音に気付いた誰かが呼んでくれたのだろう。
 道には怖いもの知らずの野次馬がそろそろと集まり始めている。
 私は銃口を見つめた。
 そして、少し変に思う。
 何かが違う。
 そう思って、よくよく銃口を見てみた。
「なに、それ」
「なんだ?」
「インサート入ってる」
「あんた、よく知ってるな。そのおっちょこちょいには勿体無いくらいだ」
 説明しよう。
 インサートとは銃身内に埋め込まれた金属板のことだ。
 これはわざと外から見えるようにつけられている。
 
 つまり、これは。
「モデルガンじゃない」
「そうだよ。発砲音が出るように俺が改造した、モデルガンだ。弾なんか出やしねえ」
「でも……」
「俺もビックリした。何で血が出るんだ?血の出る持病かなにかか?」
 私は訳が判らなくなり、しゃがんで長谷川のネクタイを外した。
 そしてシャツのボタンも上からいくつか外してみる。
 そこには大判のお札が貼り付けてあった。
 赤い文字で書かれた守護大天神という字がべろべろに滲んでいる。
「おい」
 長谷川は、ゆっくり目を開いた。
「あんた……」
「え、えへ。なんか、おかしいなとは思ったんですよ。なんか、痛くないなぁって……」
「あんた、は…」
「でも、死ぬ時って、痛みも判らなくなるものなのかなとか……」
 長谷川は緊張でこわばる笑顔を無理に作りながら、上体を起こして、地面に座りなおした。
 そして自分の胸もとを見る。
「でも、なんでこんなんなったんだろう?」
 首を傾げて、あっと手を打つ。
「さっき、お酒と間違えて炭酸水を開けちゃったんですよ。その時、服にビシャッてかかって。それだ。なるほど、それで、お札の文字が流れたんだ。高い割りに安いインク使ってるんだから、まったく。あーあー、べちょべちょになっちゃって」
「何で、そんなとこ貼ってんのよ」
「あ、その、あの占い師さんが、大事に胸にしまっとけって…」
「あんたって、奴は…」
 長谷川はヒッと小さく叫んで、手を上げて身を縮め防御体勢に入る。
「わ、わざとじゃないんです、ぶたないでっ!」
 私はぶたなかった。
 代わりに奴を抱きしめる。
「本当に死んだかと思ったじゃないの、バカ!」
「涼子、さん……」
 警察官が、駆けつけた警察官に取り押さえられながら言った。
「お前には負けたよ。そのバカっぷりに免じて、見逃してやらぁ」
 私は長谷川を離して、警察官の前に立った。
 奴は大人しく拳銃を手放して、手錠をかけられる。
「悪い奴は他にも沢山いるのに、何で彼に目を付けたの?」
「目立ってたからだよ。しかもこの街の人間じゃないくせに、大きな顔して流しなんかやりやがって。でも、俺だって判ってるんだ。本当に悪い奴らはもっと隠れた場所にいるって。俺はそれを見つけるのが、もう面倒になっちまってた。だから、目に付いた奴を狙ったんだ」
「私も長谷川も、道にゴミなんか捨てないわ。私だってそんな人間は大嫌いよ」
「そうか。そうだな。そんな人間は最低だよな。そう言ってくれる人間を、久し振りに見たよ」
「あなたの言う通り、長谷川だって悪いことはしてた。私、やめさせるわ。だから、あなたも立ち直って」
「……ありがとう。もっと早くに、あんたに出会えてたら…」
「ほら、もう行くぞ」
 普通の警察官がそう言って、警察官の手を引いた。
 
 であい橋を渡っていくその姿を見つめていると、長谷川が私の隣に並んだ。
「根は悪い奴じゃなさそうですね」
「この街を、好きだっただけなのよ。きっとね」
「マッド・ジャストマン、か」
「ねえ、そんなことより」
「はい?」
 私が見上げると、長谷川は微笑んでいた。
「私、許した訳じゃないわよ」
「え、そんな……」
 笑顔がひきつる。
「いつから気付いてたのよ?」
「いつからって…」
「途中から気付いてたんでしょう?ねえ?撃たれてないってさ」
 詰め寄ると後退る。
「えっと、その…」
「やっぱり気付いてたのね?」
「なんか、言い出せなくて…」
「いつから気付いてたのよ⁉」
「まあ、まあ」
 救急隊員が近付いてきた。
「あのう、結局誰も怪我人いないんですか?」
「あ、はい。すみません。お騒がせしました」
 長谷川はぺこぺこ、胸を真っ赤に染めて頭を下げる。
 続いて警察官がやってくる。
「すみませんが、ご足労願えますか。そちらからも事情をお伺いしたいので」
「え、僕らもですか?」
「仕方ないよ。当事者なんだから」
 私は生まれて始めてパトカーに乗った。

 数日後、私と長谷川は黙阿弥堂に向かって新天町を歩いている。
 大荷物は抱えていないので目立つことはなかったが、いつもより長谷川が私に寄り過ぎなのが気に入らなかった。
「しかし涼子さん、パトカーの中で目輝いてましたよ。あれ、単に乗りたかったんでしょう?パトカーに。警察署の中でもソワソワしちゃって。警察手帳見せてもらったり、警棒触らせてもらったり。僕なんかずっと事情聴取受けて、被害者なのに説教までされて散々だったんですよ。それなのに涼子さん、お巡りさんとずっと喋ってるんだもん。僕、正直嫉妬してたんですからね。いったい何なんですか?シングルアクションとかダブルアクションとか。僕の判らない話を、他の男と楽しそうにしないでください」
「ねえ、そんなのどうでもいいから、もっと離れて歩いてよ」
「いいじゃないですか。婚約者なんだから。あ、そうだ。涼子さん僕より一つ年下なんですよね?そろそろ呼び捨てにしちゃおうかな。もう僕のものなんだし…ふふふ」
「あんなの無効だって、何度言ったら判るの?」
「ああ、開花宣言が待ち遠しい」
 聞いちゃいねえ…。
 花屋の角を曲がって裏道に入る。
 すると、あの占い師が机を出して座っていた。
「あっ!」
 と言って、長谷川は占い師の前に立つ。
「もう、大変だったんですから!」
「なんだい、藪から棒に」
 私は二人を放っておいて、黙阿弥堂の方へ行く。
「あのお札のインク、すぐに水で消えちゃったんですよ」
「おや、そうかい」
「5,000円もしたのに」
「苦情なら受け付けないよ。あんたが納得して買ったんだからね」
「うわ、そういうこと言っちゃうんだもんなあ、もう」
「それなら効力はなかったのかい?」
「……いや、あったと言えば、あったかも」
「じゃあ、いいじゃないか」
「あ、そっか。凄いよ、おばさん!あのお札凄い効き目だった!だって、お陰で好きな人と今度結婚できるんだよ!」
「ほーら、見なさい。成婚報酬は1万円だよ」
「うっそー、そんなあ」
 しぶしぶながらも、素直に財布を取り出そうとする長谷川の背中をどついて、占い師に聞いた。
「すみません、そこの本屋さん、どうしたかご存知ですか?」
「本屋?」
「へ?」
 きょとんとしている長谷川の財布を内ポケットにしまってやる。
「あんたね、そんな契約してないでしょ。結婚も成立してないし」
「え、でも、縁起物だから……」
「バカ」
「本屋ってなんだい?」
「あ、はい。そこに小さな古い本屋さんがありましたよね?」
 私は黙阿弥堂があった場所を指差す。
 今、その古いガラスドアに『黙阿弥堂』の金文字はなく、代わりに『貸テナント』と大きく書かれたシールが貼ってあった。
 長谷川もそれを見て眉をひそめる。
「そこに、本屋が?」
「ええ」
「そこはずっと空き店舗だよ」
「へ?黙阿弥堂って本屋が入ってたじゃないですか」
「知らないねえ。あたしは偶にここに来てるけど、そこはもう2年くらい空いたまんまだよ。人通りが少ないからね、ここは」
「そんな……」
 私はもう一度店の前に行って、ドアを引いてみた。
 すると鍵がかかっておらず、ドアは開いた。
 中に入る。
「あ、涼子さん」
 長谷川も遅れて入ってきた。
 暗い店内には、本棚もなければカウンターもない。
 それどころか、いたる所に埃が積もっている。
 ここ2、3日で溜まったものとは思えなかった。
「どういう事なんでしょう、これ……」
 店から出てくると、占い師が言う。
「ははあ。あんたやっぱり、魔界と通じていたね」
「どういうことですか?」
「天神のこの付近はね、昔から時空の歪みがあるんだよ。行ったまま帰ってこない輩もいるんだがね。あんたは帰ってこれたってわけだ」
 私は肩をすくめる。
 よく意味が判らない。
 しかし、黙阿弥堂がなくなっているのは現実のことだった。
 だから余計に判らなかった。
「涼子さん……」
「私だけじゃないよね。あんたもおじさんと仲良しだったよね」
「はい」
「じゃあ、夢じゃないよね?私、ちゃんと河竹のおじさんと、会って、喋って…」
「はい。そうですよ。おじさんはちゃんとここにいましたよ」
「連れて行かれなくて良かったね。魔物は時に、気に入った奴を連れて行くんだ。お嬢さん。あんた、その男を大事にしなさい。きっと、あんたを守ってくれるよ」
 長谷川がお金でも渡してそう言わしているのだろうか?
 私は聞いてみたかったけど、やめた。
 占い師が真面目な表情だったから。
 私は適当に頷いて、長谷川を振り向いた。
 奴は何かメモを取っているところだった。
 元黙阿弥堂のドア前に立ち、手帳にボールペンで何かを書いている。
「何やってんの?」
「あ、ちょっと不動産の連絡先を。ここなら家賃安そうだし」
「家賃?」
「だって、涼子さんがもう流しはやめろって言ったんですよ?僕も食べてかなきゃなんないし、ここならお店できるかもしれない。飲食店OKならいいんですけどね」
「なに言ってんのよ。あんた中洲に店を出すんじゃなかったの?」
「いくらなんでも、今は無理ですよ。それに、ここならいつも涼子さんと会えるでしょう?」
「……単純よ。そもそも人通りが少ない場所なのに。こんなんでお客さんが入ると思うと?」
 長谷川はニヤリと笑って、手帳とペンをポケットにしまった。
「宣伝はバッチリ行き届いてますから。僕、人に雇われるのは性に合わないと思うし、何とかやってみますよ。まあ、家賃次第ですけど」
 私は、はぁっと息を吐く。
「勝手にしなさい。あんたの人生なんだし」
 占い師に会釈して、アーケードの奥に向かって歩き出した。
 
 長谷川が追いかけてくる。
「真面目に考えてますよ。だって僕の人生イコール、涼子さんの人生なんだから」
「だから、あれは、無効なの」
 一語一語、聞こえやすいように正確に言ってやった。
「今度、大濠公園でデートしましょうね。ボートもう出てるかな?僕上手いんですよ、こぐの」
「ねえ、聞いてる?」
「そうそう、桜の開花って福岡じゃ三月下旬頃なんでしょ?明日かな、明後日かな…。ふっふっふ。婚姻届け出したら、舞鶴公園に花見に行きましょうね」
「貴様…、人の話を聞かんかい、こら」
 首を絞めようと手を伸ばすと、長谷川は立ち止まり、こちらを向いた。
 私の顔をじっと見つめてくる。
「な、なによ?」
 私は手を引っ込めた。
「じゃあ聞きますけど、涼子さん、僕のこと嫌いですか?」
「嫌いじゃ、ないけど」
「ほら」
「ほらって、ちょっと待ってよ」
「待ちますよ」
「え?」
「まさか僕だって、明日桜が咲いたら即役所へ行こうなんて、本気で思ってません」
「……本当に?」
「少しは思ってますけど……。でも、涼子さんが決心するまで延期するのは構いませんから。だって、まだ仕事が決まってないような状態だし、涼子さんが嫌がるのは判ります」
「そう。そうよ。あんた今無職なんだからね。私を食べさせられるようになってから迎えに来なさいよ」
「あーっ!今のはOKって事ですよね?僕がお店を軌道に乗せたら、僕のお嫁さんになってくれるんですね?聞きましたよ、今この耳で、確かに」
「……判った。仕方ないから、そうしてやってもいい」
「うおーっ、素直じゃないけど、嬉しい!」
「でも、軌道に乗ったらだからね。喜ぶのはまだ早いんやない?もしかしたら10年くらい軌道に乗らないかも。その間に私、誰かと結婚するかも」
「え、それって、何の約束にもなってないんじゃ…?」
「ま、そんなところで、よろしく」
「よ、よろしくって、ちょっと待って下さいよ!」
 私が歩き出すと、長谷川はついてくる。
「せめて2年以内は誰とも結婚しないとか、なんか決めてもらえないですかねぇ……」
「嫌くさ。いつ何処に王子様が転がっとるか判らんもん」
「王子様って、…いや、転がってる王子様を拾う涼子さんの姿は充分想像がつく……」
「うるさい。それよりお腹すいとるんやろう?早く、ご飯食べに行こうよ」
 そう言うと、長谷川は独り言をやめて顔を上げた。
 そして大きな声で「はい!」と、笑顔で返事をした。


  完



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