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株は心理戦(10月18日 別冊号)


日本経済の好循環を開いた日本製鉄の構造改革




 2012年10月に、新日鉄と住金が合併して新日鉄住金となってから11年になる。合併当初は2社の融和を目的に保守的な経営を行ってきた。規模は大きくなったが鋼材はつくるほど赤字になり、安値是正につながる抜本的な高炉休止には手が付けられず、営業は安値販売が常態化していた。2018年3月期、結果として国内の製鉄事業は統合後初の営業赤字に転落した。

2019年4月、日本製鉄に社名を変更と併せ新社長に橋本英二氏が就任。2年以内のV字回復を目指し、3本の改革案を掲げ船出した。20年4月以降、各地の高炉の一時休止を決め、年間1,500億円のコスト改善案をまとめた5ヵ年計画を策定した。また、全国の16拠点を6エリアで一括管理し本社で全体最適を目指した。

成果はすぐに表れ、21年3月期は2,300億円の固定費を削減し、26年3月期までには1,500億円まで落とす計画も決めた。損益分岐点は大幅に引き下げられたが、それでも年1兆円の固定費が重くのしかかっていた。更に、環境対応の高付加価値品への投資を急がなければ生き残ることもできない。固定費(償却費)削減が簡単でない中では、限界利益(売上高から変動費を差し引いて残る利益)の積み上げしかなかった。それを実行するために残された手段は抜本的な鋼材の値上げだった。しかし、日本製鉄には大口顧客との価格交渉で長年にわたって負け犬体質が染みついていた。



日本製鉄の構造改革は、新日鉄と住友金属の合併を否定するところから始まり、合理化で固定費を削減し、大口顧客に対する負け犬体質を払しょくすることだった。更に、シェア争いが「ひも付き」と呼ばれる特定大口顧客への安売りにつながり、原料炭や鉄鉱石などのコスト高が価格転嫁できず死活問題になっていた。

橋本社長は、「安値は企業価値を下げる自殺行為」とし、21年5月に日本鉄鋼連盟会長の会見で個社の話とことわり、自動車各社に「(ひも付きは)国際的にも理不尽に安く、是正されなければ安定供給に責任が持てない」と発言した。この値上げなくして供給なしというメッセージにはしたたかな狙いがあった。値上げ受け入れを自動車メーカー側の社長マターにすることだった。自動車は部品一つ無くても作れない。これまでは価格交渉が購買担当者だったものを橋本社長自らが営業部隊の先頭に立った。この土俵なら、鋼鈑メーカーにとって価格がいかに重要かを理解してもらえると橋本社長は考えた。

この一大事はトヨタの豊田章夫社長にも伝わり、当初トヨタ側は供給制限を「脅し」と受け取り、不快感をあらわにしたが、日本製鉄は引かなかった。長年にわたってトヨタに尽くしてきたという自負があり、これまでにつぎ込んできた投資費用を無碍に、一方的に値下げを突き付けるトヨタに対し我慢の限界でもあった。大口顧客が値上げを認める中で、トヨタも認めることになる。直近でもトヨタは、部品会社が供給する価格を22年度下期は上期よりも1トン当たり4万円と2~3割引き上げることで合意した。半期ベースでは橋本社長になってから2万円程度の値上げ幅を上回り、値決め方式になった10年度以降で過去最大の上げ幅になった。

21年度上期の鋼材販売価格は、1トン10万7千円で下期は12万9千円に上昇した。22年度は15万2千円と前年比3割の上昇となった。一方、市況はピーク時から4割近く下落していたが、日本製鉄の出荷量は逆に上昇した。日本製鉄は、数量に頼らず値上げや得意の高付加価値品販売の割合を増やすことで、限界利益を積み上げることに成功した。

更に、20年以上続く商慣習であった自動車大手との「あと決め」という価格交渉を「先決め」に変更した。出荷が行われている一定期間の中で価格を決めることで、結果として価格が決まる前に出荷が始まっていた。それが鉄鉱石や石炭の価格予測を出したうえで、価格に原料価格の変動が反映でき、仮にコストが市況を上回れば再交渉ができる価格主導権を確立できたことは、収益構造を革命的に転換した。

この結果、22年3月期の連結決算は記録ずくめだった。売上収益は前期比41%増の6兆8088億円、本業のもうけを示す事業利益は8.5倍の9831億円。連結純利益(国際会計基準)と合せ、揃って統合後の過去最高となった。世界の粗鋼生産量が22年8月まで13か月連続で前年同月比マイナスになり、同期の単独(国内)粗鋼生産量も3,400トンとピークから25%も落ち込む前例のない事態だが、連結純利益は2期連続で最高益を更新する。

日本製鉄の乾坤一擲は、訴訟にまで及んだ。電動車のモーターに使う「電磁鋼鈑」の特許を侵害したとして中国鋼鈑の大手の宝山鋼鉄とトヨタを東京地裁に提訴し200億円の損害賠償を請求した。宝山の電磁鋼鈑を採用しているトヨタの電動車の製造・販売を差し止める仮処分を申請した。本丸は宝山で、提訴しなければ技術開発された後では手遅れになり、トヨタが日本で製造する電動車に採用されているという十分な証拠があり、最大顧客といえども訴訟の対象から外す理由はなかった。

橋本社長のリーダーシップのもと、組織は完全に一枚岩になった。そして、橋本社長の覚悟はぶれることなく、収益体質は着実に強化され公約である2年でV字回復した。

    (「日経ビジネス」2022年11月21日「沈まぬ新日鉄」を参照)

2023年3月期の上場企業の従業員の平均給与前期比3%増の732万円と過去10年間で最大の伸び率だった。デフレからの脱却の兆しが見え始め、コストダウン型から高付加価値型にするため、人材への積極投資に動く企業が増え、堅調な企業業績を追い風に政府の要請も賃上げを後押しする。因みに、日本製鉄は従業員の惜しみない協力と努力に報いるとの趣旨で、東京プライム上場企業の中で伸び率トップだ。何兆円の利益を上げようと、下請けのコストや従業員の賃金を削り自社の含み益にしてきた企業だけでは日本経済は沈没してしまう。

日本のマスコミは揃って「値上げラッシュが家計を直撃」と報じているが、下請け企業が原料高を転嫁できず厳しい経営を強いられ、従業員の賃金が上げられずにいたのをどう見るのか。橋本社長の構造改革が日本のデフレ経済の硬直化を打破し、好循環を生み出す新たな兆しであったと思える。加えて、ロシアのウクライナ侵攻以降のインフレによる原料高に対し、値上げ交渉の道を開いたともいえよう。こうした企業が更に増え、日本経済の活性化につながることを期待したい。

日本製鉄を投資家がどのように判断するかは市場に委ねるしかないが、株価は20年4月につけた安値798円を底値に、今年9月20日には3,816円を付け上場来高値を更新した。実に、安値から3年半で約4.5倍になったことになる。それでもPERは7倍強で依然として割安感は台頭、配当は150円。

※情報は筆者の個人的意見で、投資行動は自己責任でお願いします。

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