GENERATIONS、一生大人にならないで

メンディーのパスケースをEASTBOYのスクールバッグに付けていた。
体育祭ではメンディーのパスケースとメガホンを一緒に写真を撮った。

高校生だったときにGENERATIONSに出会った。
今、私はもう社会人3年目になる。

高校生のときの私はGENERATIONSの佐野玲於さんを好きになった。
当時、ひょんなことからHIGH & LOWを劇場へ見に行き、俳優の窪田正孝さんと同じチームだった佐野さんに惹かれた。
彼らのチーム「RUDEBOYS」のテーマ曲はGENERATIONSが担当しており、曲調もMVも、それまでアニメにハマることが多かった私の好みだった。
GENERATIONSに本格的にハマったのは、彼らのレギュラーラジオ「GENETALK」を友人に勧められ、聞いたときだ。佐野さんと、関口メンディーさんのいる回だった。
当時のGENERATIONSは良くも悪くも悪ガキ感が強く、佐野さんはその筆頭だったように感じている。特に、佐野さんはメンディーさんと一緒のときが一番悪ガキっぽい所作が目立った。2人のやり取りが好きだった。

この年、まだボーカル2人の歌声が聞き分けられないほどハマりたてだった私は、GENETALKを進めてくれた友人と共にGENERATIONSのライブビューイングを見に行った。
SPEEDSTERというライブツアーの追加公演、最終日だ。

最後の曲、TRANSFORM。
一生GENERATIONSが好きだ、と思った。

熱くなった会場を、拳を掲げて静かに去っていくGENERATIONSに、一生彼らを追い続けるだろうと確信した。

それから、私はGENERATIONSはもちろん、所属事務所であるLDH全体を追いかけて行くことになる。
主にはGENERATIONSよりも下の世代、数え切れないほどLIVE会場へ足を運び、グッズを購入し、SNSやテレビ番組を必死に追いかけた。

あっという間に1年、2年と経ち、気がつくと私は20歳になっていた。
佐野さんを初めて知ったときの年齢になったのだ。
大学生活やアルバイトに慣れ、使える時間が増えた頃だった。
LIVEにもっともっとたくさん行こうと思った矢先、新型コロナウイルスの流行が始まる。
コロナが流行り、思うように遊べない間も、私はLDHのコンテンツに触れ続けた。
オンラインライブは友達と電話を繋ぎながら見たし、起きてから寝るまでずっとLDHの話ばかりをしていた。

コロナ禍を過ぎてLIVEが再開され、それまで単独公演に行ったことのないグループのLIVEにも足を運んだ。
楽しかった。
GENERATIONSも同じようにLIVEが再開された。当然、足を運んだ。
1曲目から涙が止まらなかった。
何度LIVEへ行っても、GENERATIONSを見ると必ず涙が出る。私は、GENERATIONSを初めて生で見た高校生の頃になんども戻るのだ。
高校生の頃にはその仲の良さやノリで親しみを感じさせ、年を重ねるにつれて童心や夢を忘れない彼らがより輝いて見えるようになり、本当に、ずっとずっと大好きだった。

だから、大人にならないでほしかった。

彼らに限らす、他者の人生を勝手に想像して共感するのは愚かなことではあるが、彼らは私と同じようにずっと子どものままでいてくれると思っていた。
GENERATIONSというグループはずっとモラトリアムのただなかにあり、それは時に他者の厳しい目を受けるものでもあった。
それでも、私は彼らの幼さに救われていた。
GENERATIONSのメンバーの大半は母子家庭である。家族の形が変わったきっかけも様々だ。ネットで検索をすればすぐに出てくるような内容なので、特筆はしない。
幼年期に得るはずだったものがない、彼らとの共通点を私も持っている。
GENERATIONSに出会うちょうど1年前くらいに親が離婚した。
同居する家族に隠れて、もうひとりの家族に会いに行った。幼かった妹を連れて、不自然な言い訳と共に外出をしていた私は、今思うとただの子どもでしかなかったのだが、当時はとにかく大人にならなくてはいけない、大人のように振る舞うべきだと考えていた。
変化した生活に慣れた頃にGENERATIONSに出会って、文字通り人生が変わった。
GENERATIONSの前では子どもに戻れる。
夢も見れるし、ただ楽しいと思わせてくれる。
彼らは少年のように、私の手を引き続けた。
高校生だった私の生きる意味は間違いなくGENERATIONSだった。生活はGENERATIONSのためにあった。

高校を卒業して少しした頃、地元の友人はLDHのファンを止めた。
また別の友人は結婚し、子どもを産んだ。
妹はひとりでも外出できる歳になった。

私はずっと変わらなかった。
ずっとLDHを追いかけ続け、休日の大半をLIVEやイベントに費やした。

周りは大人になるけれど、私は高校生のままだ。
焦らなかったというと嘘になる。
地に足を付けた友人たちと違って、私はまだ彼らを追い続けることしか生きる意味がない。
大学を卒業して就職し、その仕事も続かなかったときは本当に焦った。
とっくに、無邪気なまま夢を見ていい歳ではなくなっていたから。
でも生活のためになんとか仕事を見つけ、働き始めて2年にもなると、仕事と生活とファンでいること、のバランスは自然と整った。
いつの間にか折り合いがついていたのである。
多分、これが大人になるということだったのだろう。
私は変わらず高校生の時と同じ夢を見ているし、GENERATIONSや、LDHのアーティストを追いかけているけれど、キャリアアップのために勉強もしているし、貯金もできるようになった。
焦って何かしなくても、自然とできるようになったことだ。

メンディーさんがGENERATIONSにいることに焦燥を覚え、辞意を伝えたときのプレッシャーはまったく想像できない。当時、周りと自分とを比べて焦っていた私と同じ境遇だとは言わない。
でも、彼は焦るということを知ってしまった。
今いる安全圏を出てもいい、という選択肢を知ってしまったのだ。
メンバーが記者会見で彼に伝えた言葉に唖然とした。
悪ガキだと思っていた佐野さんも、とっくに大人になっていた。様々なLIVEで後輩と接する姿を見て薄々気づいてはいたけれど。
無邪気な少年たちは大人の青年になり、巣立つことを決めた仲間に自らの思いを伝えていた。
GENERATIONSというモラトリアムは、すでになかった。
ファンが望むGENERATIONSの姿を最後まで作り出せるくらい、GENERATIONSは大人だ。

私自身もモラトリアムを脱したというのに、彼らにはずっと子どものままいてほしかったと、傲慢にも考えている。

「ずっと」という言葉を信じさせてれたのはGENERATIONSだ。
永遠はないということを教えてくれたのもGENERATIONSだった。

ファンは彼らにとって所詮赤の他人である。
その赤の他人が願うには歪んでいて、決して健全ではない感情だけれど。
ずっと子どものままでいてほしかった。
一生一緒にGENERATIONSで居続けるという選択肢意外を知らないでほしかった。
大人になんかならないで、GENERATIONSのまま過ごしてくれていたら。
いろいろな憶測はあるし、私も頭を過ぎらなかったわけではないけど、焦って何かに影響されやすくなるのは、むしろ社会人や大人の方が「そういうタイミング」が多い気がしている。

8年、高校生が二度学校を卒業し、社会に出る年月だ。
変わらないわけがない。

変わっていった彼らを受け入れられない私は、子どものまま置いていかれているのだろうか。
それとも、大人として彼らを見つめ、怯えているのだろうか。

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