n-buna楽曲は嘘の言葉で嘘つきを嫌悪し、音楽で本当を語る

私はn-bunaさんのボカロ時代の曲が好きだ。純粋に好きだ。もう何年も何千回も聴き込んでいる。

n-bunaさんの作る創作物について、自分なりに少し考えられるようになるまで精神が成長したため、彼の作る楽曲について普遍的に感じたことを書いた。
心で文章を書いているので言葉が足りなかったり文がおかしいところが多々あると思います。

※注意書き
今回はヨルシカの曲はほぼ思考に入れていません。
この記事の中での「彼の曲」という言葉はすべて「ボカロ時代のn-bunaの曲」という意味で使っています。


「嘘つき」について

n-bunaさんの書く歌詞はきっと嘘つきで、言葉というものを上手く使えはするけど一番信用していないという所も実のところあるんじゃなかろうか。


n-bunaさんの創作では、「嘘」や「本音を誤魔化すこと」についてたびたび言及されている。

本当のこと
隠したこと
何も言わないままじゃ嘘だ
口に出せばそれだけ辛いから僕は今日も嘘をつく、
狼少年だ

三月と狼少年 / 月を歩いている より

楽しそうだったら笑った振りして
辛いことがあってもふざけた振りして
絵本の中の僕みたいに生きて行けたら
それが出来たら訳ないよ

泣いた振りをした / 月を歩いている より


・本当の気持ちを隠して言わないこと
・別の言葉を選ぶこと

が、n-bunaさんの「嘘つき」の条件かと見える。
そして、n-bunaの歌詞はそんな自分を嫌い、同時に綺麗事や斜に構えた姿勢などの自分以外の「嘘つき」に対しても軽蔑を示す。これはたぶん同族嫌悪なんだと思う

現代小説の主人公が
やれやれとニヒルを気取っていた
ちゃらけたゴシップだ、ニュースだ
どっちが嘘つきなんだって思わないか!

(省略)

愛で世界が変わるもんか
寂しいなど人に言えるもんか
そんな嘘つきが心の中悲しいと
毒を飲んでるんだろう

三月と狼少年 / 月を歩いている より

綺麗事に透けて見える嘘に敏感で傷つきやすく、同時に自分も嘘つきであることに苦しみ自嘲している。それでも臆病だから自分の気持ちを言うことはできない。

「矛盾だらけの自分をなんとなく理解しつつも変えることはできない」という葛藤をn-bunaさんの詩はいつも抱えている気がする。

・n-bunaの書く歌詞は言葉を信頼していないという仮説

n-bunaさんの歌詞の上では、言葉は嘘である

これは私が勝手に言い出したことで、完全に妄想だ。
彼が「言葉なんて全部嘘です」と名言した文献から引っ張ってきたわけでは無い。ちょっと言いそうだけども。

彼自身が嘘つきという意味ではなく、彼が書く歌詞は本当に基づいた嘘の言葉たちで作られている、と私は考えている。
この妄想は私がn-bunaのボカロ曲を何年も何年も、耳が腐るまで聴いた中で確信を持って作り上げた妄想だ。少なくとも当時の彼の歌詞はそういうスタンスだったのではないかと信じている。

言葉では嘘しか伝えられない。n-bunaさんに限らず、人間は言葉では「本当」にたどり着けないものなんだと思う。「本当」は主観で感じることしか出来ないからだ。外に向けて表現しようとした途端に表現に使った材料は偽物、仮置きの存在、嘘になってしまう。
でも、嘘の輪郭を固め抜いて、本当の周りをぐるぐると回り続けて消去法的に残った部分が唯一本当だとわかるような、言葉はそういうものだと思っている。

彼が詩人ではなくコンポーザーなのは、それが理由ではなかろうか。「本当」を表現したいとき、彼は音楽でそれを伝える。
彼の曲の歌詞は、言葉に対するマイナスな感情の言及こそ多いけど、音楽に対するマイナスな感情の言及はほぼない。心のままに歌を歌う、音楽を奏でるという描写があるくらいで、言葉が嘘だとしたら音楽はいつも本音の描写を担当している。
これは勝手な私の信条、というか強く信じていたいことなんだけど、音楽は嘘をつかない。


だから、彼が言葉で音楽への愛情を必要以上に語らないのもすごくわかる。彼の音楽に対する信頼や愛は、ほぼ音楽だけで語られている。
その愛情がどれくらいなのかは音楽を聴けばすぐにわかる。
何より私は、n-bunaさんの言葉も好きだけれど、音楽自体が最も好きだ。曲の構造から音作りまで、彼の心根が言葉とか論理では表せないところで心に良く響くように作られた音楽だと思っている。上手い。作曲が上手い。

※ヨルシカ時代の「だから僕は音楽を辞めた」「エルマ」では音楽こそ真だとするような感じの歌詞がたくさんあるが、これはエイミー/エルマが言っていることであって、n-bunaさんが言っている訳では無いと解釈している。
「音楽こそ真」というのをわざわざn-bunaさん自身が安直に語るか?という疑問があるためだ。エイミー/エルマの物語だったからこそ、彼らの信条である「音楽こそ真だ」を歌詞で言う必要があったのではないか。
彼の音楽についての本当の信条は彼にしか分からないが、それはそうとして私の目には言葉を嘘、音楽を本当のこととして扱っている構図が見えた。

嘘の言葉で相手の本当を浮き上がらせ、音楽で自分の本当の愛を伝える手法を取っている。

この呼吸の駄賃は
君の全部か 想い出か 嘘つきのあだ名か

(省略)

口だけの代償は 人でなしの心だ

ボロボロだ / n-buna

色々訳が分からなすぎる上に言葉によってタコ殴りにされ、ボロボロに壊れた今の心では立ち直れるものも立ち直れない。立ち上がる体力すらもうない。どうしてこうなってしまったか分からないし、どうしたらいいかも何も見えない。
無条件の自己肯定をボロボロにされて無気力になる。
でもそれだと生きていられないから、呼吸に意味を求め始めて、終わりのない迷路に迷い込む。

不完全の責任を言葉によってボコボコに責め立てられてもはや立ち上がる力もなくなってしまう、というのは割とどんな人にも起こり得る事だが、実際に体験するととても苦しい。
n-bunaさんの歌詞は、そういう本音を嘘の言葉たちで浮き上がらせるのがとても上手い。その上で最高の音楽が心を抱きしめて寄り添ってくれるから、傷の痛みが少し和らぐ。

ボロボロの心が一つじゃ わかんないよ

ボロボロだ / n-buna

言葉に傷つき言葉に救われ、言葉に呪われた人。
でも同時に音楽を愛し音楽に愛された人。
それがボカロP、クリエイターとしてのn-bunaなのではないだろうか。

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