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雨が涙にかわるとき

10月8日 14時37分
母が永眠しました

その日、息子の勤務先に
入居する面談があった。

母の唇のひびケアとボディミルクを買い持ち物に母の名前を書いた

母のいる施設から5分もかからない場所でお昼を食べ始めたとき、施設から
心肺停止の連絡がはいった。
すぐに施設に行った。

母がエレベーターで降りてきた

救急隊の方が蘇生をしてくださっている光景が目に入った

母よ!
神様のお迎えが来た時
『もうじき、娘がくるから、まだいかない!!』
だから
【いやだ!】って言ってくれたら良かったのに!
最後くらい、わがまま言ってくれたら…
  
午前中お風呂に入って
お昼ミキサー食を食べたとのこと。
綺麗にしてもらって、
ご飯も食べて良かったね。

すべて終わり葬儀屋さんに送ってもらう。

父、息子と夫が先に帰り
お迎えの布団の用意をして自宅で待機。

施設に行く時は、父と一緒
施設から帰る時は、私が隣
で帰りたいと希望した。

母はカバーされて顔が見えないけど、
自宅に到着するまで、手を添える私。

  【着いたよ…】
  【おかえり…】

布団に横たわる母は、
優しい顔のまま。
痩せてしまったから、
顔は変わっちゃったけど
亡くなった祖母そっくりだ

そんな姿を見て
気丈に振る舞っていた私の涙腺が崩壊した
「もう、我慢しなくていい?」


自宅に戻るとまた涙。

母は長年の鬱も患い
認知症と診断されてからの8年間、母への思いがすべて噴火した気持ちが涙となった。

涙がとまるまで、主人が優しくハグしてくれた。

ただ…母の耳元で言ってきたことがある
「ママの愛したパパをお世話するからね」
そう約束した。

施設の方々
救急隊の方々
先生方
警察の方々

そして、noteでエールを送って下さった皆様、
暖かいメッセージをくださった皆様、
ありがとうございました。

今後ともよろしくお願いします✨

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