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東海林直人のゴロテマ日本史◇近世12(本多利明~五街道関所)*

◇近世§111.本多利明の覚え方(開国思想の先駆)◇C

[ゴロ]年明けホンダに/世紀モノの/秘策
本多利明(ほんだとしあき))(西域物語)(秘策) 

[句意]ホンダは年明けに世紀モノの経営秘策がでる、という句。「年明け」は『本佐録』の著者本多正信との区別のため必要です。この「世紀モノ」は「世紀の大事件」という意味です。「ホンダ」は自動車のホンダ社などをイメージして下さい。

[point]
1.本多利明の主要著作は『西域物語』『経世秘策』。
[解説]
1.本多利明は18世紀末の経世家。『西域物語』(1798)で、世界情勢からみて海国日本にあっては開国交易が急務であると説く。とくに蝦夷地を開発し、カムチャツカ進出を提唱している。西域とは西洋の意で、開発の手本を中国から西洋に転換せよと主張。享保の改革時の勘定奉行神尾春央(かんおはるひで)が『胡麻の油と百姓は絞れば絞る程出(いず)るものなり』と述べたと同書中で批判している。
2.また『経世秘策』(寛政10年(1798年)ごろ成立)で四大急務三慮策をあげ西洋諸国との交易、国内開発、金銀採掘など富国策および海防の必要を説き、開国思想の先駆となる。

2019早稲田大・文化構想2/12:「
問7.下線e多くの知識人が、対外政策のあるべき姿を論じたに関連して述べた文のうち誤っているものはどれか。2つ選べ。
 ア.西川如見は『蘭学階梯』を著し、日蘭関係の歴史と今後のあり方を論じた。
 イ.林子平は『海国兵談』を著し、長崎に限定しない沿岸防備の重要性を説いた。
 ウ.本多利明は『経世秘策』を著し、開国交易や蝦夷地開発による富国策を説いた。
 エ.渡辺華山は『慎機論』を著し、モリソン号事件における幕府の対応を批判した。
 オ.佐藤信淵は『華夷通商考』を著し、開国と対米貿易の必要性を論じた。」
_________________
(答:問7ア×蘭学の入門書、オ×佐藤信淵→西川如見)〉

2017法政大・済現福社2/9:「
B.……日本は海国なれば、渡海・運送・交易は、固(もと)より(b)国君(こくくん)の天職最第一の国務なれば、万国へ船舶を遣りて、国用の要用たる産物、及び金銀銅を抜き取(とり)て日本へ入れ、国力を厚くすべきは海国具足の仕方なり。                     
問4.史料Bに関する次の文章の[①~④]に入る語句として、最も適切なものを下記のア~サから選び、その記号を選べ。
 史料Bは、[ ① ]が1798年に著した[ ② ]の一部である。この時期になると、封建制の維持あるいは改良を説く現実的な経世思想が活発になった。商売をいやしめる武士の偏見を批判し、藩財政の再建のためには商品経済の発展をもたらす殖産興業が必要であることを説いた[ ③ ]や、『経済要録』などを著した[ ④ ]も経世家として知られる。
 ア.海保青陵 イ.富永仲基
 ウ.荻生徂徠 エ.本多利明
 オ.藤田東湖 カ.佐藤信淵
 キ.『経世秘策』 
 ク.『農政本論』
 ケ.『柳子新論』 コ.『新論』
 サ.『稽古談』
問5.史料Bの下線部(b)は、ここでは「将軍」を意味するが、具体的にだれを指すことになるのか、下記のア~オから選び、その記号を選べ。
 ア.徳川家斉 イ.徳川家茂
 ウ.徳川慶喜 エ.徳川家慶
 オ.徳川家定」
_________________
(答:問4①エ、②キ、③ア、④カ、問5ア)

2016慶応大・商AB方式:「
 学問の分野では、都市や地方の生活をふまえて、封建制度の維持や改革を提唱する[ 23 ]とよばれる思想家の活動が活発化した。[ 24 ]は、商売をいやしめる武士の偏見を批判して、藩財政の再建は商品経済の発展によってもたらされるべきであると主張した。[ 25 ]は『経世秘策』を著し、西洋諸国との交易や蝦夷地開発による富国策を説いた。」
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(答:23経世家、24海保青陵、25本多利明 ※原問には65選択肢あり)

2016立教大・済コミュ福観光:「
問10.これ儒学は広く研究されるようになったに関する記述として正しいのはどれか。次のa~dから1つ選べ。
 a.古学派の山鹿素行は、『聖教要録』を著して朱子学を批判した
 b.本多利明は『経済要録』を著して、経世論にもとづく富国策を説いた
 c.山崎闇斎は『論語古義』を著して、朱子学と神道を結びつけた垂加神道を唱えた
 d.陽明学を学んだ熊沢蕃山は、『中朝事実』を著して幕政を批判した」
_________________
(答:a○ b×本多利明→佐藤信淵、c×山崎闇斎→伊藤仁斎、d×熊沢蕃山→山鹿素行)〉

2014立教大・現心コミュ福観光営:「
 こうした矛盾を内包したまま、次第に列強の接近への対応が政治課題として浮上すると、経世論の主張は重商主義的な色合いを強めていった。たとえば、[ い ]は『経世秘策』を著し外国貿易による富国策の必要性を、また9佐藤信淵は産業の国営化と貿易による振興策の必要性をそれぞれ説いた。
問8.ロシアによる接近に関する出来事a~dのうち、もっとも古いものを年代順に示せ。
 a.ゴローニン事件 b.プチャーチン来航
 c.ラクスマン来航 d.レザノフ来航」
問9.この人物佐藤信淵の著作でないのはどれか。次のa~dから1つ選べ。
 a.宇内混同秘策 b.経済要録 c.西域物語 d.農政本論
_________________
(答:い本多利明、問8cdab、問9c×本多利明著)〉

2013法政大・法国際文化キャリアデザイン:「
 下線部a~cのなかから正しくないものをそれぞれ一つ選べ。なお、下線部a~cがすべて正しい場合には、dを選べ。
問5 日本沿岸の防備の必要性については、aロシアの使節が来航するようになる以前から、すでに林子平が『海国兵談』において説いていた。そうした対外警戒論の一方で、b本多利明は『西城物語』『経世秘策』を著して貿易振興の必要を説き、c佐藤信淵も『経済録』において貿易の拡大を主張した。
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(答:a〇、b〇、c×『経済録』は太宰春台、佐藤信淵著は『経済要録』)〉

◇近世§112.貝原益軒の覚え方(大和本草)◇B

[ゴロ]洋上の/カピバラ危険と/ヒナ親(おや)同士が/(や)めと奔走
養生訓)(貝原益軒(かいばらえきけん))(1708年刊・和俗童子訓(わぞくどうじくん))(大和本草(やまとほんぞう))

[句意]「海洋上のカピバラは危険だ」とヒナの親鳥同士が「飼うのを止めろ」と奔走している、というナンセンスの句。河川に棲むカピバラだが、海に進出したそれが凶暴化して危険だという状況です。

[point]
1.貝原益軒は、『大和本草』(1708年)、『和俗童子訓』を著した。
[解説]
1.貝原益軒福岡藩の儒者・本草学者。実証的かつ平易に庶民への啓蒙に努めた。本草学は本来、薬のもとになる薬草を研究する学問。益軒の大著『大和本草』(25巻)は1708(宝永5:綱吉代)年刊。1362種の動植物・鉱物の名称、起源、形状、効用などを体系的に分類説明しており、博物学ともいうべき書物。
2.その他、日本初の本格的教育書といわれる『和俗童子訓(わぞくどうじくん)』(1710(宝永7:家宣代)年刊)。同書巻5「女子ニ教ユル法」を享保時代の出版者が女子用の教訓書として通俗簡略化したものが『女大学』。同書が男尊女卑の考え方を流布させたとされる。
3.長寿のための指南書『養生訓』(1712)も著す。

2020学習院大・文2/9:「
問3 下線部③に関して、宮崎安貞は、貝原益軒やその兄楽軒とも交友があり、楽軒は『農業全書』の補訂なども行っていた。明代の『本草綱目』をもとにして、貝原益軒が書いた本草書の、書名を記しなさい。なお、本書に載せられている本草は、あわせて1362種にも及ぶ。」
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(答:問3大和本草)〉

2020中央大・法2/12:「
問12 下線部⑩実学に関する次の説明のうち、正しいものにはイ、誤っているものには口を付しなさい。
 a 本草学の分野では、貝原益軒が『大和本草』を著した。
 b 和算の分野では、関孝和が『塵劫記』を著した。
 c 天文・暦の分野では、渋川春海が貞享暦をつくった。」
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(答:aイ、bロ関孝和→吉田光由、cイ)〉

2020立命館大・全2/1:「
問j 下線部⑥「三従」に関連して、『和俗童子訓』を著し、女子三従の教えを説いた儒学者は誰か。もっとも適切な人名を答えよ。」
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(答:問j貝原益軒)〉

2020関西学院大・経済国際総合2/4:「
問6.下線部f農書の事例として適切な、著者と書名の組合せを下記より選びなさい.
 ア.大蔵永常-『広益国産考』
 イ.貝原益軒-『養生訓』
 ウ.塙保己一-『群書類従』
 エ.佐藤信淵-『経済要録』」
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(答:ア〇 ※イ以下はいずれも著者と書名の組み合わせは正しい。イ貝原益軒著『養生訓』は農書ではない長寿のための健康法書、ウは古文書収集の一大叢書、エは経済書)〉

2017南山大・人文2/10:「
 日光は、庶民が通行手形を受けるには社寺参詣を目的としなければならなかった時代にあって、物見遊山を兼ねた旅先として人気の観光地であった。元禄期を中心に教育・歴史・本草学など幅広い分野で活躍した[ C ]が刊行した『日光名勝記』は、日光の旅の魅力を伝えるガイドブックとして広く読まれ、幕末まで版が重ねられた。」
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(答:C貝原益軒)〉

2016立教大・文:「
 江戸時代には『大和本草』の著者として知られる儒学者( 口 )が著した『和俗童子訓』をもとにして書かれたと推測される女訓書などで、舅姑や夫に従順な女性像が推奨されていた。しかし、さくの人生はそのような女性像とは必ずしも一致していない。」
_________________
(答:貝原益軒)〉

2014立教大・法経済異文化コミュ:「
 彼女の演説内容は、貝原益軒の著作をもとに執筆された女性の心得を説く書物として、江戸時代に広く用いられた『( チ )』を批判し、女性の学問の必要性や結婚における自主性を訴えるものであった。」
_________________
(答:女大学)〉

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