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宗教や信仰についての雑記 #5

◯既存の宗教の向こう側

前回、不完全で有限な人間の言葉では、完全で無限なるものをほんの一部しか言い表せないと書きましたが、そうであるならば、世界の様々な宗教の信仰対象となっているものは皆、その向う側にあるものの、それぞれ異なる面を表した仮の名であると考えることもできます。

遠藤周作の作品に「深い河」という小説があります。この小説は宗教多元主義の影響を受けているそうです。
そのことを知って、私はその考え方に興味を惹かれました。

宗教多元主義とは、様々な宗教が同じ社会に存在することを認め、お互いの価値を認めながら共存していこうとする宗教的態度、思想だそうです。
そしてこの思想では、諸宗教は、宗教的な「実在」に対する異なる仕方での応答の形であるとみなされています。
また、そうであるが故に諸宗教は対立するものではなく、それぞれが補完的なものだというのです。

この宗教多元主義の定義にある「実在」というのが、私の考えている、それぞれの宗教の向う側にあるもののことのように思えます。

でもこの思想は、今あるそれぞれの宗教を相対化してしまいます。
それぞれの宗教の信者は、自分の信じるものが絶対的なものだと思えるから信じられるのであって、それを相対化するような思想とは、自分の信仰を否定するものだと受け取られる恐れもあります。

私は宗教多元主義という考え方に魅力を感じるのですが、それは私が宗教的感覚の薄い現代の日本人だからかもしれません。

ただその一方で、仏教には、筏で激流を渡った後もその筏を後生大事に担いで歩くのは愚かなことだ、という説話もあります。

また、お釈迦様は他の宗教や思想を頭ごなしに否定するような話し方はしなかった、とも聞いています。

私の実家は浄土真宗なのですが、そこで信仰されている阿弥陀仏の「阿弥陀」とは、無限定を意味する「アミタ」という言葉から来ているとのことです。

この無限定、限定しないということを敷衍してゆけば、宗教多元主義のような考え方に行き着くようにも思えます。

既存の宗教の向こう側にあるものを考えると、その先には「神の遍在(ユビキタス)」とか「山川草木悉皆仏性」といったような事柄がぼんやりと見えてくる感じがします。
それについてはまた、次回に書きたいと思います。

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