選挙行く人は、別に偉くない。

 選挙行ってきました。結論から言うと、僕の思想と全く同じ政党なんてないので、一番マシそうなところに投票するという、かなり消極的な投票の仕方になりました。

 とはいえ、僕みたいな人はそんなに少なくないはず。結局、選挙という仕組みが理想と乖離し始めているのではないか、という風に思ったり。衆愚政治って言葉が古代ギリシャの時代にはすでに生まれているの、人間の本質は変わらないんだなあ、と思います。

 僕が働くクリエイティブの世界では、「多数決をしてはならない」という不文律があります。多数決によって決まるクリエイティブは、得てしてありがちな、つまらないモノになるからです。これは政治も同じで、「良い政治をしたから立場が保証される」ということは基本的に生じないため、「悪い政治をしない」という方向でやったほうが安定的に議席数を稼げます。衆愚ってやつですね。人間は集まれば集まるほど愚かになります。

 さて。よく言われがちなこととして、「若者が選挙に行かないから、政治家は老人向けの政策をする。だから若者は選挙に行くべきだ」というのがあります。これはまあ、事実だと思います。

 けど、選挙に行くのは有り体に言って面倒です。家から出るには着替えなきゃいけないし、住所を移していなければ七面倒な不在者投票の準備をしなければならないし、期日前投票も面倒です。

 要するに、選挙に行かないのもまた、保障された自由だということですよね。僕はどっちかというと世の中が変わってくれたほうが嬉しいですが、僕世代の大半は「世界に自分の生活スタイルを合わせる」ほうが楽なんじゃないでしょうか。世界を変えるより、自分自身を変えるほうがよっぽど楽で、効率的です。

 正直なところ、僕は選挙に行く若者より、選挙には行かないけど渋谷に行ってハロウィンする若者の方がよっぽど効率的に生きている気がします。彼らは今自分が楽しいことに対して全力です。その結果他者に迷惑はかかっているかも知れませんが、でも、彼ら自身は幸福です。

 結局そういうことで、選挙に行かない若者が愚かなのではないと思うんです。選挙に行かないという選択肢自体はめちゃめちゃ合理的だけど、その合理がたくさん集まると、政治全体が後ろ向きになるという、ナッシュ均衡がパレート最適になってないだけ(※1)の、単純な話ですよね。

 普通はこれが繰り返しゲームになると、自然と全体が投票しに行くはずなんですが、今の若者は結局、「政治が良かった時代」とか「なんもしてないのに豊かな社会」を知らないので、選挙に対するインセンティブがないわけです。対して、老人はそれがある。だから繰り返しても繰り返しても、囚人のジレンマは解消されません。

 もう社会が均衡しちゃって、これをどうにかするのはちょっと難しいです。歴史を見れば、社会がこういう状態になると、貧困層が扇動されて、暴力で社会システム一回リセットするのが通例(※2)なんですが、なんだかんだ日本のセーフティネットはちゃんと機能していて、そういう人たちも平和的に生きています。

 世界が見えすぎるようになっちゃったのかも知れません。自分が生まれながらに負け組だったと、知ることができるようになってしまった。社会全体的に見ると裕福よりな人も、もっと裕福で恵まれた教育を受け、いわゆる「成功」している人を見ることができるようになった。ちなみに、統計的にもっとも貧富の差がなくなるのは戦時中らしいですよ。貧富の差って、ある意味では平和の象徴ですよね。最悪じゃん。

 なんか散らばりすぎちゃったんですけど、要するに選挙に行かない人は別に悪くないし、選挙に行く人が偉いわけでもないよね、っていう話でした。

※1 代表的なのは囚人のジレンマ
※2 フランス革命とか

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