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4回の転職を経て、起業。「やりたいことがわからなかった」下司若葉さんが自分の道を見つけた方法

私が下司若葉さんと初めて出会ったのは、赤坂のスナックだった。

ある日のこと、私は木下紫乃さんという方が受けたインタビュー記事を読んだ。彼女はミドルシニアへのキャリア支援を展開する会社を運営しながら、「昼スナック」のオーナーもしている。そのころ私は将来の展望が見えず悩んでおり、精力的な彼女に会って話を聞いてもらいたいと思った。そしてお店に行ったとき、隣に座っていたのが下司さんだった。

下司さんは人材紹介企業で働いており、その傍らコーチング業と企業の採用コンサルティングで起業したのだという。「どうして起業しようと思ったんですか?」と尋ねると、

「いろいろ渡り歩いて、そうなったんですよね」

その微笑の裏側には深い物語がありそうで、私は興味が湧いた。

彼女はどのように、自分の道を見つけていったのだろうか。私は日を改めて、起業した経緯やキャリアを築くために、彼女が大切にしている想いを伺った。

何をしたいかがわからないまま、就職

自分のやりたいことが全くわからないまま就活をし、新卒で就職したのは、創業3年目のベンチャー企業。業務は携帯電話の代理店での営業で、お金儲けの仕組みを学びました。しかし激務で疲弊したのと、もっと組織化された会社で働いてみたいという理由で退社へ。その後、中国に工場のある商社に転職しました。実は、高校で漢詩の美しさに惹かれたのがきっかけで、大学では中国語の勉強に没頭していたんです。だから、大好きな中国との関わりがまたできて、すごく嬉しかったのを覚えています。受発注業務、営業職を経験したり、繁忙期には出荷業務も手伝ったり、多くの経験ができました。

働いて3年が経った頃、仕事に慣れ成長に限界を感じるようになりました。そろそろ新しい環境に行こうかと考えていたところ、友人から外資系のアパレル企業を紹介され、面接を受けました。自社の服を格好良く着こなし、ビジネスの展望を熱く語る女性の面接官に「自分もこの人のようになれたら」と憧れの気持ちを抱いたんです。

面接後、マネージャーとして採用され、店舗の販売方法やサービスの立案、アルバイトの採用業務を行っていました。チームの団結力を高めるため、スタッフがモデルをするファッションショーを企画したりと、忙しくも充実した日々でしたね。

コーチングとの出会い

この企業は社員教育に力を入れていました。実は就職して、体系立った社員研修を受けたのはこの企業が初めてだったんです。購買意欲が高まるディスプレイの作り方、メンバーのモチベーションの上げ方など、多くの研修が受けられました。その中でも一番興味を持った研修が「コーチング」でした。質問をし、聞き、対話を重ねることで、相手の自発性や行動を引き出せるというところに面白さを感じました。

ですが、肝心の仕事への情熱がだんだん薄れていることに気づいた契機がありました。店長に昇格できるチャンスがあり、漠然といつかは私も店長になるのかなんて考えていました。しかし同期で最初に選ばれたのは別の人だったため、ショックを受けたんです。選ばれた人は口数が少なく、どちらかというと目立たない存在でした。そのため「なんで私、選ばれなかったんですか?」と上司に尋ねたところ、こう返されました。「選ばれなかったのは、そうゆうところじゃない?」と。必死にその理由を考え、わかったんです。その人は、朝一時間早く出社して店舗のチェックをし、売れ行きが悪いとわかったら、率先して店頭に立っていました。私は「それはマネージャーがする仕事じゃない」とどこかで線引きをしていたんです。ただ仕事をこなすようになっていたことに気づき、そんな自分に呆然としました。

そしてその頃会社の方針が大きく変わり、マネージャーも店舗に出て販売をすることがマストになりました。私はマネジメントや社員教育の仕事は大好きでしたが、店頭での販売にあまり興味が湧かなかったんです。このまま仕事を続ける資格があるのか悩んでいたとき、元同僚が人材紹介会社に誘ってくれ4社目への転職を決意しました。

「聴く」で救われる人がいる

人材紹介会社では、最初にバックオフィスの業務を経験しました。その後、二児の育産休を経て、37歳のとき人材紹介のコンサルタントへ配置転換しました。企業と求職者の双方とコンタクトをとる業務の中で私が真剣に取り組んだのは、クライアントの話に耳を傾けることです。どうすればクライアントの希望を叶えられるか、一緒になって考えることにやりがいを感じていました。

ある方から言われた言葉が私の転機になりました。とある企業の社長から、社員の転職活動の支援を依頼されたんです。業績が悪化し、社員の解雇を決断せざるを得なかったとのことでした。そして突然、ファンドと大株主の意見が合わず、社長の解任が決まりました。社長から「解任決議をされる日にひとりでいるのはつらい。一緒に食事をしてもらえませんか?」と声をかけられました。なぜ私に声をかけたのか聞いてみたところ、「下司さんは私の苦労話を涙を浮かべて話を聞いてくれた。この人なら痛みをわかってもらえると思ったからですよ」とおっしゃるんです。このときから「私が聴くことで救われる人がいるなんて。『聴く仕事』をして、人の役に立ちたい」とはっきり思いました。今まで空いていたパズルのピースがぴったりはまったような感覚でした。

そして、前職でコーチングの研修を受けたのを思い出し、より学びを深めたいと2021年1月からコーチングスクールに通い始めました。スクールで「コーチ役」と「相談者役」に別れてロールプレイングをする機会がありました。私が相談者役になって、コーチ役の人に話したとき、自分の悩みが客観視できたんです。それは「クライアントの話をもっとじっくり聞きたい」という思いでした。その当時、会社からスピード感と数字をより厳しく求められるようになっていました。結果を出すためには、転職先を早く決めてもらう必要があり、一人ひとりにそう長く時間をかけられないんです。だけど私は、もっとクライアントに向き合いたいという気持ちが日々強くなっていったんです。

そんなとき知人から「下司さんに合いそうな会社がある」と紹介を受けたのが現在の人材紹介業の会社です。当時、社員8名の創業間もないベンチャー企業でした。初面談のとき、代表と話し始めて10分で「ぜひ下司さんと働きたいんです。どうやったら下司さんと働けますか?」と言われたんです。代表の熱意と率直さに惹かれ、この会社で働こうと決めました。今は、人材紹介のコンサルタント業務だけでなく、マネジメント業務、採用や労務関連の業務をしています。

コーチング業で起業へ

入社して1年後、45歳のときにコーチングと企業の採用コンサルティングの会社を起業し、会社員とのダブルワークをしています。起業した理由は、時間をかけて「聴く」ことに重点を置いたアプローチをしたいと思ったからです。一般的なキャリアコーチは、相談者に目標設定してもらうケースが多いです。一方で私は目標設定から一緒に考え伴走する形をとっています。

実は、前職を退職するまで随分悩んだんです。私なんかが大きな会社の看板無くしてできるんだろうかと思って。なかなか踏み出せませんでした。あるとき『45歳からの「やりたくないこと」をやめる勇気』という本を読み感銘を受けました。著者の木下紫乃さんは、中高年のキャリア支援をしており、彼女から個人セッションを受けることに。そのとき彼女から「今回の選択が最後だと思わないで。ダメだと思ったら辞めてもいいのよ」と言われ、心が軽くなりました。あと、現在働いている会社の代表に起業したいと相談したら「やりたいことがあるって、いいじゃないですか!」と喜んでくれて。前向きな人たちの応援のおかげで「とりあえず進んでみよう」と思い、今の私があります。

今の目標は、転職相談にとどまらず、その人がどう生きるのか、人生全般の支援をすることです。今までいろんな人に話を聞いてきましたが、人生にはたくさんの選択肢があると感じます。もしキャリアアップしたいなら転職一択ではなく、現在の会社で異動してみる、会社以外の居場所を作り経験を積むなど様々な道がありますよね。そして今後は子どものキャリア教育や、病気と仕事を両立させたい人の支援もやってみたいです。その人らしい人生を送れるように背中を押せる存在でありたいと思っています。

流されてたどり着いた場所が居場所かもしれない

望む人生を歩むために、計画を立てて目標に向かって行動することはもちろん大事です。だけど私は、大きな方向性だけを決めたら、あとは偶然の出会いや出来事に身を任せてみてもいいんじゃないかなと考えています。5社で働いた私のキャリアはまさに「流される」ことで形作られてきました。深く考えすぎず、とりあえず直感で「いいな」と思う波に乗ってみる。そして、新しい体験の中からやりたいことを見つけてきました。直感ってあながち間違ってないことが多いんですよ。直感は「これまでの経験がパパパッと瞬時に計算された結果」なので、信じる価値があると思っています。

うまく波に乗れなくてもいいんです。流されてたどり着いた場所が居場所かもしれません。現在は変化が激しく、先の見通しが難しい時代です。だからこそ、これからも偶然の出会いや出来事を受け入れて、変化を柔軟に楽しむ気持ちでいたいですね。

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