愛情は「目に見えないごちそう」 愛情はさわれる(11)

わが家の近所に大型犬が住んでいるマンションがあります。盲導犬のシールと私が朝の散歩の帰りに通りかかると、その犬は上の方のベランダからよく吠えてきます。

シールはちょっとこわがりの性格なので、わが家に来たての頃は、その太い吠え声をこわがってそこを通りたがらずに停まってしまうこともありました(笑)。でもそこを通らないと家に帰れないので私はシールに
「上の方から吠えているだけだから、こっちには来ないから大丈夫だよ」
となだめすかして歩かせていました。

毎日、シールはその吠え声を聞くとこわがって立ち止まってしまうので、私もその声を
「あんなに吠えなくてもいいのに」
と、ちょっと疎ましく思っていました。

ある時私は、上のほうから吠えているその大型犬に向かって、ふと手を伸ばして頭をなでるイメージを送ってみました。
なぜそんなことをしたのかわかりませんが、急にそうしようと思ったのです。
すると、吠えていた声が急にやみました。そして私にはその時なんとなくその犬がしっぽを振っているのが見えたような気がしました。
それからは、その犬が吠えるたびに私はイメージでその犬の頭をなでることにしました。そうするとたいてい吠えるのは止んで、それ以上、声はしなくなるのでした。
大型犬がこちらにむかって吠える声も、前のように威嚇的な感じではなくなりました。

今では、私たちが通りかかると、あいさつのように大型犬が吠えてくる感じになりました。
私も心の中で「おはよう!」とあいさつしてから頭をなでるイメージを送っています。
シールも吠え声を聞いて立ち止まったりしなくなり、しっぽを振って歩くようになりました。

私の大型犬に向ける気持ちが本当に伝わって吠えるのをやめたかどうかは、もちろん証明することはできません。
でも、今まで大型犬がこちらに威嚇的に吠えて、私がそれを疎ましく思っていた関係が、もっと好意的なコミュニケーションに変わったような気がするのでした(笑)。

私はこれを書いていて、ある本の中の印象的なエピソードを想い出しました。

それは、『動物はすべてを知っている』(J・アレン・ブーン著 ソフトバンク文庫)に出ていた、爬虫類学者のグレース・ワイリー博士のエピソードです。
彼女はどんな毒蛇でも手なづけて、腕に抱き、時に蛇のメッセージを来館者に通訳することもありました。
そして彼女は
「蛇が人を攻撃するのは蛇が人の悪意を感じ取り、それを恐れるあまり攻撃するのだ」
と主張していました。

彼女の考えによれば、
「あらゆる動物は外見に係わらず内側に善を秘めており、敬意、共感、やさしさ、愛を込めた応対によってそれを表現したがっており、敬意、賞賛、親愛の情、やさしさ、礼儀正しさに応える」ということなのでした。
そしてそのことを証明するように、捕獲されたばかりの体調2メートルの猛毒のガラガラヘビを彼女が手なづけるところを著者が見学する場面が描かれていました。

彼女が館長だった「幸福のための動物園」館内の「慰撫室」と呼ばれる部屋の中、テーブルの端にライリー博士が微動だにせずに立つ前で、大きなテーブルの端に置かれたガラガラヘビが入った大きな木箱のふたが備え付けの機械によって開けられました。

2メートルの巨大な蛇は、箱から出るととぐろを巻いて鎌首をもたげ、周囲の敵を今にも攻撃しそうにしっぽを振ってガラガラヘビ特有の音を立てています。

ライリー博士は片手に攻撃された場合にそれをくいとめる網のついた棒を持ち、もう片方の手には布を巻いた「なで棒」を持って無言で立つだけで、一見何もしていないように見えます。

しかし実際には博士は無言のまま、蛇の多くの美点をほめたたえる言葉、恐れることはないというはげましの言葉、ここが新しい棲み家であり、ここなら愛され慈しまれるという説得の言葉を何度も何度も語りかけているのでした。
やがて蛇の様子に変化が現れます。
巨大な蛇は警戒しながらも、ゆっくりととぐろを解き、テーブルいっぱいに進退を伸ばします。
ついにはワイリー博士のすぐそばまで来て、もたげていた首を下ろします。

この様子を見た博士は初めて動き出します。
博士は片手に持った「なで棒」で蛇の背中をやさしく愛撫し、抵抗しないとわかると両方の素手で愛撫し始めます。
すると蛇は猫のように身をくねらせ、長い体をよじりながら博士のほうに近づき、もっと愛撫を受けたいという態度を見せるのでした。

私は、動物は親愛の情や愛情といった感情の質感を匂いや音のように敏感に感じることができると思っています。
だから人とほとんど接する機会のない野生のガラガラヘビでもワイリー博士から送られる愛情の質感を感じ取ったのだと思います。

人間は言葉によるコミュニケーションを発達させたために、愛情の質感を感じる感覚が鈍くなっているのだと私は考えています。
おそらく脳の中の感覚を司る領域のほとんどが現代の生活の中で必要とされる視覚を中心とした五感によって占められていて、かつて動物と同じように持っていたであろう愛情の質感を感じる感覚の領域をほとんど失いつつあるのでしょう。

人は愛情の質感をほとんど感じられないので、愛情を概念としてとらえがちです。
そして愛情の質感の代わりに、例えばおいしい食べ物やおもちゃなど目に見えるものや形あるものを動物に与えることによって愛情を表現しようとします。

でも、自分が一緒に暮している動物が、親愛の情ややさしさ、愛情といった感情の質感を食べ物と同じくらいか、あるいはそれ以上に好きで必要としていても、そのことにほとんど思い当たりません。

もし動物と暮す人が、動物は親愛の情ややさしさや愛情などの質感をおいしい食べ物と同じように実体のあるものとして感じ取っていることに気づけば、ワイリー博士とガラガラヘビの間に生じたような、お互いが親愛の情や愛情を分かち合う幸せな時間をいつでも感じ合うことができるようになるでしょう。

#グレース・ワイリー博士
#毒蛇
#ガラガラヘビ
#盲導犬
#吠え声
#愛情の質感
#幸福のための動物園

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?