科学が魅力的に見えるゲーム「ハーフライフ2」の端的な感想1
「ハーフライフ2は歴史的なゲーム」だと、すでに多くのメディアやゲーム愛好者が語っている。そう言われる理由は、グラフィックや物理エンジンや世界観、様々な要素を含めゲームの枠組みを広げたからだろう。
私たちは物理的な法則の中で生きている
ハーフライフ2以前にハーフライフ2ほど現実における物理的なモノの動きを再現した作品はなかったと私は思う(いや、私が無知なだけかもしれないが……)。2003年のE3のデモ映像を見てみると、ゲームエンジンによる物理的なモノの動きそのものを強調しているのがわかる。缶がなだれのように落ちてくる場面が印象的だ。
現実の世界には重力や引力など、本当に様々な物理法則が絡み合わさっており、その中で私たちはモノをつかんだり置いたり投げたりしている。ただ目の前のモノを見るだけだけでなく、様々な感覚器官でモノのかたちを捉えたり、空間を把握したりしている。
ハーフライフ2は世界のあり方、人間のモノの見方を、当時の技術でできるだけ再現していて、普段は意識しない「人間の世界(外界)への捉え方」を呼び起こしてくれるのだ。これは新鮮な体験だ。
普段から一々つかんでいるモノを離したら下に落ちるぞ!とかモノを思いっきり投げたら放物線を描いて飛んでいくぞ!とか考えないが、ハーフライフ2では物理エンジンに則った「物理エンジンパズル」や「重力銃を用いた攻撃方法」が盛り込まれており、モノのつかみ方やモノの飛び方に意識を集中させないといけない。
ハーフライフ2を一通り遊び終えたあと、現実で皿洗いやらゴミ出しやらをしていると、感覚がまだ残っているのか「このぐらいの小さい物体なら自分の腕力であればあそこまで飛ぶな……」とか考えてしまう。テトリスのやり過ぎで街の建物を脳内で組み合わせて消してしまうのと同じだ。
「物理的な法則」と「人間の外界への捉え方」をこれほど意識させるゲームが、当時ハーフライフ2以外にあっただろうか?といまさらながら思う。普段は意識しない透明化された感覚を呼び起こすようなゲーム体験は素晴らしいものだ。
(付け加えておくが「ハーフライフ2が物理学的法則を再現している」といっても、そこにはゲーム内の演出としての誇張があるのはいうまでもない)
2020年には「Half-Life: Alyx」がVR系ゲームとして登場している。同じくバルブ社開発だ。
ここまで読むと、ハーフライフ2は物理エンジンが主題のゲームなのか?と思うかもしれないが、あくまでゲームだから、プレイヤーを楽しませるというゲームの原則に則った形で物理エンジンが活かされている。
科学が魅力的に見える
ハーフライフ2では、味方役でも敵役でも博士たちが活躍する。ジュディス・モスマン博士、イーラン・バンス博士、アイザック・クライナー博士、ウォレス・ブリーン博士、アーン・マグニッセン博士等々である。主人公のゴードン・フリーマンも博士だ。これほど博士が登場するゲームは珍しい。しかも皆しっかりと活躍する。ちなみに初代ハーフライフでは研究所が舞台だったから、序盤は研究者がたくさん出てくる。
アリックス・バンスは博士ではないが、機械の扱いにとても長けていて頼れる存在だ。
クライマー博士が隠れみのにしている研究所では、ハイテクノロジーな装置がたくさん置いてあり、ブラック・メサ・イーストの研究所でも、シタデルのブリーン博士の書斎でも同様だ。ハーフライフの世界では敵・味方関係なく科学が重要視されている。プレイしていると科学が身近に感じられるようになるのは、とてもいい体験だ。
ドロップシップやガンシップをよく見ると、身体に機械が組み合わさっていて、科学とエイリアンが共存している。科学が存分に活かされているわけだが、ただ、この共存が「平和的」であるかは人によって意見が分かれるところだろう。少なくとも重火器を搭載している上記の生命体は、非平和的なかたちで、つまり暴力的なかたちで科学が活かされている。科学が人類に奉仕するかは、その装置の開発者たちと利用者たちの思想に依拠している。
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