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東海林直人のゴロネコ日本史(2) ~ゴロネコ日本史300改訂版🐱‍💻~

1582 太閤検地(天正の石直し)はじまる(7月)A38

[ゴロ] 以後パーになる/土豪分
[句意] 土豪層が村落内で有していた下級領主としての収益権が否定された、という句。[解説] この年、山城で検地を行ってから統一事業の進行につれ全国に拡大した。太閤(たいこう)検地は指出(さしだし)検地ではなく、豊臣秀吉配下の検地役人が村々に出向き、実地測量する検地であった。

1585 惣無事令でる D13

[ゴロ] 秀吉が/以後バッコンの/惣無事令(そうぶじれい)
[句意] これ以後は、大名間の私戦は秀吉様がバッコンとたたくぞ、自由にさせない、という句。
[解説] 関白秀吉は大名間の領土紛争を私戦として以後禁止するという、いわゆる惣無事令を発布した。天下の領土紛争は天下人たる豊臣家が裁定するとしたっもの。

1587 バテレン(宣教師)追放令でる(7月)B39

[ゴロ] 国外へ/以後放て/バテレンを
[句意] 以後国外へ放逐しろ、バテレンを、という句。
[解説] 豊臣秀吉は、長崎教会領の寄進や、ポルトガルによる日本人の奴隷売買を知り、宣教師の国外追放を命じ布教を禁止した。しかし貿易は奨励したので、侵入は止まず不徹底に終わった。

1588 刀狩令でる A39

[ゴロ] 以後刃(は)抜けぬ/土豪たち
[句意] 武器を失って土豪たちは刃(やいば)を抜くことが出来なくなった、という句。
[解説] 一揆に手を焼いた豊臣秀吉は刀狩令を出し、土豪・国人など在地地主層を武装解除し、農民身分の固定化を図ったもの。

1590 秀吉の全国統一(小田原征伐)なる B40

[ゴロ] 東国オッケー/小田原で
[句意] 東国方面平定は小田原攻略で終了した、オッケーだ、という句。
[解説] 豊臣秀吉は四国・九州を平定したあと、全国統一に抵抗する北条氏政・氏直親子を小田原城に滅ぼした。

1591 身分統制令(人掃令)でる C33

[ゴロ] 百姓とは/以後悔いのこす/土豪たち
[句意] 早く大名の家臣にでもなっておけば良かったよ、百姓身分に落とされるとは、という句。
[解説] 身分統制令は兵農分離策の法令で、武士に仕える武家奉公人が町人や農民になることや、農民が移串云したり町人になることを禁止した。これにより在地の土豪・国人層は、再び農民に落とされた。

1592 文禄の役(壬申倭乱)おこる C34

[ゴロ] 戦国に/終わり無しで/半島へ
[句意] 国内は平和になったが、まだ戦国時代に終わりは無いとばかりに半島侵略へ、という句。
[解説] 豊臣秀吉は朝鰍こ、入貢と明国遠征の先導役を求め拒否にあうと、大軍を朝鮮に送り戦争となった(文禄の役)。朝鮮義兵の抵抗や李舜臣(イスンシン)がひきいる朝鮮水軍、さらに明の援軍に苦戦したため、明と休戦。

1597 慶長の役(丁酉(ていゆう)倭乱)おこる C35

[ゴロ] 肥後も苦難/て言う(=丁酉)/慶長役
[句意] 虎退治で有名な肥後の大名加藤清正も、慶長の役では今度ばかりは苦戦したということだ、という句。
[解説] 明使沈惟敬(シンイケイ)や小西行長の画策で、講和条件が思うにまかせず豊臣秀吉は再び出兵した(慶長の役)。しかし、日本は苦戦を強いられたので、秀吉の病死を機に全軍が撤退した。

1600 オランダ船リーフデ号の豊後漂着(3月)C36

[ゴロ] 長旅の/疲労大きい/リーフデ号
[句意] 長旅の疲労が大きかったろう、リーフデ号の皆さんは、という句。
[解説] この年、オランダ船リーフデ号が豊後沖に漂着した。徳川家康は乗組員のイギリス人ウイリアム=アダムス(三浦按針(あんじん)、オランダ人ヤン=ヨーステンを外交顧問とし、西洋事情を知ることになった。

1600 関ヶ原の戦いおこる(9月)A40

[ゴロ] 両軍は/疲労を押して/関ヶ原
[句意] 東西両軍は、強行軍で関ヶ原へ移動したので疲れたろう、という句。
[解説] 五大老の筆頭徳川家康は、秀吉没後、石田三成らとの対立が探まり、この年、関ケ原の戦いで石田方の西軍を破り、支配権を確立した。

1603 家康、征夷大将軍となる A41

[ゴロ] 家康は/ヒーローおさえて/大将軍
[句意] 家康は、多くの戦国の雄を制して天下人となった、という句。
[解説] 「天下分け目の戦い」といわれた関ケ原の戦いに勝利した徳川家康は、この年、征夷大将軍となり、江戸に幕府を開いた。

1604 糸割符制はじまる B41

[ゴロ] ポルトガルの/色を閉めだす/糸割符
[句意] ポルトガル色を廃し、日本側に主導権を奪うための糸割符だ、という句
[解説] この年、京都・長崎・堺の商人に糸割符仲間をつくらせ、一括購入で生糸の価格決定権をにぎり、ポルトガル商人による独占を排除した。これより幕府による貿易統制は一段と進む。

1615 大坂夏の陣(5月)B42

[ゴロ] ヒーロー東国/夏の陣
[句意] ヒーローすなわち勝者は夏で暑さに弱いはずの東国中心の徳川勢だ、という句。
[解説] 徳川家康は、豊臣秀頼が建てた方広寺の鐘銘に「国家安康、君臣豊楽」とあるのを家康を呪うものだと決めつけ、口実として大坂冬の陣をおこし、翌年の大坂夏の陣で豊臣氏を滅ぼした。

1615 武家諸法度(元和令)でる A42

[ゴロ] 広い御法度(ごはっと) げんなり(=元和令)だ
[句意] 取り締まりの事項が多岐にわたるので、大名たちはげんなりした、という句。
[解説] 大坂夏の陣のあと、幕府は金地院崇伝に作成を命じ、武家諸法度(ぶけしょはっと)を定めた。大名統制の基本法とした。

1624 イスパニア船来航禁止 B43

[ゴロ] 異論に閉めだせ/イスパニア
[句意] イスパニア(スペイン)の幕政となじまないのカトリックという思想を、シャットアウトした、という句。
[解説] 中国船以外の貿易港を平戸・長崎に限る措置につづき、イスパニア船の来航を禁止した。

1627 紫衣事件おこる(~29)C37

[ゴロ] 紫の/色に悩んだ/沢庵(たくあん)さん
[句意] 袈裟(けさ)の色に悩まされた、沢庵さん、という句。
[解説] この年、朝廷による高僧への紫衣(しえ)勅許を、幕府が無効とした。それに抗議した大徳寺の沢庵らが処罰された(紫衣事件)。

1633 奉書船以外の日本船渡航禁止 B44

[ゴロ] 許可取りに/疲労散々/奉書船
[句意] 奉書を入手する困難さを句にした。
[解説] 禁教令にもかかわらず殉教者や潜入しようとする宣教師があとを絶たないので、朱印状に加えて、老中が許可した奉書をもたない日本船の海外渡航を禁止した。

1635 日本船の渡航禁止(5月)C38

[ゴロ] 居ろ!みごと/置き去り/日本人
[句意] この措置により、海外にいた日本人が無情にも置き去りにされたことを踏まえた句。
[解説] この年、奉書船が廃止され、日本人の海外渡航および帰国も全面禁止された。

1635 武家諸法度(寛永令)でる(6月) B45

[ゴロ] 一路参交/お江戸まで
[句意] 大名は、一路お江戸をめざして、参勤交代だ、という句。
[解説] 3代将軍家光は武家諸法度の元和令を改定した。寛永令では新たに、大名が1年おきに参勤交代を行うことを義務づけた。

1637 島原・天草一揆(島原の乱)おこる(~38) B46

[ゴロ] ヒーロー皆が/キリシタン
[句意] 島原の乱のヒーロー皆がキリシタンだった、という句。
[解説] キリシタン大名小西・有馬両氏の旧領で、領主の圧制に対する農民の大規模な一揆がおこった。本質は百姓一揆だが、多くがキリシタンに再改宗していた。島原・天草一揆(島原の乱)という。

1639 ポルトガル船の来航禁止(鎖国完成)A43

[ゴロ] 江戸時代/一の無策が/鎖国令
[句意] 日本の進歩に大きなブレーキをかけた一番の無策だ、という句。
[解説] 島原・天草一揆に驚いた幕府は、禁教を徹底させ、ポルトガル船の来航を禁じ、ここに中国・朝鮮を除く外国貿易におけるオランダおよび幕府の独占体制(鎖国)が完成した。

1640 寛永の大飢饉(~43)D14

[ゴロ] 広し冷害/干ばつ/寛永飢饉
[句意] 広く全国に冷害や干ばつの天候不順がつづいた、という句。
[解説] 1630年代から1640年代に東アジアは異常気象に見まわれた。1937年の島原の乱とともに幕府の農政改革をうながした。

1641 オランダ商館を出島に移す B47

[ゴロ] オランダは/色よい返事で/出島入り
[句意] オランダは日本貿易の独占を果たした。だから狭い出島に入ることも甘受した、という句。
[解説] この年、オランダ商館を平戸から長崎の人工島の出島に移し、長崎奉行に厳しく監視させた。

1643 田畑永代売買禁止令を定める A44

[ゴロ] 重労死罪(じゅうろうしざい)の/永代(えいたい)売り
[句意] 「重労死罪」は重い罪になるとの意。実際は売り主は追放、買い主は入牢だった。
[解説] 田畑永代売買禁止令は田畑の売買を禁止して、農民の没落と階層分化を防止することをねらった法令。

1651 末期養子の禁緩和(由井正雪の乱)B48

[ゴロ] 廃藩の/色濃い不満が/由井の乱
[句意] 末期養子の禁により廃藩された浪人たちの不満が由井正雪の乱(慶安の変)を生んだ)
[解説] 3代家光から4代家綱への将軍代替りに、兵学者の由井正雪らによる幕府転覆の計画が発覚し、失敗に終わった。

1663 殉死を禁止する D15

[ゴロ] バカ殿の/遺老無残な/殉死の禁止
[句意] 残された老臣がバカ殿の死に殉ずるのは無残だ、というナンセンスの句。
[解説]

1669 シャクシャインの乱 D16

[ゴロ] 苦難のアイヌに/ヒーローむっくり/シャクシャイン
[句意] 苦難にあえいでいたアイヌにシャクシャインというヒーローがむっくりと現れた、という句。
[解説] 松前藩による商場知行制の下、アイヌは交易の自由を奪われた。これに対する不満の爆発がシャクシャインの乱(シャクシャインの戦い、1669年)である。このシャクシャインの戦いで敗れたアイヌは、完全に松前藩に服従させられた。

1673 分地制限令でる A45

[ゴロ] 色んな道なし/分地令
[句意] 色んなパターンでの分割相続が出来にくくなった、という句。
[解説] 分地制限令は経営規模の零細化によって農民が没落することを防ぐために出した。分地したあとの石高が名主で20石、百姓が10石以下になることを禁じた。
※C39は欠番(慶安の御触書)はその存在が疑われているので抜いた。

1685 生類憐れみの令のはじめ C40

[ゴロ] イヌ・ロバ殺すな/憐れむ令
[句意] イヌやロバを殺すなと憐れむ令だ、というナンセンスの句。
[解説] 5代将軍綱吉は戌年(いぬどし)生まれで、極端に動物とくに犬愛護を強制し、生類憐みの令を出す。人々を苦しめ犬公方と称された。綱吉の死後6代将軍家宣によりようやく廃止された。

1690 湯島聖堂できる C41

[ゴロ] 広くおごそか/新聖堂
[句意] 新聖堂は広くなり、厳かな雰囲気をもつ建物になった、と綱吉が喜ぶ句。
[解説] 初期の徳川綱吉は好学で、林羅山の子信篤(のぶあつ)(鳳岡(ほうこう))を大学頭(だいがくのかみ)に任じて、朱子学を奨励し、孔子を祀(まつ)る湯島聖堂を建てるなど、文治政治を推進した。

1695 荻原重秀の意見で、元禄金銀を改鋳 C42

[ゴロ] 元禄後/国庫補(おぎな)え(=荻原)/改鋳で
[句意] 元禄以降の国庫の赤字は貨幣改鋳で補え、という句。「元」は「第一」の意で、これを数字の「1」とする本ブログ唯一の例。
[解説] 5代将軍綱吉は浪費や明暦の大火による赤字財政立て直しのため、勘定吟味役(のち勘定奉行)荻原重秀(おぎわらしげひで)の策を採用した。すなわち慶長金銀に錫・銅をまぜ、質を落して元禄金銀としその差益(出目(でめ))を幕府収入とし、一時しのぎをした。

1709 新井白石の正徳の治はじまる(~16)C43

[ゴロ] 白石は/非難臆せず/新政治
[句意] 白石は、綱吉の遺言に背き憐れみの令を廃すなど勇気ある政策を採ったことなどからの句。
[解説] 新井白石は6代将軍家宣(いえのぶ)・7代家継(いえつぐ)の侍講(儒学の師)の立場から、側用人間部詮房(まなべあきふさ)と協力して儒教の理想に基づく文治政治、すなわち貨幣改鋳・海舶互市新例・閑院宮家創設などを実践した。

1715 海舶互市新例(長崎新令)でる B49

[ゴロ] 貿易の/以内細かく/新例で
[句意] 貿易額の制限は、どれだけ以内かを細かく新例で規定したよ、という句。
[解説] 長崎貿易で金銀の大量流出がつづいているため、費用がかさんでいた朝鮮通信使の接待を簡素にするとともに、海舶互市新例で来航船数と貿易額に制限を加えた。

1716 吉宗、享保の改革をはじめる A46

[ゴロ] 非難いろいろ/恐怖(=享保)の改革
[句意] 経済政策の多くが必ずしも成功したとは言えない。陰で恐怖を感じた人もいた恐怖の改革でもあった、という句。
[解説] 紀州藩主から8代将軍になった徳川吉宗は享保の改革を実施。新井白石を退け、財政難におちいっていた幕府を再建するため、将軍親政による一連の政治改革、すなわち相対済し令・上米(あげまい)・足高(たしだか)の制などを実施していった。

1722 上米の制を定める B50

[ゴロ] 上米で/どんなに負担?/大名は
[句意] 上米は藩財政に影響が大きいので、各大名が心配している句。
[解説] 8代将軍吉宗が幕府の財政窮乏を救うため、この年諸大名に対して、1万石につき100石の上米(あげまい)を課し、これを旗本・御家人への給付にあてた。代償として大名の参勤交代を緩和した。

1732 享保の大飢饉(~33)D17                    
[ゴロ] 避難民に/恐怖(=享保)の/ウンカの害
[句意] 避難民に恐怖だったのは、ウンカの害だった、という句。
[解説] 悪天候がつづき、西日本各地が凶作に見まわれ、加えてウンカ・イナゴなどの害虫が稲作などに大きな被害をもたらした。

1758 宝暦事件、竹内式部捕(と)らわる C44

[ゴロ] イナゴや!/放れ(=宝暦)/竹団扇(たけうちわ)(=竹内式部)
[句意] あっ、イナゴだ、竹の団扇で放り出せ、というナンセンスの句。
[解説] 垂加神道を修めた竹内式部(たけのうちしきぶ)が、京都で公家に天皇を尊ぶ尊王論と公家の天下の実現を説いたため、幕府により京都を追放された(宝暦事件)。

1767 田沼意次側用人となる(田沼時代)(~86)(7月)A47

[ゴロ] 非難むなしき/田沼の代(よ)
[句意] 積極政治にありがちな賄賂への非難がむなしい、田沼時代だった、という句。
[解説] 9代将軍家重・10代家治の側用人から老中になった田沼意次が政治の実権を握った(田沼時代)。意次は、幕府初期の米中心の自然経済ではなく、商品貨幣経済に即した革新的な政治を行った。しかし、自然災害や賄賂の横行などに災いされ、多くが失敗に終わった。

1767 明和事件おこる(8月)B51
[ゴロ] 非難むなしい 迷惑事件(めいわくやま)(=明和・山県)
[句意] いくら非難しても迷惑な事件だ、という句。
[解説] 「やま」は警察・新聞記者用語で事件のこと。

1774 前野良沢ら『解体新書』を出版す B52
[ゴロ] 名無しの死体で 解体新書
[句意] 無縁仏の解剖を行い解体新書を書いた、という句。ただし直接のきっかけとなった解剖は刑死体。
[解説] 解体新書は日本最初の西洋医学の翻訳書で、ドイツの解剖書のオランダ語訳『ターヘル-アナトミア』からの重訳。訳者は前野良沢・杉田玄白ら。翻訳の苦心は杉田の『蘭学書始』に詳しい。

1782 天明の大飢饉(~87)B53
[ゴロ] 天命(=天明)でも 避難嫌になる(やになる) 浅間山 [句意] 飢饉が天が定めた運命かも知れないが、避難はイヤになる、と浅間山をうらむ句。
[解説] この年の凶作、翌年の洪水・噴火・冷害による大凶作などのため全国的な大飢饉となった。後進地の北関東や東北地方の被害が大きく、19世紀半ばまで人口減少がやまず、農村の荒廃がつづいた。

1787 松平定信、寛政の改革をはじめる(~93)A48
[ゴロ] 定信が 自由な花つむ 寛政政治
[句意] 自由を抑圧する政治だったよ、寛政の政治は、という句。
[解説] 田沼意次の失脚後も社会的混乱は止まず、11代将軍家斉のもとで白河藩主松平定信が老中として、封建的秩序と財政基盤の安定をめざす寛政の改革にのりだした。すなわち異学の禁・棄捐(きえん)令・旧里帰農令などである。

1789 棄捐令でる B54
[ゴロ] フランス革命 棄捐令
[句意] 奇しくも棄捐令は、1789年フランス大革命の年。
[解説] 棄捐令は松平定信が出した、6か年以上経過した古い借金は破棄するという法令。借金に苦しむ旗本・御家人の救済策。札差は大損害で没落。幕臣に金を貸す者がいなくなり、かえって苦しむ弊害も生んだ。

1789 クナシリ・メナシの蜂起 D18
[ゴロ] フランス革命 クナシリ・メナシ
[句意] 奇しくも蜂起は、1789年フランス大革命の年。あえて同じフランス革命の年でくくった。クナシリ・メナシの蜂起は寛政の改革期であることもわかる。
[解説] 極悪非道な貴族ならぬ、商場を支配する非道商人にクナシリ・メナシのアイヌたちの怒りが爆発した。

1790 寛政異学の禁 B55
[ゴロ] 異な学ゼロに 禁止令
[句意] 異学はゼロにする禁止令だ、という句。
[解説] 「ゼロ」は数字として用いているので例外として「6」ではなく「0」。

1791 林子平の『海国兵談』世にでる C45
[ゴロ] 夷難(いなん)食(く)い止め 子平談(しへいだん)(=兵談)
[句意] 夷狄(いてき)(外国)の難を食い止めようと林子平が談話を発表した、という句。[解説] 林子平は『海国兵談』で、北辺海防の急務を説いたが、翌年世をまどわすものとして幕府から処罰された。その地理の書『三国通覧図説』も同時に発禁となる。

1792 ラクッスマン、根室来航 A49
[ゴロ] どんな国から ラックスマン
[句意] どんな国から、ラックスマンは来たんだろう、という句。
[解説] ラックスマンは帝政ロシア初の日本派遣使節。漂流船員大黒屋光太夫らを送還する名目で根室に来航し国交を要求した。しかし、幕府は拒絶した。

1804 レザノフの長崎来航 B56
[ゴロ] 威張り氏レザノフ 長崎来航
[句意] 日本側の非礼に対しての報復だったのだが、彼を威張り氏とした句。
[解説] レザノフは漂流日本人を伴い遣日特使として長崎に来航したが、幕府は鎖国をたてに拒否した。帰路その報復として樺太・択捉島の番所・漁船を攻撃した。北方の緊張は高まった。

1808 フェートン号事件おこる C46
[ゴロ] 長崎に 否応入った フェートン号
[句意] 長崎港へ否応なしに入ったよ、フェートン号は、という句。
[解説] イギリスの軍艦フェートン号が長崎港に侵入し、出島のオランダ商館を襲った事件。ナポレオン戦争中、敵フランスに降伏したオランダの海外根拠地を奪う戦略の一環だった。

1825 異国船打払令(無二念打払令)でる A50
[ゴロ] 外国船 一発ゴンと 打ち払え
[句意] 大砲のゴンという一発で打ち払え、という句。
[解説] 近海に外国船の来航が増加。確乎とした海防方針がない幕府はフェートン号事件などに驚き、この年、異国船は見つけ次第打ち払えという異国船打払令を出した。

1828 シーボルト事件おこる B57
[ゴロ] 伊能図の 違反にはげむ シーボルト
[句意] 国禁と知りながら伊能図の入手に励んだよ、シーボルトは、という句。
[解説] シーボルトはオランダ商館医。鳴滝塾を開き医学を教授しながら日本の歴史・地理の研究を行った。帰国の際、国禁の地図の持ち出しが発覚し、国外追放され、高橋景保らの関係者多数が処罰された。

1833 天保の大飢饉はじまる(~39)C47
[ゴロ] いや耳障(ざわ)りの キンキンテンポ(=飢饉・天保))
[句意] 耳障りなキンキンした音でいやなテンポの曲だ、という句。
[解説] この年は、全国的に低温・多雨の天候で、大凶作にみまわれ、天保の大飢饉がはじまった。特に奥羽地方の被害が大きく、江戸でも幕府は市中にお救い小屋を設置した。

1837 大塩平八郎の乱おこる(3月) B58
[ゴロ] 幕府へは 嫌みな抗議 平八郎
[句意] 幕府にとって嫌みな抗議だった、という句。
[解説] 大坂町奉行所の元与力で陽明学者の大塩平八郎が、幕政を批判して大坂周辺の農民に檄文を配り、挙兵した。一日で鎮圧されたが.越後の生田万の乱など共鳴する動きが相次ぎ、幕府に衝撃を与えた。

1837 モリソン号事件おこる(7月)C48
[ゴロ] 友好に 嫌みな迎え モリソン号
[句意] 漂流民を送ってきた友好の船モリソン号に嫌みな対応をした、という句。
[解説] この年、漂流民7名を伴い通商をもとめて来航したアメリカ商船モリソン号に対し、幕府が異国船打払令により相模の浦賀と薩摩の山川で砲撃を命じ退去させた事件。

1839 蛮社の獄おこる A51
[ゴロ] 蛮社への 批判見くびり 長英ラン(run)
[句意] 蛮社への批判を見くびった結果、長英はラン(逃亡)に追い込まれた、という句。
[解説] 江戸の蛮社(蘭学者グループ)「尚歯会」の渡辺華山(かざん)・高野長英(ちょうえい)は、モリソン号事件を、各々『慎機論』『戊戌夢物語(ぼじゅつゆめものがたり)』で批判し、処罰された。華山は永蟄居(えいちっきょ)、長英は永牢を命じられ、華山は自殺、長英は火事で脱獄し、逃亡生活のすえ自決。

1841 水野忠邦、天保の改革をはじめる(~43)A52
[ゴロ] いや良いテンポ(=天保)の 改革だ
[句意] 各層の反対にあい改革は進まず、失脚のテンポだけは早かった、という皮肉の句。
[解説] 11代将軍家斉の死後、諸藩につづき幕府も、老中水野忠邦を中心に天保の改革にのり出した。株仲間解散令・人返しの法・上知令などである。経済や社会の混乱は止まず、改革は失敗した。

1841 株仲間解散令でる C49
[ゴロ] 解散で 居場所逸(いっ)した 株仲間
[句意] 解散令で居場所をなくしたよ、株仲間の人たちは、という句。
[解説] 水野忠邦は、株仲間が価格操作をおこない、物価騰貴の元凶であるとして解散を命じた。仲間外の商人や在方商人の自由取引で、江戸・大坂への物資流入の増大をはかり物価の下落をねらったもの。

1842 天保の薪水給与令でる C50
[ゴロ] 乗組員 癒やしに来てね 薪水令
[句意] 薪水令で乗組員の皆さん休養に来てください、という句。
[解説] アへン戦争で清国が敗れたことに驚いた幕府は、異国船打払令をあらため天保の薪水給与令を出し、漂着した外国船には、食料や薪・水を与え、速やかに退去させることにした。

1843 人返しの法でる C51
[ゴロ] 農村へ 卑しみ返す 田舎者
[句意] 田舎者だとして卑しみ、農村に返す法だよ、という句。
[解説] 水野忠邦は人返しの法を出し、周辺農村から江戸へ流入した人々を強制的に帰村させ、荒廃した農村の復興をはかろうとした。

1843 上知令(上地令)で忠邦失脚 B59
[ゴロ] いー恥さらしの 上知令(あげちれい)
[句意] 幕府の無力をさらすことになったよ、上知令は、という句。
[解説] 上知令(上地令)は、江戸10里、大坂5里四方内の大名領・旗本領を幕領とする法令。かわりに遠国の幕領を与えようとした。しかし関係大名・旗本の反対が強く同年廃止。水野忠邦失脚の原因となった。

1853 ペリーの浦賀来航 A53
[ゴロ] いや混みますね 黒船ショー
[句意] 幕府は民衆の黒船見物を止めようとしたが、見物する者が後を絶たなかったことにちなんだ句。
[解説] この年、アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが、蒸気船をふくむ軍艦(黒船)4隻で浦賀に来航、国書を示し開国を迫った。幕府は、黒船の威力に負けて国書を受理、1年後の回答を約束した。

1854 日米和親条約むすぶ(神奈川条約)A54
[ゴロ] 幕府への 批判ゴジラの 和親策
[句意] 条約の締結強行に対して批判が国内に巻き起こりゴジラのように手に負えない怪物と化した、というナンセンスの句。
[解説] ペリーは再び軍艦7隻で来航、強く開国を迫ったため、幕府は神奈川で日米和親条約を結んだ。おもな内容は、(1)下田・箱館の開港(2)下田に米国領事の駐在を認める(3)米国に一方的に最恵国待遇を与える、など。

1858 日米修好通商条約むすぶ(5月)A55
[ゴロ] いや拒(こば)めぬと 言い張りす(=井伊・ハリス)
[句意] もはやアメリカをはじめ諸外国との通商は拒めないとハリスは幕府に言い張り、井伊も攘夷派に言い張った、という句。
[解説] 下田駐在の米総領事ハリスは通商条約の締結を迫った。大老に就任したばかりの井伊直弼が将軍継嗣を徳川慶福と決めるとともに、勅許を得ないまま同条約に調印した。

1858 安政の大獄はじまる C52
[ゴロ] 幕府への 反抗やめろと 大獄開始
[句意] 幕政への反抗をやめろ、と井伊直弼が弾圧を開始した、という句。
[解説] 井伊直弼の強引な処置(将軍継嗣決定・勅許なし条約調印)に対し、一橋派や尊王攘夷派から非難が高まると、越前藩主松平慶永(よしなが)や水戸藩主徳川斉昭(なりあき)をはじめ、一橋派の公家・大名・幕臣、吉田松陰や橋本左内ら尊攘派志士らを処罰した(安政の大獄)。

1860 桜田門外の変おこる(3月3日)A56
[ゴロ] 一藩(いっぱん)無理押し 桜田門
[句意] 一藩すなわち水戸藩の無理押しが桜田門外のテロとなった、という句。
[解説] この年、安政の大獄に憤激した水戸藩浪士らに、登城中の大老井伊直弼が桜田門外で暗殺され、幕府の威信は大きく揺らいだ。

1860 五品江戸廻送令でる(3月19日)C53
[ゴロ] 販路を江戸に 廻送令
[句意] 商品の販路は江戸へ回送するルートをとりなさい、という句。
[解説] 幕府は五品江戸廻送令で、生糸・雑穀・呉服・水油・蠟(ろう)の5品を、江戸の問屋仲間を経由して輸出することを命じた。輸出そのものの規制ではないことや、横浜商人や外国商人の抵抗で効果が上がらなかった。

1863 薩英戦争おこる(8月15日)C54
[ゴロ] 波浪逆巻(さかま)く 鹿児島湾
[句意] 戦争当日は荒天で波浪が逆巻くようだったよ、鹿児島湾は、という句。
[解説] 前年の生麦事件に対する報復のために、イギリス海軍は鹿児島城下に艦砲射撃を加え、攘夷に圧力をかけた(薩英戦争)。薩摩藩はイギリス艦隊に相当の打撃を与え実力を示したが、攘夷の不可能も思い知らされた。

1863 八月十八日の政変おこる A57
[ゴロ] 十八無惨(じゅうはちむざん)の クーデター
[句意] 十八日は、長州藩が無惨にも京を追われる政変(クーデター)があった、という句。
[解説] 会津・薩摩藩主体の公武合体派は、八月十八日未明武力で、三条実美(さんじょうさねとみ)ら尊王攘夷派の公卿(くぎょう)と長州藩兵とを京都から追放した。

1864 下関事件(長州藩外国船砲撃事件)(5月10日)C55

[ゴロ] 夷はむしろ/強いこと知る 下関
[句意] 夷秋すなわち西欧は弱くない、むしろ強いということを下関の長州藩は知った、という句。
[解説] 下関戦事件は貿易を妨害し外国人襲撃をくり返す尊王壌夷派の拠点長州藩の下関を、四国(英・仏・米・蘭)の連合艦隊が、砲撃し一時占領した事件。長州藩も攘夷の不可能を知った。

1864 第一回長州征伐(7月)C56

[ゴロ] 各藩の/藩論よろよろ/長州攻め
[句意] 藩論が定まらずよろよろの長州藩を攻めろ、という句。
[解説] 禁門の変に敗れ、朝敵となった長州藩を討つため幕府は諸藩に第1回長州征伐の出兵を命じた。下関戦争で惨敗した折りでもあり、尊攘派にかわって藩政をにぎった俗論派(保守層)が恭順の意を示し降伏した。

(1)866 薩長同盟なる A58

[ゴロ] 藩論無視の/下士(かし)同盟
[句意] 藩主・上士の意向すなわち藩論を無視して、両藩の下級武士間の同盟だった、という句。
[解説] 藩政の実権をにぎっていた薩摩藩の下級武士の西郷隆盛らは、おなじく長州藩の下級武士の木戸孝允らと、軍事協力を主とする薩長間の密約をむすび、倒幕の意思を固めた。

(1)867 徳川慶喜、大政奉還を申し出る(10月14日)A59

[ゴロ] やむなき奉還/慶喜公
[句意] 将軍慶喜は、討幕運動の出鼻をくじくため、やむを得ず奉還を申し出た、という句。
[解説] 薩長を中心とした討幕運動が進行するなかで、土佐藩は公議政体論(徳川氏中心の雄藩連合による新政権構想)の立場から幕府に政権を返上するように建白した。慶喜はこれを容れ、薩長の機先を制するべく奉還を申し出たもの。

1867 王政復古の大号令(12月9日)B60

[ゴロ] 人刃向(ひとはむ)かうな/と大号令
[句意] 刃向かうものは打倒するぞとおどかしながら大号令を発した、という句。
[解説] あくまで武力討幕をめざす岩倉具視、薩摩の西郷隆盛・大久保利通、長州の木戸孝允らは大政奉還と同日、討幕の密勅を手に入れ、土佐・越前・尾張各藩の武力を動員して王政復古の大号令を発し、クーデターを行い新政権を樹立した。
1868 五箇条の誓文でる(明治維新)A60

[ゴロ] 維新の/一般論は/五箇条で
[句意]  明治維新の一般的な基本方針を五箇条の形で発した、という句。
[解説]  五箇条の誓文は公議世論の尊重や、攘夷の廃止、国際社会への積極的な参加など新政府の基本方針を示したもの。しかし天皇がこれを国民に誓うのではなく、諸侯をひきいて神に誓うという後ろ向きの姿勢だった。

1869 版籍奉還なる A61

[ゴロ]  奉還が/(いや)でむくれる/諸大名
[句意]  先行きの不安があり、諸藩は藩政の変更に消極的だった。これを「嫌でむくれる」と表現した旬。
[解説]  版は版図(はんと)すなわち土地、籍は戸籍すなわち人民の意。よって版籍奉還は全国の土地と人民を各藩から新政府に渡すことをさす。この年、薩長土肥4藩主に率先して申し出を行わせ弾みをつけ、ついで全藩に版籍の返還を促した。

1871 新貨条例の公布(5月)C57

[ゴロ]  いや内実は/複本位
[句意]  金本位制の確立を目指したものだが、実情は金銀複本位制であった、という句。
[解説] 政府は新貨条例で通貨を円・銭・厘の10進法とし、欧米にならって金本位制を採用した。

1871 廃藩置県を断行(8月)A62
[ゴロ]  (い)ー藩ないから/廃藩だ
[句意]  財政のい-藩がないから抵抗の少ない今、廃藩を断行しようという句。
[解説] 藩の完全解体を急いだ明治政府は、蔭長土3藩の約6000名の兵を親兵として組織したうえで、この年廃藩置県を断行した。知藩事は罷免されて東京居住を命じられたが、戊辰戦争の戦費負担で財政難だった各藩はこれに応じた。薩長両藩出身者が一種のクーデターとして断行した。

(1)872 田畑永代売買の禁解禁(2月)C58

[ゴロ]  花に植木に/田畑オッケー
[句意]  今日からは田畑が売れる。不動産屋(まだそんな職業はないが)が、花または植木用にこの土地はどうですか?といっている句。
[解説] 田畑永代売買の禁止を解き、土地の自由売買を許したもので、大名などの領主による土地所有制度を廃止する前提として、個人による土地所有を許した。

1872 学制頒布(8月) B61

[ゴロ] 学制の/(いや)な負担に/反対一揆
[句意] 教育費という住民の負担が増えたことに抗議して、学制反対一揆がおこったことをふまえた句。
[解説] 近代的学校制度を定めた法令。フランスの中央集権的な教育制度を模範とし、8大学区以下、32中学区、210小学区にわけ、各小学区ごとに小学校を設け、6歳以上の男女が小学校に通うこととされた。

1872 国立銀行条例の公布(11月)C59

[ゴロ]  いやなに私立の/国立バンク
[句意]  「いやなに……」と口をモグモグさせて、「国立バンクといっても、実は私立銀行なんだ」、と言い訳している句。
[解説] 渋沢栄一らがアメリカにならってつくった制度。国立銀行は国法によって設立された銀行の意で、当初の四行とも民間銀行。

1873 徴兵令(1月)・地租改正(11月)A63

[ゴロ]  (いや)の涙の/地租・徴兵
[句意]  人民の負担が大きい政策だったので、人々は涙で両政策をむかえた、という句。
[解説] 徴兵令は国民皆兵にもかかわらず、中心は貧農の二・三男となり、徴兵令反対一揆がおきた。また租税収入安定のため地租改正を行い、課税を地価3%の金納に変更。農民の負担はむしろ重くなり、地租改正反対一揆が激発した。

1873 征韓論敗れる(10月)C60

[ゴロ]  嫌なら去ろう/西郷どん
[句意]  いやになったら鹿児島へ去ろう、西郷さん、という句。
[解説] 征韓論は鎖国政策を続ける朝鮮に使節を派遣し、開国要求がいれられなければ、開戦もやむなしという論。征韓論は急きょ帰国した大久保利通らの内治優先に敗れ、西郷隆盛・板垣退助・江藤新平らの「征韓派」参議は下野した。

(1)874 民撰議院設立の建白書だす(1月) A64

[ゴロ]  話し合いだよ 建白書
[句意]  有司専制政府に対し、「天下ノ公議ヲ張ル」すなわち広く国民が議論を戦わせ政治をすすめる場を設けるべきだと建白した、という句。
[解説] 征韓論争に敗れた下野前参議板垣退助・後藤象二郎らは、国会を開設して、納税者である国民の政治参加を要求する民撰議院設立の建白書を太政官の左院に提出した。左院は受理したが、黙殺。

1874 台湾出兵する(5月~12月)C61

[ゴロ]  嫌な侵略/台湾に
[句意]  台湾にとって嫌な侵略だ、という句。
[解説] 明治政府は、台湾で宮古島島民が殺害された事件を理由として、台湾出兵を行った。イギリスの調停が入り、清から賠償金50万両(テール)と、琉球が日本領土であるとの承認を取り付けた。

1875 愛国社の創立(2月)C62

[ゴロ]  立憲の/いー花こさえた/愛国社
[句意]  この花は「立憲のいー花」すなわち立憲制度を樹立する精華とも言うべきものを愛国社がつくった、という句。
[解説] 板垣退助は片岡健吉らと土佐で立志社を創設。翌年には、これを中心に大阪で全国組織の愛国社を結成した。

1875 樺太・千島交換条約(5月)C63

[ゴロ]  嫌なことだが/千島交換
[句意]  両地とも日本に領土権があった。国力のない悲しさ。自分のものと自分のものを交換する羽目に。
[解説] 日露和親条約で雑居地とされていた樺太の帰属をめぐって紛争がたえないため、樺太・千島交換条約をむすび樺太をロシア領とするかわりに千島全島を日本領とした。

1876 日朝修好条規 C64

[ゴロ]  嫌なムードで/修好条規
[句意]  朝鮮側にとっては日本側の威嚇による調印だったから、嫌なムードで調印した、という句。
[解説] 江華島事件の処理と朝鮮を開国させるため、政府は黒田清隆を全権として派遣。軍事力の威嚇により強圧的に交渉をすすめ、ようやく日朝修好条規を調印させた

(1)877 西南戦争おこる A65

[ゴロ]  そんなバナナ!/と叫んだ/西郷どん
[句意]  桜島で追いつめられ「そんなバナナ!」と慨嘆(がいたん)したとか、しないとか。
[解説] 西郷隆盛を首領とした鹿児島県士族の反乱。下野した西郷は私学校を設立、同校関係者が県政を支配し、ついに中央政府の士族解体策に反発して挙兵し敗退した(西南戦争)。

1879 沖縄県設置(琉球処分)C65
[ゴロ] いやん泣くなの 琉球処分
[句意] 明治政府が琉球民衆の意向を無視して、日本へ強制的に統合したことをうけた句。[解説] 政府はこの年、首里城を接収して廃藩置県を断行して沖縄県とした。清が抗議したが、日清戦争の結果、雲散霧消した。

1880 愛国社、国会期成同盟となる(3月)B62
[ゴロ] 人は張り切り 気勢(=期成)同盟
[句意] 単なる改称にとどまらず、さらに大きな組織となり皆張り切り、大いに気勢をあげた、という句。
[解説] 愛国社は国会期成同盟と改称された。同盟は全国から国会開設署名を集め、元老院に「上願書」を提出したが、政府は受理せず、集会条例を定めて封じようとした。

1880 集会条例の公布(4月) B63
[ゴロ] 違反やり玉 集会条例
[句意] 民権派の違反集会をやり玉にあげるのが、集会条例だ、という句。
[解説] 政府は、自由民権運動の高まりに対してこの年、集会条例を制定して運動を抑圧しようとした。しかし、国会期成同盟は非合法をおして大会を開き、私儀憲法をもちよった。

1881 開拓使払い下げ事件(7月)C66
[ゴロ] やばいかな 黒田後退 払い下げ
[句意] 払い下げ批判を前にして黒田および政府はヤバイとして方針を後退させて中止した、という句。
[解説] 開拓使が12年間に1,410万円を投じてきた官有物を、伊藤博文(長)中心の政府・開拓長官黒田清隆(薩)が、わずか39万円、しかも無利息30年賦で政商五代友厚(薩)の会社(薩長系)に払い下げようとした。

1881 明治14年の政変おこる(10月11日)B64
[ゴロ] 早いものだぜ 14年
[句意] 明治ももう14年か!という句。明治元年が1868(いやろっぱ)年と知っていれば覚える必要がない句。
[解説] 明治14年の政変は伊藤博文中心の政府が、政府部内の反対派大隈重信を罷免(ひめん)追放して薩長藩閥政府を確立した政変。同時に開拓使官有物払い下げを中止し、国会開設の勅諭を出して、10年後の国会開設と天皇による憲法制定を約束した。

1881 国会開設の勅諭でる(10月12日)A66
[ゴロ] 十年早いぜ 国会は
[句意] 「お前ら民衆に国会は十年早いぜ」と国民を愚弄し引き延ばしを謀っている、という句。
[解説] この年出した国会開設の勅諭は、10年後に国会を開設するとした詔勅。開拓使官有物払い下げ事件で激化した薩長藩閥政府批判をかわし、世論の鎮静と急進派の孤立をねらったもの。

1881 自由党の結成(10月29日) B65
[ゴロ] 政党の いち早い城 自由党
[句意] 板垣など立志社一派にとっての根城となる政党を、他に先駆けて作ったので。
[解説] 国会開設を前に民間では、政党の結成が進んだ。急進派は国会期成同盟を中核に、板垣退助を総理とする自由党を結成した。

1882 井上欧化政策はじまる(4月5日、~87)C67
[ゴロ] 反発押して 鹿鳴館
[句意] 国民とくに国粋主義者の反発を押して鹿鳴館外交をやった、という句。ただし鹿鳴館の開館は翌83年11月。
[解説] 井上馨外務卿は、極端な鹿鳴館的欧化政策をおこないつつ、屈辱的内容をもつ改正案をすすめた。これに対し国民は、三大事件建白運動で反発したため、交渉は中止され、井上は外相を辞任し同政策は失敗した。

1882 日本銀行の創設(日本銀行条例)(6月)B66
[ゴロ] 金融の いいパパ 日本銀行
[句意] 日本銀行は銀行の銀行、いわば父親のようなもの、という句。
[解説] 松方財政の一環で、中央銀行として日本銀行を設立した。唯一の紙幣発行銀行とするため、順次、国立銀行(名は国立でも私立)から発券機能を吸収して、3年後には兌換銀行券の発行にこぎ着けた。

1882 壬午軍乱おこる(7月)C68
[ゴロ] 日本への 反発グラグラ(=軍乱) 事故(=壬午)の乱
[句意] 日本への反発がグラグラと煮え立ち、反乱という事故がおこった、という句。
[解説] 壬午軍乱は対日開国政策に反対する国王の父大院君が、旧軍の支持を得て反乱をおこし、これに呼応して反日感情を強めた民衆が、日本公使館を襲った事件。大院君(テーウォングン)は、一時政権を掌握したが、出兵した清軍によって鎮圧された。

1882 福島事件おこる(12月)C69
[ゴロ] 三島(=通庸)への 党の反発 福島事件
[句意] 三島通庸に福島県自由党が反発して事件がおこった、という句。
[解説] 福島県令三島通庸は、会津の復興を理由に三方道路建設事業を強行、不況に苦しむ農民を使役した。そのため県会(議長河野広中)に拠る福島県自由党を中心に数万の豪農・農民が蜂起したが鎮圧された。

1884 群馬・加波山・秩父事件おこる (5月~) B67
[ゴロ] 自由囃(はや)して 飲み干そう ウマ・カバの乳(=群馬・加波山・秩父)
[句意] 自由民権の実現を喜び囃(はや)しながら、前祝いの景気づけにウマやカバのミルクを飲み干そうではないか、というナンセンスの句。
[解説] 松方財政下で大打撃を受けた養蚕地帯では自由民権運動が激化。窮迫した農民が困民党を結成、急進化した自由党員と結び、直接行動をおこした。群馬・加波山につづき、埼玉県秩父で数万の農民が蜂起したが、政府軍により鎮圧された。

1884 甲申事変おこる(12月)C70
[ゴロ] いー囃(はや)しで 行進(=甲申)事変
[句意] 調子のよい祭囃(まつりばや)しのリズムにのって行進した、というナンセンスの句。
[解説] 清仏戦争で清が苦戦すると、日本軍の支援をうけた金玉均(キムオッキュン)らの開化派がクーデター、甲申事変をおこしたが、滑国軍に鎮圧された。天津条約で日清間の衝突は一応回避されたが、日本の朝鮮政策は大きく後退した。

1885 天津条約を締結す(4月)B68
[ゴロ] ややごたつき 天津合意
[句意] 朝鮮での日清両軍衝突の善後処置にややごたつき、天津で合意した、という句。[解説] 清仏戦争中、朝鮮の親日開化派の金玉均らが、日本公使館の支援でクーデタをおこしたが、清国軍に鎮圧されて失敗した(甲申事変)。緊張緩和のため政府は中国と交渉、両国の同時撤兵と出兵の際の事前通知が決められた。

1885 内閣制度をつくる(12月)A67
[ゴロ] 伊藤やや凝(こ)る 内閣制
[句意] 伊藤は、首相・大臣というハイカラな名前にやや凝って制度を変えた、という句。本書の原則で[イトー]は「1・1」だが、1188年と誤る人はないと思い例外とした。
[解説] この年、太政官制を廃して、内閣制度を制定した。内閣総理大臣(首相)に各省の大臣に対する統制力をもたせるなど、国会開設に備えて政務の統一を強化したもの。

1886 学校令でる(3月)C71
[ゴロ] 自由阻(はば)む 学校令
[句意] これまでの自由主義的教育をはばむために作った法だよ、学校令は、という句。[解説] 学校令は帝国大学令、師範・中・小学校令の総称で、自由主義的な教育令から、国家主義的な教育政策へ転換した。このときの小学校令で、尋常(じんじょう)・高等小学校を各々4年間とし、尋常4年間を義務教育とした。

1886 大同団結運動はじまる(10月~88)B69
[ゴロ] 自由派野郎 大同す
[句意] 自由民権派の野郎、すなわち人びとは、大同についた、という句。
[解説] 大同団結運動は、国会開設を前に自由党と立憲改進党が小異をすてて大同につき、結束して藩閥に対抗すべきだという運動。星亨(とおる)が唱え、のち後藤象二郎(しょうじろう)が運動の中心となる。しかし後藤の変節(入閣)で運動は分裂衰退した。

1887 三大事件建白運動おこる(10月)C72
[ゴロ] いちばん“華”の 3大受験(=三大事件)
[句意] 諸大学の中でも華と言える東大・早・慶(?)の3大学を受験するぞ、というナンセンスの句。
[解説] 井上馨外相の列強に迎合する条約改正案が問題化すると、外交失策の挽回・言論集会の自由・地租軽減を唱える運動が展開された。三大事件とは、3つの事柄。

1887 保安条例の公布(12月)B70
[ゴロ] 保安上 違反離れろ 3里外
[句意] 保安上、違反者は離れろ3里外に、という句。
[解説] 三大事件建白運動による民権運動高揚に対し、民権運動家を皇居外3里に追放する法令。即日実施で、星亨・尾崎行雄・中江兆民らを追放、拒否した片岡健吉は禁固刑にされた。

1888 枢密院の創設 B71
[ゴロ]天皇への 批判やや負う 枢密院
[句意] 天皇の諮問機関の立場で暗躍したので、枢密院は天皇批判への責任を少し負うべきだ、という句
。[解説] 枢密院は大日本帝国憲法草案審議のため創設された、明治憲法下における天皇の最高諮問(しもん)機関で、議会政治の民主的な発展を抑圧し、藩閥官僚の本拠となった。

1889 大日本帝国憲法発布 A68
[ゴロ] 国民の 反駁(はんばく)許さぬ 欽定(きんてい)法
[句意] 基本的人権が大幅に制限されていて、国民の側からの反駁が許されない欽定憲法だ、という句。
[解説] 制度づくりと並行して、伊藤博文は、井上毅・伊東巳代治・金子堅太郎らと、ドイツ人法律顧間ロエスレルの助言をいれながら起草にあたった。新設した枢密院で国民に秘密のまま審議され、欽定憲法として大日本帝国憲法は発布された。

1890 帝国議会の開会 A69
[ゴロ] 批判くれるか 国会で
[句意] 政府批判は国会(帝国議会)でやってくれないか、という句。
[解説] 初の衆議院議員選挙が実施され、民党が圧勝。帝国議会の第一議会では、すでに黒田清隆前首相が超然主義を表明し、山県有朋首相が軍備拡張を求める政府・吏党と、「民力休養」を説いて政費節滅を主張する民党が、激しく対立した。

1894 日英通商航海条約で法権回復なる(7月16日)A70
[ゴロ] 白紙にもどす 不平等
[句意] この調印で法権の回復がなり、条約上の不平等が白紙解消した、という句。
[解説] 陸奥宗光外相は、日英通商航海条約を締結し、治外法権の撤廃・税権の一部回復・最恵国待遇の相互平等を内容とする条約改正に成功した。また来たる清との戦争では、イギリスの好意的中立を期待できることになった。

1894 日清戦争おこる(7月25日~95下関条約)A71
[ゴロ] ジパング・清の 戦争だ
[句意] 欧米の人が東洋の一小国JAPANを知らず、あのマルコポーロの「ジパング」だよという友人の説明でやっとわかるくらいに無名の国だった、として作った句。
[解説] 甲午農民戦争鎮圧後も、日清両国軍は撤兵せず、朝鮮への指導権をめぐって対立し、日本の宣戦布告なき奇襲によって日清戦争がはじまった。清国の誇る北洋艦隊が威海衛で降伏し日本の勝利が決定し、下関条約で講和が成立した。

1895 下関条約むすぶ B72
[ゴロ] 飛躍こめ 大漁と報告(=台湾・遼東・澎湖) 下関
[句意] 清国から予想を超える領土を獲得してまさに大漁だ、これから日本は飛躍するぞ、と下関から報告している、という句。
[解説] 下関条約は日清戦争の講和条約。全権は伊藤博文、清国側は李鴻章ら。その内容は清国が、朝鮮の独立承認、遼東半島・台湾・澎湖(ほうこ)諸島を割譲、償金2億両を支払う、新たに4港を開くなど

1895 三国干渉おこる B73
[ゴロ] 違約ゴメンね 三国干渉
[句意] 遼東半島譲渡の約束を三国干渉で反古(ほご)にしてゴメンね、という句。
[解説] 下関条約調印の直後、ロシアはフランス・ドイツをさそい、極東の平和を侵すという理由で遼東半島の返還を日本に要求した(三国干渉)。屈した日本は「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」のスローガンで政府批判をかわし、償金を軍備の拡張にそそいだ。

1897 労働組合期成会の結成(7月)B74
[ゴロ] 組合で 飛躍なるか 期成会
[句意] 組合結成で労働運動の飛躍がなるだろう、という期待の句。
[解説] 労働組合期成会は高野房太郎が、アメリカからの帰国後、職工義友会を母体に、片山潜らの参加を得て結成した労働運動の啓蒙団体。機関誌は『労働世界』、労働組合の結成、工場法制定の要求、治安警察法の反対などを訴え、労働者の覚醒(かくせい)をうながした。

1897 金本位制確立(10月)B75
[ゴロ] 箔ならやっぱり 金本位
[句意] 箔だったら金箔が一番だ、というややナンセンスの句。
[解説] 日清戦争後、清国からの償金を準備金として金本位制を確立した。新貨条例で金本位制を採用したが、不換紙幣の濫発(らんぱつ)と、開港場での銀流通のため失敗し、事実上の銀本位制に移行していた。

1898 隈板内閣成立(6月30日)B76
[ゴロ] 板(いた)の白馬(はくば)に 隈(くま)が乗り
[句意] 隈板といっても首相は大隈だから、板垣という白馬にまたがり大隈はいい気分だろう、として作った句。
[解説] 首相大隈重信が外相を兼ね、板垣退助を内相とした隈板内閣が成立。陸海軍大臣をのぞく全閣僚が憲政党員である、我が国最初の政党内閣。旧自由・進歩両党員が対立し、尾崎行雄の共和演説事件がおこると、わずか4か月で瓦解した。

1900 治安警察法でる(3月)C73
[ゴロ] 得マル悪(わる)の 警察法
[句意] この警察法は、権力の悪意が特にでている法だ、という句。
[解説] 治安警察法は第二次山県有朋内閣が出した自由を抑圧する治安立法。社会主義、労働・農民運動など社会運動の高揚に対して、その規制条項を従来の集会条例・保安条例・集会及政社法に付加して集大成した。

1900 北清事変(義和団事件)(8月)C74
[ゴロ] 行くぞワーワー 義和団が 
[句意] 義和団の兵がワーワーと喊声(かんせい)をあげながら進軍した、という句。
[解説] 義和団事件に対する出兵。日本側は北清事変と呼ぶ。日本はイギリスの要請で連合軍8か国中最大の兵力を送り、「極東の憲兵」としての地位を確立した。

1900 立憲政友会の成立(9月)C75
[ゴロ] トーク大きい 声優かい?(=政友会)
[句意] 話す声が大きいあの人は、声優かい?というナンセンスの句。
[解説] 議会運営に苦しんだ伊藤博文は、自ら政党をつくり、安定した議会運営を目指そうとした。このため伊藤系の官僚、旧自由党系の憲政党などを集めて立憲政友会を結党した。

1901 官営八幡(やはた)製鉄所操業(2月)A72
[ゴロ] ビックリ火燃す 製鉄所
[句意] 製鉄所とは溶鉱炉に火を燃やすものだったのか、と人びとが驚いてる句。
[解説] 官営八幡製鉄所は鉄鋼の国産化をめざして、操業を開始した。鉄鋼石は中国の大冶鉄山、コークスは筑豊炭田から。

1901 社会民主党結成(5月)B77
[ゴロ]人民の 貧苦(ひんく)を怒(いか)る 社民党
[句意] 人民の貧苦について怒る社民党、という句。
[解説] 社会民主党は日本最初の社会主義政党。社会主義協会の安部磯雄・片山潜・幸徳秋水・木下尚江らが結成。8時間労働制や普通選挙制を主張しようとしたが、治安警察法により即日禁止になった。

1902 日英同盟なる(~21)A73
[ゴロ] 得(とく)を二人で 日(にいち)英同盟(~21)
[句意] この条約を結ぶことで、日英両者で得をしましょう、という句。「~21」もゴロにして「にいち」と読んでほしい。
[解説] 義和団の乱後、政府内に対立する2論がおこった。伊藤博文・井上馨らは満韓交換論から日露協商を、山県有朋・桂太郎らは日英同盟論でロシアと対抗することを主張。結局後者の論がとられた。

1903 平民社の結成 C76
[ゴロ] 日露戦 退(ひ)くを叫んだ 平民社
[句意] 『七博士意見書』の戸水寛人(とみずひろ)ら日露開戦論に対し、幸徳らは戦争から退くことを叫んで、平民社をつくったよ、という句。
[解説] 幸徳秋水・堺利彦らは社会主義の立場から新聞「万朝報(よろずちょうほう)」で非戦論を唱えた。社主黒岩涙香(くろいわるいこう)が開戦論に転ずると、同社を退社し、平民社をつくり「平民新聞」を発行して反戦平和の主張をつづけた。

1904 日露戦争はじまる(~05)B78
[ゴロ] 日暮れよどちら 日露戦
[句意] この戦争でどちらが打撃を受けて国が斜陽になるのか、という句。
[解説] 朝鮮および中国東北部(満州)をめぐる日本とロシア間の帝国主義戦争。英米の支持、ロシアの国内混乱などもあり戦局は日本に有利に進んだが、国力が継戦を許さずアメリカのセオドア=ローズヴェルト大統領斡旋で講和するのがやっとだった。

1905 ポーツマス条約・日比谷焼打ち事件(9月)A74
[ゴロ] ポーツマス 戦苦をごまかし 焼き打ちに
[句意] 実際は勝ちと言うより引き分けに近い苦しい勝利だった。政府の嘘を知った国民はだまされず、政府批判の焼き打ち事件になった、という句。
[解説] ロシアは負けを認めず賠償や領土要求を拒否。このため同条約で日本が得たのは ①韓国への指導権、②旅順・大連の租借権、③長春以南の東清鉄道と付属の利権にとどまった。日本国民は期待を裏切られ、政府不信が頂点に達し焼き打ち事件となった。

1905 第二次日韓協約(外交権を奪い保護国化)(11月)B79
[ゴロ] 日暮れ後2時間(=二次韓)外光なしとか(=外交権なし・統監)
[句意] このあたりは日が暮れて2時間もしたら、家の中には外から光が入らなくなる、という句。漁師町や山里で、朝の早い街を想像してほしい。
[解説] 日本は改定日英同盟と桂-タフト協定とで、韓国での優越権を英・米に認めさせた。その上で韓国の外交権をうばい保護国化。外交は漢城(現ソウル)に新設した韓国統監府が代行。初代統監は伊藤博文。

1906 日本社会党の成立 C77
[ゴロ] 無産者の 得を論じた 社会党
[句意] 無産者の利益になるような政策をかかげて結党した、という句。
[解説] 平民社解散後、第1次西園寺公望内閣の宥和(ゆうわ)政策にのり堺利彦・片山潜ら社会主義者が合同して結成した合法政党であった。しかし翌年、幸徳秋水らの直接行動派が片山らの議会政策派の優位に立つと、政府は結社禁止にした。

1910 大逆事件おこる(5月)A75
[ゴロ] 特異例だよ 大逆は
[句意] 当局のでっち上げで社会主義者を処刑。日本は恐ろしい国だという思いを打ち消し、これは特異な事件で、こんなでっち上げはそうあることではないんだ、という句。
[解説] 大逆事件は天皇暗殺を計画したとして、幸徳秋水らを死刑や無期懲役などにした事件。明治政府が、一切の反体制運動を抑圧するために、菅野スガらの爆弾製造事件に、無関係な放言や会話を結びつけ一大陰謀事件につくり上げた。

1910 韓国併合(日韓併合条約)(8月)A76
[ゴロ] 低いオーナー 日本国
[句意] 強制連行・従軍慰安婦などモラルが低い宗主国だった、日本は、という句。
[解説] 日本は、日露戦争中から韓国の隷属化をすすめ、三次にわたる日韓協約を強要して外交・内政権を接収し軍隊を解散させ、義兵闘争を弾圧しつつ、ついに韓国政府に韓国併合をのませた。

1912 友愛会の結成(8月)C78
[ゴロ] 説く一に愛せよ 友愛会
[句意] 皆さんに第一に説き訴えたいのは、友愛会を愛して下さいということだ、という句。
[解説] 鈴木文治(ぶんじ)が労資協調の立場から結成、地道な労働運動を行う一方、普通選挙権の獲得運動にも取り組んでいった。

1912 第一次護憲運動(憲政擁護運動)(12月)B81
[ゴロ] 特筆大書 「✕族」と
[句意] 大きく特別に書いたよ、✕族と、という句。
[解説] 2個師団増設要求を削った第二次西園寺公望内閣が、陸軍の圧力で崩壊した。このため立憲政友会の尾崎行雄や立憲国民党の犬養毅らが、「閥族打破・憲政擁護」を叫んで運動を展開、桂の退陣を要求した。

1913 大正政変おこる A77
[ゴロ] 退く意味深し 政変劇
[句意] 首相を退陣させる政変を、初めて民衆運動によっておこした意義は深い、という句。
[解説] 第二次西園寺公望内閣が、陸軍によって倒され、藩閥の中心、桂太郎が組閣。彼は詔勅をたてに議会を軽視したため、閥族打破・憲政擁護を唱える第一次護憲運動が全国に高まり、同内閣が倒れる大正政変となった。

1914 第一次世界大戦はじまる(~18)B82
[ゴロ] 行く人死んだ 世界戦
[句意] 行った人はみんな死んだよ、世界戦争で、という句。
[解説] ヨーロッパでは、イギリスを中心とする仏・露との三国協商とドイツ中心の墺・伊との三国同盟の対立が深まり、サラエボ事件をきっかけに、第一次世界大戦がはじまった。

1915 中国に対華二十一か条要求 A78
[ゴロ] 一句一語(いっくいちご)に 屈辱が
[句意] 中国にとって二十一か条の一句一語が屈辱だったという句。
[解説] 大戦で西欧列強に余裕のない隙をついて、日本は袁世凱政府に5項目二十一か条の要求をした。不当な要求に中国民衆は激怒、英米も態度を硬化。そのため日本は内政権を奪う内容の第5項を除き、最後通牒の脅しで承認させた。

1917 石井・ランシング協定なる(11月)C79
[ゴロ] 低いな腰が ランシング
[句意] 今回の交渉では、いつもの強硬さは影をひそめ、ランシングさんの腰が低いなあ、という句。
[解説] これまで門戸開放・機会均等を主張してきたアメリカが、第一次大戦参戦を機会に日本に譲歩し、日本の中国における「特殊権益」を認めたもの。ランシングは国務長官(外相)。

1918 米騒動おこる(8月)A79
[ゴロ] 行く一般人の カカアたち
[句意] 米の安売り要求に行き暴動を起こしたのは普通のおっかさんたちだった。
[解説] 大戦後の物価高に、シベリア出兵に対する投機目的の売り惜しみで、米価が高騰。富山県魚津で.米の県外積み出し中止と安売りを要求する漁民の女房一揆がおこり、全国に波及・拡大した。

1918 原敬内閣成立(9月) B83
[ゴロ] 得意はちょっと 鼻高し
[句意] 原の得意、すなわち自慢は、鼻が高いこと、というナンセンスの句。彼の容貌はさておき、物理的にどうであったかは保証できない。
[解説] 米騒動後、首相推薦役の元老は、民意を無視できず、衆議院第一党の政友会総裁原敬に組閣を命じた。陸・海・外務の3大臣以外の全閣僚は政友会党員。隈坂内閣ではできなかった貴族院・軍部操縦にも成功した、初の本格的政党内閣。

1918 シベリア出兵はじまる(12月)C80
[ゴロ] 低いや気温が シベリア戦
[句意]さぞや気温が低いだろうな、シベリア出兵先では、という句。
[解説] 英・米・仏・日本など連合国は、ロシア革命に干渉するため、チェコスロヴァキア軍の救出を名目に、シベリア出兵した。各国はすぐ撤兵したが、日本は革命軍の抵抗、外国の不信を前になすところなく、数年後撤兵した。

1919 朝鮮に三・一独立運動おこる B84
[ゴロ] 行く行く万歳 朝鮮人
[句意] 目の前の道をつぎつぎに行く朝鮮人は「独立万歳」を叫んでいる、という句。
[解説] パリ講和会議を機に3月1日、朝鮮の京城では、前皇帝高宗の葬儀に集まった学生・知識人が独立宣言を発表し、「独立万歳」を唱え示威行進を行い、運動は全土に広まった(三・一独立運動)。日本は武力弾圧する一方で、「憲兵政治」を「文化政治」に改めた。

1919 ベルサイユ条約なる(6月)B85
[ゴロ] 独トークの ベルサイユ
[句意] ドイツの戦後処理をトークしたよ、ベルサイユで、という句。
[解説] ベルサイユ条約は大戦の責任は全てドイツにあると断定、その犠牲の上に戦後の国際関係を樹立しようとした条約。日本は山東省旧ドイツ利権を継承、赤道以北の南洋諸島の国際連盟委任統治権などを獲得。中国は調印を、アメリカ上院は批准を拒否した。

1920 日本、国際連盟に加入 B86
[ゴロ] 幾つマルする 連盟案
[句意] 当時の日本の権力者は侵略的だった。どこまで国際協調的な案に賛成できただろうかという思いで作った句。
[解説] 国際連盟は世界平和の機構として正式に発足し、スイスのジュネーブに本部をおいた。日本は、英・仏などとともに常任理事国となった。

1921 日本労働総同盟の結成(10月)C81
[ゴロ] 特に怒りを 総同盟
[句意] 怒り、とくに無産階級の怒りを結集しよう、総同盟に、という句。
[解説] この年日本労働総同盟が結成され、友愛会時代の労資協調主義を捨て階級闘争主義に転換した。すなわち労働者の権利擁護を積極的に要求するとともに普通選挙・治安警察法改正をとなえ、戦闘的になった。

1921 ワシントン会議はじまる(11月、~22)A80
[ゴロ] 特に意地(いじ)はれ ワシントン
[句意] 軍縮に抵抗せよという軍部・右翼の主張を句に。
[解説] ワシントン会議は軍縮・太平洋および中国問題に関する国際会議。ワシントン海軍軍縮条約、太平洋地域に関する四か国条約(日英同盟廃棄)、中国に関する九か国条約(石井・ランシング協定廃棄)を調印。日本は山東省の旧ドイツ利権の中国返還を余儀なくされた。

1922 ワシントン海軍軍縮条約(2月)C82
[ゴロ] 引く2がつらい ワシントン
[句意] 主力艦の保有トン数が英米5に対し日本はそれ引く2の3とされつらい、という句。
[解説] ワシントン会議で結ばれた3条約のうちの1つ。主力艦比率を英・米5、日3、仏・伊1.67とし、今後10年間は主力艦の建造は禁止するというもの。

1922 日本農民組合の結成(4月)C83
[ゴロ] 小作人 卑屈にならず 日農つくる
[句意] 小作人たちが卑屈に泣き寝入りせずに前向きに日農を作った、という句。
[解説] 戦後恐慌のころから農民の生活が悪化し、小作争議が増した。この年、賀川豊彦・杉山元治郎らが日本農民組合を結成。小作立法や普選を要求し、全国的な組織として発展した。

1923 関東大震災おこる B87
[ゴロ] 特に惨劇 大震災
[句意] 特にひどい惨劇だったよ、大震災は、という句。
[解説] 関東大震災はこの年の9月1日に発生。戒厳令を布いたが、混乱で経済は大打撃を受けた。暴動流言のなかで在日朝鮮人多数が、また亀戸事件で労働運動の指導者が、甘粕事件で無政府主義者の大杉栄・伊藤野枝が、官憲などに虐殺された。

1924 第二次護憲運動で護憲三派(さんぱ)内閣成立 A81
[ゴロ] 護憲では 特に世論の 三派です
[句意] 憲政擁護(護憲)運動では、特に世論の支持を大切にした三派だった、という句。
[解説] 貴族院中心の清浦奎吾内閣に憲政会・政友会・革新倶楽部の三派は民意無視と反対。政党内閣確立を唱えて第二次護憲運動を展開。普通選挙法と貴族院改革を訴えて総選挙に圧勝、加藤高明三派連立内閣が成立し普選を実現した。

1925 普通選挙法・治安雄持法でる A82
[ゴロ] 治安維持 特にこだわり 普選法
[句意] 大衆運動の激化をおそれて治安維持に特にこだわって、抱き合わせで普選法を成立させた、という句。
[解説] 加藤高明内閣は、公約の25歳以上男子を対象とする普通選挙法を実現し、同時に治安維持法を成立させた。普選実施で社会主義勢力が伸びるのを予防する目的もあった。

1927 金融恐慌おこる(3月) A83
[ゴロ] 特に嘆(なげ)いた 金融界
[句意] 金融界は蔵相の失言を嘆き、さらに金融不安を嘆いた、という句。
[解説] 議会で第一次若槻礼次郎内閣が提出した震災手形処理法案を審議中、
片岡直温蔵相の失言で東京渡辺銀行に取りつけ騒ぎがおこり.経営状態の悪い銀行は次々に休業。このため企業が資金繰りなどの道を閉ざされ、金融面から恐慌となった。

1927 山東出兵はじまる(5月~28)C84
[ゴロ] 名目は 特にない 山東出兵
[句意] 出兵する名目は、居留民保護などという理由にもならないようなものしかない。すなわち特に名目はないけれど、山東半島に出兵する、という句。
[解説] 田中義一内閣は、前年にはじまった国民革命軍の北伐(蒋介石総司令)を阻止しようとして、居留民保護を名目に山東省に出兵した。

1928 共産党大検挙(三・一五(さんいちご)事件)C85
[ゴロ] 特にはげしい 共産狩り
[句意] 共産党が無謀な公然活動に踏み切った。これを一網打尽にするチャンスとして特に過激な検挙に動いた、という句。
[解説] 衆議院で無産政党が8議席を獲得し、日本共産党が公然活動を開始。これに驚いた田中義一内閣が行った共産党などへの弾圧が三・一五事件。治安維持法に死刑を加え、特別高等警察を拡充し、翌年再び四・一六事件で弾圧した。

1928 満州某重大事件(張作霖爆殺事件)(6月)C86
[ゴロ] 謀殺に 特にハッスル 関東軍
[句意] 関東軍は謀殺に特にハッスルした、という句。
[解説] 北伐軍の北京接近で、満州軍閥張作霖(ちょうさくりん)は退去を余儀なくされた。関東軍は反日的傾向を強めていた張を奉天郊外で爆殺した。満洲某重大事件として秘密にされたが、田中義一内閣は昭和天皇の信頼を失い、翌年退陣した。
[解説]

1929 世界恐慌はじまる A84
[ゴロ] いー国苦しい 大恐慌
[句意] 今まで繁栄を謳歌していた米英など経済状態がいー国が特に苦し
んだ大恐慌、という句。
[解説] 世界恐慌はニューヨークの株式市場の大暴落からはじまり、資本主義
国家の全てに波及した。日本には翌年から波及し、昭和恐慌となった。

1930 金輸出解禁なる(1月)A85
[ゴロ] 解(と)くさ遅れて 金解禁
[句意] 世界の潮流に遅れてやっと解くよ、金解禁へ、という句。
[解説] 大戦後、列国は次々に金本位制に復帰。日本は外国為替を安定させ国際競争力を高めるために、産業合理化を進め、漸く金解禁ができた(しかし世界恐慌がはじまる最悪の時機だったため、逆に大量の正貨が流出し日本経済は大打撃を受けた。

1930 ロンドン海軍軍縮会議ひらく(4月)B88
[ゴロ] 戦(いくさ)ゼロンドン会議
[句意] 戦がゼロになることを目指したロンドン会議、という句。
[解説] 若槻礼次郎元首相や財部彪(たからべたけし)海相が全権。浜口雄幸内閣は、財政を圧迫している軍事費を削減するため、ロンドン海軍軍縮条約に調印した。軍部・右翼・政友会は、この調印を天皇の統帥権干犯(とうすいけんかんぱん)として攻撃した。

1931 柳条湖事件(満州事変)おこる(9月)A86
[ゴロ] 満州へ 行くサイン出た 柳条湖(りゅうじょうこ)
[句意] この事件を合図として関東軍は満州侵略を開始した、という句。
[解説] 関東軍参謀らが計画した陰謀事件で、満州事変の発端となった。奉天郊外柳条湖の南満州鉄道線路で小爆発事件をおこし、これを張学良軍の仕業として直ちに奉天を占領、ついで満州占領をねらい全面攻撃に移った。

1931 金輸出再禁止(12月)C87
[ゴロ] 説く再禁止 犬養が
[句意] 犬養首相が金輸出の再禁止を説得した、という句。
[解説] 犬養毅内閣の高橋是清蔵相は、金輸出再禁止を断行し、ついで金本位制を停止し管理通貨制度を導入した。政府は軍事費拡大の積極財政をとり、産業界は為替相場の円安を利して、飛躍的に輸出をのばしていった。

1932 満州国建国(3月)C88
[ゴロ] ひどく醜い 満州国
[句意] 表向きは独立国だが実質は日本の植民地。すなわち嘘で固めた国家だから醜い、という句。
[解説] 関東軍は、清朝最後の皇帝溥儀を執政(2年後皇帝)として満州国を建国した。斎藤実内閣は、9月に日満議定書に調印し、同国を承認した。満州国は形のうえでは独立国であったが、実体は日本の完全な傀儡国家であった。

1932 五・一五事件おこる B89
[ゴロ] 戦に GO・一五
[句意] 戦争へGO!と主張する五・一五事件だ、という句。
[解説] 満州事変の前後に、軍部独裁政権の樹立をめざすクーデタ未遂事件が相ついだ。そのあと、海軍士官と右翼によるクーデタがおこされ、犬養毅首相らが殺害された(五・一五事件)。護憲三派以来の政党内閣は8年間で終わりをつげた。

1933 国際連盟脱退 B90
[ゴロ]勧告に 退(ひ)く耳もたず 脱退す
[句意] 退く、すなわち譲歩した方がよいという忠告を聞く耳をもたないで脱退した、という句。
[解説] 連盟総会は、リットン報告書を踏まえて、日本の満州支配を不当とする勧告書を42対1で可決した。このため日本(松岡洋右代表)は、国際連盟を脱退し、以後「自主外交」のもとで国際的に孤立していった。

1935 天皇機関説事件(2月)C89
[ゴロ] 組み込む天皇 機関説
[句意] 憲法の中に天皇を組み込む、それが機関説だ、という句。天皇を憲法上の合理的な機関とし、いわば天皇を法の網の中に組み込み、その権限を制限する法理論だから。
[解説] 学界の主流学説であった美濃部達吉の天皇機関説が、反国体的として攻撃された事件。岡田啓介内閣は軍部や右翼の弾圧に屈し、同説を否定する国体明徴声明を出して、美濃部を貴族院議員辞職に追い込んだ。

1936 二・二六事件おこる A87
[ゴロ] 戦夢想(いくさむそう)し 二・二六(ににろく)
[句意] 具体的に事後の明確なプランをほとんど持たず、敵とする政治家を暗殺すれば今よりは臨戦状況になると夢想して突っ走った行動だったから。
[解説] 二・二六事件は皇道派の陸軍青年将校らが、「昭和維新」の実現をめざしておこしたクーデター。彼らは、斎藤実内大臣・高橋是清蔵相らを殺害し、首相官邸などを占拠した。このため東京に戒厳令がしかれ、天皇の命令により鎮圧された。

1937 日中戦争(日華事変)はじまる(盧溝橋事件)(~45)A88
[ゴロ] 戦(いくさ)なんだよ 盧溝橋
[句意] 慮溝橋ではじまったのは事変などという小規模のものではなく全面戦争なんだ、という句。
[解説] 北京郊外の盧溝橋付近で日中両軍が衝突した。現地で停戦協定が成立したが、陸軍および近衛文麿内閣は華北へ派兵し、日中両国は宣戦布告がないまま全面的な日中戦争に突入した。

1938 国家総動員法でる B91
[ゴロ] 戦(いくさ)やる気の 総動員
[句意] 戦争をやる気でつくった、総動員法だ、という句。
[解説] 国家総動員法は戦時に際して議会の承認なしに、勅令(天皇の名による政府命令)によって、人的・物的資源の動員・統制ができるという法令。企画院が立案。戦時体制を本格的に整えた。

1939 第二次世界大戦勃発(ポーランド侵入)B92
[ゴロ] 戦狂(いくさくる)った ポーランド
[句意] 妨害を受けないというドイツのたてた戦争の計算が、ポーランドでは狂った、という句。ヒットラーは英米が、ポーランドをチェコスロヴァキア同様に見捨てると計算していた。
[解説] ドイツがポーランド侵入を開始し、イギリス・フランスがドイツに宣戦布告し、ヨーロッパで第二次世界大戦がはじまった。

1940 日独伊三国軍事同盟なる(9月)B93
[ゴロ] 特使松岡 推進同盟
[句意] 松岡外相が構想を推進、特使としてベルリンに行き調印した、という句。
[解説] 第二次世界大戦が勃発すると、阿部信行内閣はこの戦争に介入しないことを声明する一方で、三国同盟推進派の松岡洋右外相がベルリンに行き締結した。

1940 大政翼賛会の発足(10月)C90
[ゴロ] 退くよりファッショの 翼賛会
[句意] 戦争遂行のため、退(ひ)くより翼賛会によるファシズム体制の確立だ、という句。
[解説] ドイツ軍優勢の状況で、日本国内では既成政党の解散と挙国政党の結成が叫ばれた。ナチス党やファシスタ党をモデルにした新体制運動が展開し、各党はつぎつぎに解散し、大政翼賛会を結成した。

1941 日ソ中立条約をむすぶ(4月) C91
[ゴロ] 得した人は スターリン
[句意] 独ソ間の緊張を知らない日本が同盟を提案。独ソ戦に突入してもシベリア方面の安全は確保され、二正面作戦は回避できるので、スターリンは得をした、という句。
[解説] 中ソ中立条約は、南進方針のもとで北方の安全をはかるため締結。松岡洋右外相が抱いた日独伊ソの四国協商という大構想であったが、お粗末な情報力・外交感覚により、独・ソ関係の険悪化に気づかず、外交的に無為な政策となった。

1941 真珠湾攻撃(太平洋戦争はじまる)(12月)A89
[ゴロ] 零戦(ぜろせん)が 行くよ行(いくよい)くよの 真珠湾
[句意] 航空母艦上を発進し、一路真珠湾攻撃に向かう零戦があそこにも、ここにも、行くよ行くよという句。
[解説] 航空母艦4隻を主体とする日本海軍機動部隊が、ハワイ真珠湾基地に集結していたアメリカ太平洋艦隊に大打撃を与えたもの。アメリカへの宣戦布告が遅れたため、国際法違反として今なお非難されている。

1945 ポツダム宣言受諾(敗戦)(8月)A90
[ゴロ] 説(と)くよ降伏(こうふく) ポツダムで
[句意] そのままの句。
[解説] ドイツ降伏後、英(チャーチルのちアトリー)・米(トルーマン)・ソ(スターリン)がベルリン郊外のポツダムで行った会談。ポツダム宣言で日本への無条件降伏を勧告した。

1946 第二次農地改革はじまる(2月~50)A91
[ゴロ] 得(とく)しろ小作の 改革だ
[句意] 第一次は地主が得する案だったが、GHQがこれを不満として決定した第二次は小作人が得をするようにしたから、このような句に。
[解説] 農地改革は大戦後GHQが日本民主化の一環として指令した農地制度の民主的改革。2月の第一次では在村地主は5町歩まで、10月の第二次では1町歩(北海道は4町歩)まで引き下げられた。

1946 日本国憲法を公布(11月)A92
[ゴロ] 特守(とくしゅ)論じる 第九条
[句意] 戦争放棄を禁じている一方で自衛権行使(自衛の戦争〉は出来るとするなら、特別な防衛のあり方(特守)を論じていることになるので。
[解説] 日本国憲法は現行のわが国の最高基本法。天皇主権が廃止され、国民主権が確立。基本的人権の尊重や戦争放棄(第九条)に特徴がある。

1947 二・一(にいち)ゼネスト中止(1月)C92
[ゴロ] トークしないで ゼネスト中止
[句意] 今まで労働運動の育成を目指していたアメリカの占領政策が、何のトークもなしに抑圧に転換したことを句に。
[解説] 官公庁の労働組合と民間企業の労働組合は共闘し、2月1日を期して空前のゼネラルストライキが計画されたが、その前日になってGHQからの指令で中止させられた。

1947 独占禁止法の公布(4月)C93
[ゴロ] 経済を 毒しないよう 独禁法
[句意] 経済を毒しないように作られたのが独禁法、という句。韻をふんでリズムもとった。
[解説] 独占禁止法は私的独占・不公平な取引および競争を禁止し、企業間の公正な競争を促進する法律。実施・運用のための機関として公正取引委員会を設置した。

1948 GHQ、経済安定九原則を指令 B94
[ゴロ] 説くよ八(はち) いや九原則
[句意] GHQが日本の経済発展のために八原則、いやまちがい!九原別の実施を説いている、というナンセンス句。
[解説] この年、アメリカ政府は日本政府に対して、均衡予算の編成・徴税の強化など経済安定九原則を指令。冷戦の激化で、日本をアジアにおける「反共の防壁」とするための前提として、日本経済の自立を急いだもの。

1949 ドッジ・ラインの決定(3月)C94
[ゴロ] 人前で トークしくじり どっ白(じら)イン(=ドッジ・ライン)
[句意] 人前でのトークにしくじり、一同がどっ白け、というナンセンスの句。
[解説] ドッジ公使は、日本経済をアメリカの援助と政府補助金による竹馬経済と考え、赤字歳出を許さない超均衡予算を組ませ、1ドル=360円と固定した。経済再建の基礎はできたが、国民は耐乏生活を要求された。

1950 朝鮮戦争はじまる(6月~53)A93
[ゴロ] ひどくこりゃ 誤算つづきの 朝鮮戦
[句意] 南北どちら側もこれほど激戦かつ長期化するとは計算していなかった。すなわちこれはひどい誤算だった、という句。
[解説] 冷戦下で南北朝鮮の対立が激化し、朝鮮民主主義人民共和国の南進から武力衝突し、泥沼の朝鮮戦争に入った。米軍主体の国連軍が大韓民国を支援、ソ連軍・中国義勇軍が北を支援、一進一退ののち板門店で休戦協定がなった。

1950 警察予備隊の創設(8月)C95
[ゴロ] ひどく号令で 警察呼びたい(=警察予備隊)
[句意] いつも威張っている警察官を、一度でいいから「集合!」の号令で呼びつけたい。ひどくそんな思いがつのる、というへンなおじさんのぼやきの句。
[解説] 朝鮮戦争勃発直後、マッカーサーは吉田茂首相に書簡を送り、警察予備隊の創設と海上保安庁の増員を命じた。戦力不保持を決めた日本国憲法の規定があるにもかかわらず、日本は再軍備の道を歩みはじめた。

1951 サンフランシスコ平和条約なる(9月)A94
[ゴロ] ひどく強引(ごういん) サン条約
[句意] これは、全面講和を決めた42年の連合国共同宣言に違反した単独講和。英米主導で強引な条約だ、という句。リズムのためやむなく「サンフランシスコ」を「サン」に縮めた。
[解説] 米・英が召集した第二次世界大戦の対日平和条約。連合国55か国のうち、中国は招かれず、インド・ビルマ・ユーゴスラヴィアは招かれたが参加せず、ソ連・ポーランド・チェコスロヴァキアは調印せず。結局48か国が調印。

1951 日米安全保障条約の調印(9月)B95
[ゴロ] 安保なり 退(ひ)く後(ご)も居(い)ます アメリカ軍
[句意] アメリカ軍の駐留を強引に定めたものが、日米安保条約だ、という句。
[解説]日米安全保障条約は、サンフランシスコ平和条約発効後もアメリカ軍が日本駐留を継続することを合法化した条約。ただしアメリカ軍には日本防衛の義務はなかった。

1954 MSA協定(日米相互防衛援助協定)むすぶ(3月)B96
[ゴロ] 軍こしらえろの MSA
[句意] 軍隊をこしらえれば援助するというのがMSA協定だ、という句。「軍こしらえれば援助」では舌が回らないので「軍こしらえ援助」とした。
[解説] この年、MSA協定(日米相互防衛援肋協定)がむすばれた。日本側が防衛力の穏やかな増強を行えば、その見返りにアメリカが経済援助をするというもの。

1955 保守合同(自由民主党結成)(11月)C96
[ゴロ] トーク今後は 合同で
[句意] トークすなわち協議は今後、合同でやりましょう、という句。
[解説] 憲法改正を唱える鳩山一郎内閣に対して、革新派は総選挙で改憲阻止に必要な3分の1を確保し、社会党が左右両派の統一を果たした。この動きに刺激されて、自由・民主両党も保守合同をおこない、保革2大政党のいわゆる55年体制が成立した。

1956 日ソ国交回復なる(日ソ共同宣言)(10月19日)A95
[ゴロ] 引(ひ)く頃今だと 日ソ言い
[句意] 日ソ間の戦争の幕を引く頃は今だ、ということで共同宣言に調印した、という句。
[解説] 鳩山一郎内閣は日ソ共同宣言に調印し、ソ連との国交を回復した。歯舞諸島・色丹島の引き渡しは平和条約締結後(未締結)と決まったが、国後・択捉両島の返還は決まっていない。

1956 国連加盟なる(12月) B97
[ゴロ] 熟すころだよ 国連加盟
[句意] 国際社会復帰への努力が熟すころだ、国連加盟もきっとできるはず、という句。
[解説] 従来拒否していたソ連が支持にまわり、日本の国連加盟が実現した。鳩山一郎首相がモスクワで、両国間の戦争を終結する日ソ共同宣言に調印した結果である。

1960 日米安保条約改定(日米相互協力及び安全保障条約)なる A96
[ゴロ] 幾群れ(いくむれ)叫ぶ 安保破棄(あんぽはき)
[句意] この日全国でどれだけ多くのデモ隊が安保破棄を叫んでいるだろう、という句。
[解説] 米軍の日本駐留を規定した日米安保条約の改定。双務的軍事同盟にちかづき、事前協議制や日米共同軍事行動なども規定。日本がアメリカの軍事戦略に組み込まれていくことが懸念され、安保反対闘争が全国的に展開された。

1964 東京オリンピックの開催 B98
[ゴロ] 苦労しました 東京五輪
[句意] 東京五輪は、国を挙げての開催準備だった、という句。
[解説] 第18回の東京オリンピックが開催された。日本の先進国への仲間入りを印象づけた。またこれを契機にテレビが急速に普及した。

1965 日韓基本条約調印 A97
[ゴロ] 基本には ひどく露骨(ろこつ)な 北(きた)排除
[句意] 基本的には北朝鮮政府をひどく露骨に排除している、という句。
[解説] この日韓基本条約で日韓間の国交が正常化。韓国政府を朝鮮における唯一の合法政府であると認めたため、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との対立を深めることになった。

1972 沖縄の祖国復帰なる(5月)A98
[ゴロ] 幾夏(いくなつ)耐えて 復帰なる
[句意] 毎夏の敗戦記念日(8月15日)を悔しい思いで幾度も過ごしてきた沖縄の無念さを句にした。
[解説] 前年6月、沖縄返還協定が調印され、1年後の5月施政権が返還された。敗戦後日本に見捨てられたかたちの沖縄では、1955年ごろから米軍基地反対闘争、60年以降は祖国復帰運動がねばり強く展開されてようやく実現した。

1972 日中国交回復なる(日中共同声明)(9月)A99
[ゴロ] 台湾より 得(とく)な日中(にっちゅう) 選びます
[句意] 台湾より、巨大な市場になる中国との国交を得だと判断して選びます、という句。
[解説] ニクソン-ショックをうけて田中角栄首相は、周恩来首相と北京で日中共同声明に調印、国交が回復した。中華人民共和国を中国唯一の合法政府と認め、台湾との外交関係が途絶えた。

1973 石油危機(狂乱物価)おこる(10月)B99
[ゴロ] 特波来たる オイル危機
[句意] OPECのおこした特別大きな石油ショックの波が我が国に来た、という句。
[解説] 第4次中東戦争勃発にともない、石油輸出国機構(OPEC)は石油輸出の制限と価格の大幅引き上げを実施した。このため原油価格は約4倍に上昇する石油ショックがおこり、戦後最悪の「狂乱物価」を招いた。

1976 ロッキード事件 C97
[ゴロ] 退(ひ)くなロッキード 闇事件
[句意] 捜査陣が妨害にひるんで退くことなくロッキード事件を解決してほしい、という句。
[解説] 田中角栄首相の金脈問題が表面化し、田中首相は世論の批判に抗しきれず辞任し、三木武夫内閣へかわった。この間捜査はすすみ、この年、金脈問題はロッキード疑獄事件へと発展、田中前首相は逮捕された。

1978 日中平和友好条約訴印 A100


[ゴロ] 退(ひ)くな覇権(はけん)の 日中平和
[句意] ソ連を敵視する「覇権」の語句を入れるか、入れるならソ連を刺
激しないようにどのように入れるか。日中がどちらも退かず条文を
練ったので。
[解説] 日中共同声明をうけて、福田赳夫内閣のもとで日中友好平和条約を結んだ。第二条は中国の主張に譲歩し「覇権反対」の語句を入れたが、第四条に米・ソとの関係に配慮する日本の主張を入れて妥協した。

1991 ソヴィエト連邦解体 C98


[ゴロ] 逝(い)く悔いなき ソ連解体
[句意] ソ連邦の逝去すなわち解体に多くのロシア国民には悔いがない、という句。
[解説] この年、保守派のクーデタの失敗にともなうゴルバチョフ書記長の辞任により、ソ連邦からつぎつぎに独立国が誕生、11の共和国からなる独立国家共同体(CIS)が発足し、約70年間つづいたソ連邦は解体消滅した。

1993 55(ごじゅうごねん)年体制終わる C99


[ゴロ] 低く寂しく 55(ゴーゴー)終わる
[句意] 総選挙で自民党が低調で社会党が寂しい惨敗、この結果保革2大政党の55年体制が終わり、細川連立政権が発足した、という句。
[解説] この年の総選挙で自民党(宮沢喜一(きいち)内閣)が過半数割れとなり、38年にわたる自民・社会対立および自民党単独政権の時代は終わった(55年体制の終了)。これ以後細川護煕(もりひろ)、羽田孜(はたつとむ)、村山富市(とみいち)、橋本龍太郎と連立政権が続き、政界再編成の動きが活発になった。

1995 阪神淡路大震災 C100


[ゴロ] 阪神に 救急ごまんと ボランティア
[句意] ボランティア元年と言われるように、多くのボランティアが救急活動をしたよ、という句。
[解説] 阪神淡路大震災は神戸・淡路島を中心に、初の震度7を記録した、死者6430人、被害総額は世界最大の大地震。政府の対応の拙さから被害を拡大したという非難がおこり、おりからの住専問題とともに村山連立政権退陣の原因となった。

1990 ドイツ統一なる B100


[ゴロ] 独繰り入れて ドイツ統一
[句意] 西ドイツが東ドイツを領内に繰り入れてドイツ統一がなった、という句。
[解説] 東ドイツが西ドイツに編入される形でドイツ統-が実現。前年にはほとんどの東欧諸国の共産党一党独裁体制が崩壊し(東欧革命)、ベルリンの壁も撤去されて、マルタ会談で冷戦の終結が宣言されていた。



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