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今日と言う日

hananosuさんからイラストをお借りしました。

今日は、篠笛のお稽古の日だった。
相変わらず、下手ではあるけれど、随分と肩の力が抜けて来た。
以前は、音を出すことだけで必死だったけれど、今は、楽しめるようになってきたからか?リラックスし始めた。いい傾向だと思う・・笑

さて、今日は早めに家に戻ったら、リビングの窓が開いたまま「主」は留守だった。時々、やってくれる。どろちゃんがはいったらどうするのか?
大丈夫だとは思う。我が家の前の家は、道路側全面ガラス張りの家で、なぜか我が家や前を通り過ぎる人をチェックしているから。
定年退職されたご主人と奥さんが、いつも家に居て
「いつも見張ってますよ~」と関西弁で、笑顔で挨拶される。ありがたや~。ん?

☆彡

帰宅後、弟に用事で電話をかけたら……
その時、思いもかけない私にとっては、随分待ち望んだある遠縁の夫婦が
弟の家を訪たことが分かった。その理由も。それで口論となったのだけど。

弟とは全く話がかみ合わないので、直接その遠縁の夫婦に電話。
いつか長年私が胸に秘めているある話をしたくて、はや30数年が過ぎた……
何と気の長い話かと思わるかもしれないが、色々と複雑で、私はとにかく
黙ることで事なきをえるよう亡き親から言われていた。一応は、何とか流れていた。が……

私はある面、ものすごく我慢強くて、自分が悪者になっても、時期がくれば
真実は明らかになると思っている人。言えないことも、言える時が来るとも。感情に任せる時もあるけれど、かなり引いて俯瞰して見て、様々な物事に対処する傾向がある。🐢亀~。

この30年の間、2度ほど我慢の限界が来て、その遠縁の夫婦の家に相談で電話したけれど、2回とも留守で、「今は、言わないほうがいいのだ」と話せない思いを飲み込んだ。そう感覚で思ったから。今はその判断はよかったと思う。ご先祖様の計らい?

私が大好きな夫婦でもあるのだけれど、遠く離れているのでなかなか会えなかった。お嫁さんの方は、すごく優しく話の分かる人。
で、今日。やっとそのチャンスが来た!来た~ぁ!
30年間、胸に納めていたことが、すべて繋がっていることをやっとお嫁さんの方に話せた。

何故話せなかったかと言うと、母から強く止められていたから。
母が亡くなった後、一度家まで行って(広島に住んでいる)その夫婦に
きちんと話をしないと、と、思っていたが、なかなかその機会が訪れなかったし、微妙な心の問題を含むことはうかつには話せないと思っていたから。

夕方だったので、ある程度はかいつまんで話をした。その後、お互いに用事が出来たので、お嫁さんから、また都合をみて必ず電話するからと、念を押された。今まで、合点がいかなかったことが、すべて明白になったようだ。

一度家にゆき、その夫婦と対面をしてきちんと話さないといけないと
今は思っている。やはり人の様々な想いと言うのは、きちんと向き合わなければ理解しずらいものがある。視線、息遣い、声などで、相手の本当の心はわかるはずだ。

向こうから来るのが本当は筋なのだけれど、その夫婦の親族の問題でもあるから、ただ今、私は娘家族が一時帰国しているし、5月になるとシドニーへ一緒に行く。もう一度電話で話して、帰国してから、きちんと話をしたほうが良いと思う。

私は良い人でいたいわけではない。良い人でいようとも思わない。
私の事を嫌いだと言う人はそれでいい。私は私だからだ。
私はただまっすぐ生きているだけだ。

若い頃は、ストレスで押しつぶされそうになったり、壊れそうになったりしたが、今は随分、強くなってきた。それでも人間だから、私の事を心底理解してくれる人が欲しくなる。時には泣かせてほしいとも思う。なかなか……ね。そういう時は、ミスタービーンやコメディをみて笑う。いい薬だ。

ここに書けない様々なことがあった。何故そのようなことになったのか?その張本人の心理の奥深いとこの傷が見えすぎていえなくなってしまっていた。心の傷か深いほど、本当はピュアなのでもある。

人間は、どんな人にもその人にとって開けられない扉があるらしい。
たとえ開ければ楽になるのに、開けたくない扉もあるのだ。
そこを無理にこじ開けてはいけない。
本人自ら開けることが出来ればいいのだと思う。

私にもある。その扉。開けたらどうなるのか……。
試していないのでわからない。

人間の心理は、本当に深いし複雑である。
たとえ親兄弟でも血を分けた子どもでも、DNAが繋がっている親族であっても、皆同じ心理ではない。

身内や親族だけで話をするより、第三者の専門家にはいってもらうというのは、冷静に客観的に判断ができるのでいいと思う。日本はまだ遅れている?!

今日は、電話が終わったあと、思わず、バンザーイ!と手を挙げた。
やっとこの日が来た~。やっと。
これからどうなるかはわからないけれど,「賽は投げられた」
やるしかない!

今日と言う日は、何かが変化し、始まる日だと感じた私です。 

今、しんどくて我慢している人は、いつかなにもかも言える時が来ます。
それを信じて。 

ありがとうございます。